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序文 - ルーディ・フックス
変移する境界線 - ティモシー・ドラックレイ
序論 - レイネ・コエルヨ
アート,メディア,メディア・アート
マリエケ・ファン・ハル
入場料
展示作品
参加作家
 
1998年11月13日(金)〜12月27日(日) [終了しました.]





アート,メディア,メディア・アート - マリエケ・ファン・ハル


レネイ・コエルヨ(1936年生)はモンテヴィデオ/TBA,オランダ・メディア・アート・インスティテュートのディレクターである.キュレイターとして,「ザ・セカンド──オランダのメディア・アート」展を企画した.
このマルチメディアの展覧会は,アムステルダム市立美術館を皮切りに,3年間世界を旅し,他の土地,つまり,東京,台湾,メキシコを巡回する予定である.本展は,レネイ・コエルヨによって組織される第二回目の大きな国際巡回展である.1990年,モンテヴィデオ/TBAは「イマーゴ──世紀末のオランダ・メディア・アート」展を企画した.この展覧会は,オランダのメディア・アートが国際的なアート・シーンにおいて一つのハイ・レヴェルに達したことを示した.7年を経た現在,レネイ・コエルヨは,再び,テクノロジカルなメディアの助力によって自らの構想を表現する現代美術家の作品の進展を示す機会を獲得した. 本展は,一種の送別の辞である.[訳註:本展の企画中から,アムステルダム市立美術館展終了後の1997年3月に,同氏がモンテヴィデオ/TBAのディレクターを引退することは決定していた(インタヴューの本文を参照)]出品作家は,ケース・アーフィエス,ペーター・ボーガース,ボリス・ヘレッツ,ヤープ・デ・ヨング,A・P・コーメン,ピーター・バーン・ミューラー,ベルト・スフッター,ビル・スピンホーフェン,フィオーナ・タン,スタイナ・ヴァスルカ,ベア・デ・フィッサー,クリスチアーン・ズヴァニッケンである.

レネイ,ことの次第から始めましょう.「モンテヴィデオ/TBA」は1978年にヴィデオ・アートのギャラリーとして始められた.当時,なぜ,このギャラリーだったのでしょうか.

常に,このテレビという媒体の支援で,世界はより良くなるという社会民主主義的なイデオロギーから,私は約20年間テレビの世界で働いてきました.TVは大衆に文化の領域における発展衝動を与えることができたのです.人々は突然,居間でオペラと劇場に対面させられました.かなり遅すぎたのですが,実際のところテレビは反対の効果を引き起こしたことを知りました.文化を持った人々を育てる代わりに,TVは彼らを無感覚にし,彼らの精神は取りまとめられ,もはや,想像力を使うようには興奮させられなかったのです.TVは急速に意気地のないゲーム・ショウのまぜものと「情報提供娯楽番組」に変わってしまいました.いわば眼のためのチューイングガムとして.私は,もはやこのシステムと意見が一致しなかったのです,だから,私はテレビから離れたのでした.

それから,あなたのイデオロギーに即して,アムステルダムのシンケルの自宅を開放したのですね.

そう,私は芸術家の手を借りてテクノロジーに人間性を与えたかったのです.オープンした頃のギャラリーは,1台のソニーのユーマティック・レコーダー,1台の古いモニター,1台の中古のスライド・プロジェクター,2本のヴィデオ・テープと1人の芸術家,リフィヌス・ファン・デ・ブントを有していました.リフィヌスは,アートのメディウムとしてヴィデオを使用した最初のオランダ人でした.ミシェル・カルデナ,スタンスフィールド&ホーイカースのような人々とともに.もちろん,アメリカにはナム・ジュン・パイクがいましたが.そして,ここにはヴィデオを使い,たいていは,パフォーマンス・アートに登録されますが,ヴィデオ・アートと呼びうる何かを使って制作するさまざまな人々がいたのです.パフォーマンス・アートが,当時流行していました.それははかないものであったので,芸術家は急遽それを記録するためにヴィデオに訴えたのです.それゆえ,しばしばパフォーマンス・アートとヴィデオ・アートは混同されました.

