ICC Special

コンピュータ・グラフィックス
半ば技術的な入門

フリードリッヒ・キットラー
Friedrich KITTLER

相澤啓一 訳

I(x,x')=g(x,x')[ ̄(x,x')+§U(x,x',x'')I(x',x'')dx'']
J・T・カジヤ

コンピュータ画像とは,コンピュータ・グラフィックスのアウトプットのことである.コンピュータ・グラフィックスとは,それが適当なハードウェア上で動かされると文字だけに限らない何かを見ることができる,というようなソフトウェアのことである.これは一見すると,誰もが知っていることであり,モニター上に見えるものはほかの場合と同じ視覚的な知覚であるように思われる.しかし最近芸術学が「画像とは何か」という問いを学んで以来,それにつづけて「コンピュータ画像とは何か」という問いを発することができるようになった.

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とはいえ,この「コンピュータ・グラフィックス――半ば技術的な入門」においては,コンピュータ画像とは何かというこの問いには半ばしか答えることにはならない.とりわけ,何かの上に描かれた画像とコンピュータ画像を比較し,あるいはまた減法混色と加法混色とを比較するという必要不可欠な作業には,ここでは立ち入らない.このように単純化したモデルで考えるなら,コンピュータ画像とは三原色を二次元で加算した混合であって,それがモニターの箱の枠ないしその付随物に映し出されるということになる.それは,新流行のコンピュータ・システムのグラフィックな面として控えめに表現されることもあれば,また逆に,リキを入れて「映像」と強烈に表現されることもある.が,いずれにせよ1998年現在の人々は,「コンピュータとコンピュータ・グラフィックスとは同一のものだ」という誤まった考えを何十億人もが一緒になって共有する傾向にあるようだ.もうかなり年端のいったハッカーだけが,その昔は違っていたことをきっとまだ覚えているのであろう.かつて,コンピュータ画像というものは,琥珀色ないし緑色の背景上の白い点にすぎないものだった時代があったのであり,そしてこのことは,技術史的に見るならばコンピュータ画像が例えばテレビに由来するのではなく,戦争メディアであるレーダーに由来するものだということを物語っているのである.

レーダースクリーンは,飛んでくる飛行機の証拠として現われるシミを,タテ・ヨコ・高さの三次元いずれにおいても正確にアドレスし,マウスクリックによって打ち落とせなくてはならない.
そしてコンピュータ画像は,レーダースクリーンにおける極座標が平行座標に置き換えられはしたものの,まさにこのアドレス能力というものを早期警戒システムから引き継いだのである.したがってコンピュータ画像では,半ばアナログの世界にあるテレビとは異なり,行(走査線)だけでなくて列もまた詳細な要素に分解されている.このいわゆるピクセルの集合が二次元マトリクスを形成し,画像上のすべての点に赤・緑・青の三原色の特定の割合での混合を指定しているのである.

軌跡と色価という二つの要素が,離散的ないしデジタルであるということから,あらゆる魔法のようなテクニックが可能となる.この点でコンピュータ・グラフィックスと映画やテレビとは大いに異なる.
視覚メディアの歴史が始まって以来初めて,例えば第849行,第721列にあるピクセルを,その前後のピクセルをたどることなく直接アドレスするというようなことが可能になったのである.つまりコンピュータ画像とはまさしく偽造可能性そのものなのであり,テレビ制作者や倫理的なジャーナリストたちが早くも震え上がっているのも無理はない.人間の目が一つ一つのピクセルをほかから区別することができない以上,コンピュータ画像は人間の目を,ある画像の見せかけや偽りの画像によってごまかすことができる.
しかし他方,必ずアドレスを決めることができるというピクセルの特性に基づいて,無数のピクセルが純粋な個々の文字から成るテクストの構造を作り出している.まさにそれだけの理由によってこそ,コンピュータ・モニター上でテキスト・モードからグラフィック・モードに,またその逆に変換するのは,まったく造作もないことなのである.

しかし,位置と色価の二重のデジタル性ということから問題も生じてくる.ここではせめてそのうち三つをあげておくこととしよう.

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