InterCommunication No.15 1996

Feature


第三の美術館 6/6

たがって第三の美術館とは,出現する美術館であり,展示ケースや舞台セット,保管所であるよりは,オペレーションのプラットフォーム,苗床,惑星規模の資源,文化的協議,インタラクション,コラボレーションによる創造性の場なのである.それは歴史を記録するのではなく,歴史を創出する.受動的な過去ではなく,能動的未来を指し示す.そこに住まう,ないしはそこに発生するアートとは,アーティストの技量以上のものが要求される異種混合のアートになるだろう.例えば,認知科学とそのニューラル・ネット,生物工学とその遺伝子操作,意識の物理学といった,それ自体がさまざまなものの混合であるような分野を巻き込んでいく.そして,こういったアートに関わる観客,ユーザー,消費者もまたハイブリッド状態にある.ある程度身体機能を装置で強化したバイオニックであり,ジェンダー・フリーであり,サイバースペースに完全に溶け込んでいて,さまざまな文化を超えたネット志向を備えている.そして,現実とヴァーチュアルとの間のインターリアリティに生きている.これがポスト生物学的人間像であり,二千年紀の終わりに近づきつつある私たちの姿なのである.そしてひょっとすると,テレマティック時代の,ポスト生物学的文化における美術館の定義の追求にもっとも直接的な関係を持つのは,私たちが住むであろう空間や私たちが要求するであろう建築を決定する,新しいサイバー知覚能力であろう.
三の美術館は未来に向けたヴィジョンを持つ.それは美術史の展望を掲げるものではなく,アートが生まれてくる可能性の胚胎する場を切り開き,文化的効果としてではなく文化的変化の要因として,またアートの実践の動因として現在の文化の先端に向けて機能していく.そしてこれは一つの装置としてではなく,ポスト生物学的有機体として理解されることになるだろう.それ自体の記憶を持ち,私たちの働きかけに応じて反応を返してくる感覚中枢を備えた,本質的には電子中枢神経システムなのである.その内部活動は,内側から外側に向かう情報の流れ,あるいはその逆の情報の流れによって,常時外在化される.同様に,衛星やケーブル,インターネットによるコミュニケーションでは,地方や地域的または国際的なセンターや公共の場での受発信を可能にする,双方向のデータの流れが24時間保証されなければならない.そして,遠隔瞑想とサイバー意識の実践のための区域や,アイデンティティ,ペルソナ,ジェンダー,生体工学な増幅を巡る実験のための区域すら持つようになるだろう.
三の美術館のあるべき姿を理解すること,それは,外観の審美性がどのように出現の美学に置き換えられていくかを理解することである.そこでは,意味の開放系が意味論的囲いに取って代わり,観客は単にのぞき込むだけではなく創造のプロセスの中心に位置し,エレクトロニック,デジタル,光学,遺伝学といったアートの手段は内在的にも包括的にもインタラクティヴなものとなる.そして,アートはネットワークに参加するすべての人,すべての物事を構造的に連結するシステムとなる.この連結は,私たちの世界と自己に対する認知的サイバー知覚を構成する知的システムをも生み出すことだろう.
 最後になるが,第三の美術館を巡る問題は,「ミューズの家」が常にそうであったように,政治的な側面を持たざるを得ない.今や「右」も「左」も満足な答えを見出しえない以上は,民主主義それ自体がこの第三の政治学を求めているからである.第三の美術館は,コミュニケーションの民主化と同時に意味の民主化とも関わりを持っている.そして,テレマティックのテクノロジーが意識のテクノロジーであるからには,必然的に哲学的にならざるを得ず,叡知をもって洗練されていき,リアリティの創造に向かう共同参加へと私たちを導いていくことだろう.


(ロイ アスコット・テレマティック アート/
訳=ふじわら えりみ・美術エディター)


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