InterCommunication No.15 1996

Feature

第三の美術館




ロイ・アスコット
藤原えりみ 訳


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来の美術館を巡る議論は,20世紀後半の美術の規範を特徴づけるコンピュータを媒介としたさまざまな実践との関連において論じられなければならない.こういう考え方は,コンピュータによるコミュニケーションのシステム,そのサーヴィス,製品などが生活に浸透した文化という文脈において意味があると思えるだろうが,だからといってバイオテクノロジー,微小電子工学技術,そして人工生命が今後の25年間にアートに及ぼす衝撃を無視したのでは未来への展望は開けてこないであろう.エレクトロニクスによる革命は,まずコミュニケーションの分野から始まり,デジタル・コンピュータを経て,今や人間の脳へと及んでいる.だが,コンピュータ・サイエンスではなく,むしろ新しい生物科学や認知科学こそが道を切り拓いていくことだろう.現時点では,インタラクティヴィティの道具ないしはヴァーチュアリティの主体としての身体と,その存在をめぐる議論が盛んであるが,精神/脳,つまりいわゆる意識というものに関する問いかけこそが,将来のアートの実践を特徴づけるようになると思われる.そして美術館が現在提供できるものといえば,未来そのものに他ならない.絶対的な歴史は存在せず,過去とは現在において記述されるものであることは周知の事実である.私たちは未来を志向せざるを得ないのであって,教育機関および美術館はこの未来への志向を反映するようになるべきなのである.一つ確かなことがある.過去も,現在も未来も,何一つ待っていて与えられるものはないということである.すべては構築されるのであって,その構築の場とは私たちの意識に他ならない.意識は一つの領野であり,テレマティックなシステムがその進化の一翼を担っていることはすでに十分認識されている.
ンターネットは,発展していくにつれて,世界精神のインフラを与えることができるようになるだろう.そうなれば,ある意味では美術館はそのインフラの一部とならざるを得なくなる.だが,美術館がそのインフラに甘んじ,サイバースペースやオンラインだけの,完全にヴァーチュアルな状態で存在すべきだというような意見は馬鹿げているし,長期的な視野に立った見方ではない.エレクトロニック・アートは近い将来,バイオ=エレクトロニック・アートとなるだろう.その実践の基本的な要素として,マイクロチップはバイオ・チップに変わろうとしており,デジタル・コンピュータはニューラル・ネットワークに取って代わられつつある.私たちはカンディンスキーには想像もつかないようなやり方で,芸術における精神的なものに向かって動きつつあるのだ.遠隔意識が伴う遠隔現前,身体システムに統合されたサイバネティック・システムは,いずれは心的制御工学(psybernetics)へと変異をとげるであろう.
うした見解は,東京大学先端科学技術研究センターの軽部征夫氏の発言に見ることができる.「物質主義が飽和状態にまで到達してしまった先進諸国の人々の関心が内面世界に向かうようになっている以上,電子工学の未来は,脳,神経,そして精神にどのようなアプローチを図れるかということにかかっています」[★1]


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