ヴィデオ・アートのこのギャラリーは,モンテヴィデオ/TBA,オランダ・メディア・アート・インスティテュートになりました.ヴィデオからメディア・アートへのこの展開は,どのように起こったのですか.

私は,それについて二つのことを言いたいのです.そのメディアはそれ自体,自然に発展しました.テクノロジーは,静止したままではなかったし,もちろんコンピュータがその領域に入りました.それから,テレコミュニケーション,インタラクティヴィティ,ヴァーチュアル・リアリティが到来したのです.しかし,同様に,アートにおいても何かが起きたのです.(ヴィデオ)アーティストの側から,さらに一歩先に行く傾向がありました.TVの頭脳にスイッチを入れることなしに人々がモニター・スクリーンを見るのはたいへん難しかったのです.いわば,その頭脳とは,思考する必要がなく,彼らの手をポテトチップと生ぬるいビールに導くだけのものです.芸術のためには特別の脳のキャパシティを活性化する必要があります.なぜなら,何かがあなたのために期待されているからです.あなたは,他の誰かの世界へあなた自身を投射しなければならない.あなた自身の想像力を他の誰かの想像力へと付け加えなければならないのです.それらは,テレビではなく芸術とともに生ずる興味深い事態です.アーティストたちは,テープを単にモニター上に再生すること以上に,論理的には空間的な作品へ導かれることを欲していました.人々は絵画から彫刻へとどんどん進行し,もしその比較が可能ならば,ヴィデオ・テープからインスタレーションへと進んでいます.一つの芸術形式の一つの拡張,一つの進化です.

モンテヴィデオ/TBAは,メディア・アートに何ができるのでしょうか.

メディア・アートの実践に有用なあらゆる設備を提供したい.自慢したいわけではありませんが,これは世界でもユニークなのです.しかし,おそらく実際にはそのようには感じられないでしょう.われわれはまた,目下のところ,これを実現するために助成を受けています.われわれは,おそらく,機能の一つをやめなければならないでしょう.しかし,モンテヴィデオ/TBAの哲学はいつも,メディア・アートはあらゆる領域の中で支援されなければならないということでした.それゆえ,ドキュメンテーション,制作,配給,研究,展示,そして登記/保存のような要素を含んでいるのです.設備支援,制作とポスト‐プロダクションは,作家に手ごろな値段で,彼らのプロジェクトを実現させます.われわれは,オランダの内外へ作品を配給し,ギャラリーで展覧会を開催します.われわれは「芸術のための実験室」の形式において研究と発展へと貢献しています.

保存は新たな活動領域ですか.

はい.保存はたいへん重要です.メディア・アートは急速に古びています,とりわけヴィデオが使われたときには.それは生まれからして,つかのまのものです.いまや映画は100年間存在してきました.その状態は悪いですが,依然として存在しています.あなたは100年前の映画を見ることができますが,25年前のヴィデオ・アートはもはや再生されないのです,それらはいわば,消滅してしまったかのようです.保存する者の役割上,われわれは数時代前に警鐘を鳴らし,事実上オランダ内にある全てのヴィデオ・アートを守るために必要な基金を与えられました.それによって,さしあたり90パーセントを保存できました.あらゆるものはヴィデオ・テープ,さらにより良質のテープに再録され,結局,デジタルの記憶装置媒体に転写されねばならないでしょう.インタラクティヴィティのように現象に没入して,「ああ面倒だ,どうしてそんなテープを処分してしまわないのか」と言う職員たちと私は常に戦わねばなりません.起きたことを基盤として,新しい事態が生れるでしょう.「腐った木から,新しい茸が生まれる」ように.

そして,それらの茸が今,あなたの展覧会「ザ・セカンド──オランダのメディア・アート」において展示されています.この展覧会のモチーフは何ですか.

