IT革命に賭ける

松本――それはできません.ゼネラル・パートナーは2年契約で,私は98年11月まで契約がありました.IPOは99年5月に予定されてましたから,そのプレミアム報酬を貰うとすれば,少なくともあと1期2年,つまり2000年11月まではゼネラル・パートナーを辞められなくなるのです.私は,これだけ流れが早く動きの激しい時期に,あと2年も自由な立場で仕事ができなくなることのほうがリスクが高いと判断し,ニューヨークの当時のコーザイン会長に辞表を出しました.ずいぶん引き止められましたが,顧問の肩書きだけ残して,契約が満了する98年11月に退職しました.

――独立起業する場合のリスクとして例えばどのようなものを想定されていましたか?

松本――ゴールドマン・サックスには競合禁止協約があり,退職後数年間は,証券業など競合する業務ができないことになっていました.そのためインターネット証券を起業できるかどうか退職前は不透明でした.結局,この件は交渉に時間がかかり,最終的に競合禁止義務からはずしてもらえたのは,辞職して4か月後の99年3月25日でした.そして翌4月にマネックス証券を設立しました.

――インターネット証券会社の起業にいたる背景として,それまでにインターネットや株式取引には,かなり経験がおありだったのでしょうか?

松本――いえ,証券会社に在籍していましたが,私は主に債券業務をしており,証券については業務経験もなく,個人的に株式を売買したこともありませんでした.また,インターネットについても,個人的にプロバイダー契約をして使いはじめたのが98年4月で,むしろ遅れているほうでした.それは98年3月にインターネットに詳しい人と知り合ったのがきっかけだったのですが,先生がよかったおかげで,インターネットによりビジネスが再構築されるという直感がはたらきました.インターネットと証券が融合したインターネット証券は新しいジャンルで,誰も経験者がいないわけですから,自分が手を挙げてもいいはずだと,思いました.

――インターネットにも株式取引にも経験の浅い松本さんが,巨額のIPO報酬を捨ててインターネット証券会社の起業に賭けたことには,そのロマンに共鳴する人も多いと思いますが,リスクとリターンを計算すると,一般的な理解を超えているようにも思います.かなりの確信と自信がなければ踏み切れないと思いますが,松本さんが,そのとき確信したIT革命による金融パラダイムの転換と,そこで生まれるビジネス・チャンスについてお聞かせください.


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