新たな文化・社会の情報基盤としての次世代インターネット

グローバル・ネットワークの進展で「日本語」はどうなるか

 

青山――ご存じのとおり,インターネットで国境を越えて情報をやりとりする際,英語が実質的な国際標準語となっており,非英語圏同士でも英語でコミュニケーションしています.次世代インターネットの普及に伴って今後一層のグローバル化が進むことを考えると,日本人が使用する言語はビジネスなど,フォーマルな場での国際標準語の英語と,非フォーマルな場での感情表現や文化にまつわる表現をする母国語としての日本語の二つがどうしても必要になるでしょう.ちょうど関西の人々が学会などの発表の場では標準語的表現を用いながら,アフターファイヴで飲みにいったら関西弁丸出しにしないと自分の本当の感情表現ができないし生活の臭いがしてこない,と言われるのと同様ではないかと思います.シンガポールや香港の人々はすでにそういう状況になってきており,彼らは英語をなに不自由なくしゃべれることによって大変な利益を得ています.
じゃあ日本語を捨てていいかというと,それはとんでもない話で,ローカルで多様な文化が栄えることが人類社会を豊かにするわけで,それにはそれぞれの母国語が必要なのです.世界中がハンバーガーやフライドチキンのアメリカン・フード一色になったら地球に住んでいてもちっともおもしろくないですね(笑).

武邑――そうですね.われわれの研究室でもいま「日本語の未来」の研究をしているのですが,基本的には,いま青山先生がおっしゃった方向性だと思います.文化の根元にある,ある種のコードとしての言語というか,それはやっぱり深い思考だとかミームのような文化遺伝子でもあり,膨大な水脈であって,そういう母国語を根本的に変えることは,多様性の確保という意味では世界に貢献することにならない.ただ,それを表現する手段として,ソフトウェアとしての英語はやはり必要です.ですから多分二つ必要だという,いま先生がおっしゃったような方向が一番望ましいんじゃないかという気がします.

青山――最近の若い人たちの使う日本語の変貌には驚かされますので,日本語を今後どのように維持していくか重要な課題ではありますが,日本は21世紀のグローバル社会で豊かに暮らしていくためには英語を自由に使える能力の向上はますます重要になるでしょう.いくら日本語で主張しても世界では通らないもの.これは善し悪しの問題ではないですよ.今後はインターネットが使えることと,英語がペラペラとはいかないまでも,自分の意見が言えるようになることはわれわれの基本的要件になると思います.自動翻訳の開発もずいぶん進んできていますけれども,それで全部すむかというと,すまないと思いますね.小学校で英語とインターネットを習いはじめるというふうにはできないものでしょうかね.

武邑――日本語を文化としてとらえ,日本語を守るためには,日本の文化的プレゼンスというものをもっと提示していくべきだと思うんですね.伝統的なわれわれの感覚基盤とか,感性の様式がどのようなものであるのかということを,自国のプレゼンスを表出していくための努力として発信することが,インターネットのような新しいツールによってますます可能になってきているわけですからね.最後は個人の情報発信力というか,文化の情報発信力というものがかなり決め手になるんじゃないかと思います.新しい意味での国富というか,国の情報生産力というのかな,それを高めていくためには,どうしても個人レヴェルにまでおりていく必要がある.言語の同時性に重きがあるのではなく,文化の相互理解を補完する言語的交通性の確保だと思います.

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