1989年,突然,オランダ文化省と政府美術局が,国際的に巡回するオランダ・メディア・アートの展覧会を組織することを私に求めました.この展覧会は「イマーゴ──世紀末のオランダ・メディア・アート」と呼ばれました.およそ3年間で,「イマーゴ」は8つの国々を訪問したのです.セヴィリヤ万国博覧会では,オランダの寄与としてアート・パヴィリオンへ展示されました.ヨーロッパのほか,台湾と日本に行き,大成功を収めました.100万人以上の観客を魅了し,オランダのメディア・アートにとってたいへん積極的な効果があったのです.この展覧会の経験と結果は,才能に恵まれた作家の展開と組み合わせられ,その次,すなわち,「ザ・セカンド」展へと導かれたのです.

メディア・アートは,めざましい発展をしましたか.ここ数ヵ月,アムステルダム市立美術館で「アンダー・カプリコン(山羊座のもとに)」,ロッテルダムのフォト・インスティテュートで「デジタル・テリトリーズ」,ヘルモンドのヘメーンテ美術館で「エヴリバディズ・トーキング」が開催されました.

われわれは誰も求めないある芸術形式を20年間促進してきました.オランダでは,科学的で理論的な基盤の損失のため,メディア・アートは決して大多数の観客を惹き付けては来ませんでした.実際,そこへ参入して来る美術史家は,ほとんどいなかったし,彼らが一度入って来ても,再び彼らを見ることはありませんでした.彼らは,ほかのアクシデントと結婚させられるか,その中に飲み込まれるか,巻き込まれるかしてきました.メディア・アートは,美術史の中で,不適当な部分なのです.しかし,先のカッセルのドクメンタ(9)以降,メディア・アートはかなり多く受け入れられてきました.
ゲーリー・ヒル,ビル・ヴィオラ,ブルース・ナウマン,トニー・アウスラーは,その場でトップ・アーティストになり,キュレーターたちは,われ先にと彼らの作品を買おうとしています.

インターネットの出現は,一つの役割を演じていますか.

あらゆるテクノロジカルな発展は,一種の誇大宣伝のように始まります.8年前,あらゆるものはインタラクティヴにされねばなりませんでした.なぜなら,ジェフリー・ショーが,インタラクティヴなインスタレーションを作っていたからです.そして,インタラクティヴィティは,私の意見の中で,依然として非常に大きな役割を演じています.優れたインタラクティヴ作品は,ほとんどまれです.ゲーリー・ヒルのインスタレーション,『トール・シップス』,それこそ,私がインタラクティヴ・アートのモニュメントと呼ぶものです.しかし,ビル・スピンホーフェンの『アイ(私/眼)』もまた,インタラクティヴ・アートの一つの聖像です.そう,現代の誇大広告はインターネットです.私は,インターネット上での最初の本当に驚くべきアート・プロジェクトを見なければなりません.目下,インターネットは,興味深く力強い配送の媒体ですが,それは依然として自立した芸術媒体としてそれ自体を証明しなければならないのです.誰が,これが生まれるか否かを教えられましょうか.それがある新しい芸術形式を生むかどうかはまったく確かではないのです.

フィオーナ・タンは,「内なる地図書」でインターネットを使用しています.

そう,インプットとしてですが,アウトプットとしてではありません.彼女は,自分のアートにとって有益な情報を見い出したのです.それは,一冊の本を読んで,自らの芸術作品のために断章を使用するのと同じことです.

そして,あなたは興味深いヴァーチュアル・リアリティを,まだ見ていないのは明らかでしょう.もし,見ていたならば,私たちは「ザ・セカンド」展でもデータ・グローヴを身につけることになるでしょうから.

