Special Article


ジョージ・ソロス
投資と慈善が世界を開く

橋本努
HASHIMOTO Tsutomu

00.通貨戦争に勝った男

 ジョージ・ソロスは多彩な人間である.史上最高額を稼いだ投機家であると同時に,東欧改革に取り組む最大の慈善家.また「開かれた社会」 [★1]の思想を世界に啓蒙する政治家であると同時に,すぐれた哲学的思考をもつ一流の評論家でもある.数々の類まれな能力に恵まれたこの男は,きわめて怪しい魅力に満ちている.彼は現在,20世紀最大の人物の一人として,歴史に名を刻むことを使命としているようだ.

 ソロスを世界的に有名にしたのは,1992年におけるポンド危機であった.イギリス政府は1990年にようやく欧州通貨制度(EMS)[★2]へ参加したものの,同国の経済学者や財界人たちは当時,イギリスがEMSから離脱すること,あるいはポンドを切り下げることを主張していた.1992年8月,イギリス政府がポンドの価値を維持できないだろうと予測したソロスは,イングランド銀行に対してポンドを徹底的に売り浴びせた.同年9月17日,ついにポンドはEMSを離脱し,ソロスは210億ドルもの利益をあげたといわれる.以降,ソロスは「イングランド銀行を叩き潰した男」という異名を取ることになった.

 また1997年6月に生じた東南アジアの通貨危機においても,ソロスの名は大きくクローズアップされた.アジア通貨危機の引き金となったのはタイ国通貨バーツの暴落であったが,その影響は各国に波及した.マレーシアのマハティール首相は,ソロスの投機がすべての原因であると名指しで批判している.「われわれは国づくりのために40年間働いてきた.そこに一人の人物がやってきて,1か月ですべてを破壊してしまった.――ほんの数日間でジョージ・ソロスは,数十億ドルもの損失を与えた.損失回復には数年かかるであろう」.

 通貨に対してこれだけの破壊的な影響力をもつソロスは,他方では,ハンガリーやロシアなどの東欧諸国における最大の慈善家でもある.最大の投機家にして最大の慈善家.しかもその手腕は,いずれも「開かれた社会」を構築するために捧げられているという.ソロスは哲学者カール・ポパー[★3]の弟子であり,師の主張した「開かれた社会」を啓蒙する役割を引き受けている.彼の多彩な能力は,しかしいったい,いかなる人格像にまとめあげられているのか.本論では,彼の人生を追いながら,「開かれた社会」の理念について考えてみたい.

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