そう,まだ見ていないのです.しかし,もちろん,それもまた,テクノロジーの状態と関係があります.それは急速に発展しているのですが,十分には速くないのです.どれだけ多くの計算時間が必要かを想像するならば,その時間にも関わらず,生まれてくるイメージがまだ,どれだけ荒いことでしょうか.愚かし気な,もはやアルカイックに見えるヘルメットを身につけなければならないということは,空間を浮遊している低俗なずんぐりした人を見ることに過ぎません.いや,私の意見では,これがヴァーチュアル・リアリティの石器時代なのです.それは面白いし,起きていること自体は,良いことです,しかし,われわれは,テクノロジーがそれ自体をさらに発展させることを待っているのです.VR[ヴァーチュアル・リアリティ]は,アーティストが将来うまく使えるように,あらゆるものを組込むことでしょう.それはまさに想像力を深くかきたてるメディウムなのであり,真に天与の芸術家のメディウムなのです.私は,インターネットは,輸送=遠隔移動のメディウム以上になるだろうとは思っていないのですが.

あなたの展覧会のテーマは「時間」ですね.

実際,かなり明白なテーマです.時間は,メディア・アートが現代の視覚芸術に加えた最も重要なエレメントの一つです.アーティストの素材としての時間.時間に基づく芸術,その言葉は全てを語っています.それは,他の芸術形式との差異を暗示しています.それは唯一のオリジナルで発明的なテーマではありませんが,しかし,あるテーマが発明的であっても,常に興味深いわけではないという危険があります.おそらく,このテーマは,発明的ではないのですが,しかし,本来的にそれ自体で表現し,確かに興味深いものであると私は考えています.

しかし,それは実際,どのように働くのでしょうか.絵画を見るには,ある程度の時間を要し,インスタレーションにも同じことがいえます.時間知覚上の違いはどこにあるのでしょうか.

全ての生命はもちろん時間です.あらゆるものは時間と関係づけられています.絵画もまたそうです.画家は,一枚の絵を制作するためある程度の時間を必要とします.見る者は,一枚の絵を知覚するためにある時間を必要とします.この時間は固定されていません.ある観者は速く,また別の観者は遅い.しかし,メディア・アートにおいて要求される時間は多かれ少なかれ制作者によって決定されているのです.確かにヴィデオテープについてはそうです.絵画においては見る者が主に決定しています.

ピーター・ボーガースのインスタレーション『ヘヴン』は,一秒間で停止させられていますね.

この作品で秒は停止を暗示する時間の単位として使われているのです.17台の小さな白黒のモニター上には,偶然の一致を示すかのように,正確に一秒間続く多様な断片が見えます.同時にその断片は家庭生活のイメージを形成しています.つまり,風に揺れるドア,ゴロ寝する猫,母の胸から乳を飲む赤ん坊,そして,レコード・プレイヤー上のレコードの溝に針がおかれるための説明として,神戸の震災時,テレビ局において機材が落下する有名なTV映像の断片.それは,内部に動きのかけらを持った凍結された家であり,そして,そのことこそが,メディア・アートとなっているものなのです.写真でも可能であったかもしれませんが,それは写真ではありません.人生の一秒なのです.

「ザ・セカンド」展では,ペーター・ボーガースは,実に三点のインスタレーションで代表されています.

ペーター・ボーガースはかなり才能のある作家です.彼は独特のバランスのとれた方法で,まさに首尾一貫して賢明に,自らのテーマに形を与えています.彼の作品は本来,まさに身体的であり,いずれもかなり自伝的です.そのほとんどは,彼自身,彼の妻,彼の身体,彼の子供たちに関するものです.私の意見では,彼がこれまで制作してきた一連の作品は,素晴しい個展を形成することでしょう.彼が,現在まで10年以上もの間,高い質の作品を制作し,大きな展覧会をまだ開催していないのは注目すべきことです.われわれは,彼をプロモートしようとつねにおせっかいをやいています.最初はドルドレヒトで,次にゴーアで,そして再びドイツの辺鄙な場所で彼に出会うでしょう.
しかし,アムステルダム市立美術館,あるいは,エイントホーフェンのファン・アッベ・ミュージアムやそれらに匹敵するところで彼を見ることはないでしょう.そのことこそ芸術の神秘的な力なのです.それはどのように説明されるのでしょうか.それは,ある面ではパブリシティであり,ある面では,自分自身をプロモートする方法であると私は感じています.ピム[A・P]・コーメンは,はるかに短い時間で,あるレベルへと達してしまいました.ピム・コーメンも,かなり良いのですが,ペーター・ボーガースの作品の方が,はるかに力強いことを私は認めます.

それは,一般的には,一種のメディア・アートの解放というタイミングの問題ではないでしょうか.

あなたは,ピム・コーメンがピーター・ボーガースよりはるかに容易にスタートを切ったと主張しています.確かに,それはおそらく正しいのです.コーメンのテーマは,事実,プライヴァシー,つまり,メディアとの関係におけるプライヴァシーです.もちろん,それはかなり人気のあるテーマです.われわれは彼の作品『フェイス・ショッピング』を本展に出品しています.4枚の大きな投影スクリーン上の4人の若い女性のクローズ・アップ.それぞれの少女は,ある種の神経症的なけいれん=ティックを見せています.そのティックは,数秒毎に繰り返されるので強迫症的な効果をたきつけます.この方法では,無意識に振る舞った忘れられた瞬間が,感情的な負荷を帯びているのです.

なぜ,あなたの意見では,ビル・スピンホーフェンの『アイ(私/眼)』が,インタラクティヴ・アートのよい例なのでしょうか.

インタラクティヴィティは,芸術は常にインタラクティヴであるというクリーシェから離れて,芸術におけるかなり興味深い観点となり得ます.私はまだほんの少ししか良い例を見ていません.近年われわれが見てきたインタラクティヴィティの多くは,それは,たとえばボタンを押さなければならないに等しいものですが,アーティスト自身が選択し得ない印象を生み出しています.むしろアートをたいへん興味深くしているのは,見る者が夢中になることができる何かが,アーティストの脳から与えられることです.アーティストは一つの選択をしてきました.そして,今や彼はこの選択を見る者に委任し始めたのです.むしろ,見る者はこのイメージ持つことができますが,しかし,別のイメージも持つことができるのです.選択をする必要はないですが,われわれは制作においては十分な選択権を持つのです.ビルの眼は単純ですばらしく,そして,最も優れたものがそうであるように,実際単純なのです.観客は作品のまなざしから逃れることはできません.そのまなざしは,スクリーンの前で起きているあらゆる動きに従います.観客の安全な立場は侵犯されるのです.それは彼をじろじろとまなざす芸術なのです.

本展は,インターネットを通じてアクセス可能なヴァーチュアルな展覧会として3Dで再構成されています.なぜ,この新たな芸術展覧形式の実験をするのでしょうか.

これについては,私自身のバックグランドから簡潔に説明しましょう.テレビは娯楽工場へと堕落してきました.それはもはや決して情報を供給せず,人々を無感覚にし,慰め眠りにつかせるものです.インターネットはこの発展を抑止し,反転させるあらゆる要素を持っています.なぜなら,人々は視聴者ではなく,再び人間となるからです.エレクトロニックな媒介を通じてではあれ人々は互いにコミュニケイトし始めます.サイバーセックスの形式を除いては身体的な要素は不在です.しかし,加えて,それは,巨大で重要なメディウムなのであり,あらゆる設備を獲得したのに,それを使用しないのは愚かなことでしょう.美術館を訪問できない人々を,ある制限された方法ではありますが,展覧会にアクセスさせうるのです.

しかし,どのようにあなたは人々に届けようとするのでしょう.彼らが,ネットをサーフィンしているうちにですか?

そう,それは現実的な問いですね.インフラストラクチュアーは次第に発展しているし,他者に属しているあらゆる様式の「サイト」へのリンクを作り上げることによって,相当の広がりを築くことができると私は考えています.たまたま通過するサーファーを除いても,より大きな公衆に届くように思います.

しかし,より広い観客に届くはずであるというあなたの意図は正確ではないのではないでしょうか.インスティテュート,あるいは,すでに巻き込まれている個人のサイトへとあなたがリンクを形成した上で到達する観客は,すでに何かしらの興味を抱いているのです.

そうであっても何も悪いことではないでしょう.だからといって結局は,美術館の入場者数との重複には気付かないでしょう.もちろん,あなたは美術館の訪問者には会うでしょうが.

そのとき,より大きな公衆とは,どのような意味を持ちますか.

このように,われわれはより多くの公衆に到達します.市立美術館で開催することによって,2カ月間で平均約4万人に達するかもしれないと見積りました.もちろん,興味を持つ人々はもっと多いかもしれません.私は,オランダの人々だけを意図しているのではありません.チベットでさえも意図しているのです.そこでは,彼らはまだインターネットにアクセスしていないかもしれませんが.しかし,たとえば,オーストラリアでは可能なのです.そこはまだ巡回地に入っていないけれども.私にとっては,そのことは十分面白いのです.それが機能するかどうかまだわからないですが,実験の価値には,確実に,潜在的な力があります.

未来の芸術はどのように予想されますか.

私にはわかりません.私はかつて自分の内なる声を聞いたのです.「明後日,明日の芸術は,昨日のものとなるだろう」と.それは,まさしく中国の哲学者のように響きますが,多かれ少なかれ私の感情を表現しています.もし,あなたが都市や国のプランナーであったなら,より良い訓練の不足のために,むしろ正確な未来図を与えることができるはずでしょう.しかし,芸術においてはそうではないのです.芸術は社会を反映します.(そして,単に鏡ではなく,時々芸術はその社会のモーターとして働きます.そして芸術は社会をたいへん趣深いものとするものなのです.)未来において社会がどうなるかを知りえないならば,芸術がどのようなものになるかを知ることはできないでしょう.

しかし,テクノロジーの領域における予測は,おそらくある考えをわれわれに与えるのではないでしょうか?

あなたは美術館の役割が変化することを想像するはずです.つまり,美術館は,さらに保存の機関となるでしょう,美術館は常にそうであることを意図してきたのですが.キュレイターのオランダ語,「コンセルファトール」は,これを暗示さえしています.美術館は過去を保存しますが,現在について,また言うまでもなく,未来については,はるかに微力です.未来の美術館としての,リンツのアルス・エレクトロニカのような機関は,本来的に,すでに過去の美術館となってしまいました.一般的に言えば,美術館の未来は変わるだろうと私は考えています.つまり,それは,実際上,過去の芸術を保存する場所になるでしょう.すでに起きていますが,保存の難しい芸術の形式が現われています.芸術作品のテレコミュニケイティヴな役割は,本当のところ保存しえません──ヴィデオテープにパフォーマンス・アートを記録することが暗闇での叫びであったのと同様に.当然,それは作品の本質ではなかったのです.その本質はパフォーマンスそれ自体の瞬間だったのですから.

では,あなた自身の未来は?

あらゆる時間が,どんどん短くなっています.未来は不明瞭で驚きに満ちています.私は,オポチュニストでしょう.もし,そのことがネガティヴに思われないとすれば.私は,けっして強い意志の人間ではなかったのです.そのことは,私が未来に明確なイメージを持っていないということを暗示しています.私は,けっして,メディア・アート・インスティテュートのディレクターになるとは予期していませんでした.そして,20年以上もそれを演じて来たわけですが,依然,奇妙な役割であると思っています.私にとってはそのこと自体が奇跡でした.私は,けっしてそのように計画してきたのではないのです.私の個人的な生活の未来に関して言えば,一年位のうちに,私は人生に異なったリズムを与えることができるに違いありません.おそらく,私はもう一度アーティストになるでしょう.なぜなら,それこそが常に私の意図であったのですから.

アムステルダム,1996年11月

(美術史家)

翻訳:上神田敬