ロボットの生態系

自他の関係性と時間を意識する自我

浅田──ロボットでは,埋め込みやコーディングを明示的に書いてしまうと,その範囲内ではちゃんと動くけれども,少しでも外れてしまうと全然動かなくなってしまう.それはある意味では役に立つロボットなんですが,可塑性をつくっておかないと,個の同定なり相手をだましたり,ということができない.そういうことができるようになって欲しいと思います.

佐倉──それはよくわかりますね.これは動物行動学者のコンラート・ローレンツが言い出したことですが,私は生物の進化は一つの学習だと思うんです.遺伝子が環境に適応するということは,「学習」しているのだと言うこともできる.けれども個体の生涯における学習――普通の意味での学習――は,中枢神経系に情報を蓄えるメカニズムがないと不可能です.ロボットに学習させる場合でも場合でも,だんだん難しくしていくんですよね?

浅田──基本的には強化学習[★13]を利用していくんですが,時間の概念がないから,記憶はもっていないんです.いまは時間概念をいかに獲得するか,ということが問題になります.数コマとかの範囲での時間はあるんですが,それより長いシークエンスではない,というより明示的な時間的構造を使っていない.その意味ではまだ反応的なんです.

佐倉──それは難しいことなんですか?

浅田──どういうやり方でやるかによりますが…….私としては,ある種の経験や学習を通してできた構造のなかに,どのように時間の概念ができるのか,ということを考えたいと思っています.空間であれば,三次元情報なので,三次元のプロジェクションのなかで自分の位置関係が空間として得られますが,時間軸の概念は難しい.いまは単純に物理的な時計で入れてありますが,主観的時間については,時間のセグメントを区切って計っているんです.しかし,こちらの意図で分けるのではなくて,学習を通じて自律的に区切って欲しい.

佐倉──シュート成功率のようなロボットにとっての学習時間,主観的時間と,一方では物理的な時間もあって,という二本立て…….

浅田──基本的には物理的な時計があって,それが行動の構造化を行なっていますが,例えば明示的に,昨日,一昨日という区別は付けていないんです.そして,昨日はここまでしかできなかったけれど,今日はここもできた,という時間的なフォルムの構造化ができるようになって欲しい.そうするとロボット自身が自分の過去を語れるようになると思います.

佐倉──それは「ロボカップ」をはるかに超えた話ですね.これは直感的な話なんですが,生命の進化の過程では,細かい時間概念は多分出現していないと思うんです.人間の文化的な制度や教育の産物なんじゃないかな.文字とか数字とかいろいろ使うようになって,それで初めて「昨日,今日」みたいな話が出てきたんじゃないでしょうか.自然には発生しないんじゃないかと思いますけど.

浅田──それはいろいろな人に言われます.要するに人間は時間感覚が特殊なんだと.

佐倉──これもまたアフリカの話なんですが,村人からしょっちゅう果物を買っていたんですが,小銭がなかったりしてツケになることが多かったんですね.そうしたら,ある日おじさんが,「昨日のバナナ5本分のお金をもらっていない」と言うんです.そこで帳面を見ると,昨日はその人からバナナを買っていないことになっている.一昨日も一昨々日も買っていない.それでだいぶ口論したんですけど,いろいろ聞いてみるとバナナの売買があったのは2週間前なんですよ.それはちゃんと帳面の記録とあっていた.つまりそのおじさんには,昨日と今日と明日,あるいは過去と現在と未来しか,ヴォキャブラリーというか時間感覚がないんですね(笑).一日二日の区別はぜんぜんない.だけどこれは,どこでもついこのあいだまではそうだったのではないか.日本でも平安時代の結婚は,男が結婚したいといって三日間ちゃんと女のところへ通ってきたら正式の結婚式になって,「三日の餅の式」というのをあげたそうです.三日というのがやはり節目で,昨日とか今日とか数えられる時間を超越した,永遠の時間の象徴と考えられていた.結局世界中どこでも,細かい厳密な時間の概念が出てきたのは,やはり近代資本主義社会になってからではないか.そうだとすれば,ロボットに「今日の自分」「昨日の自分」と言えるようにしたいというのは…….

浅田──時間をどう捉えるかということは,最終的には自己を創出したいということです.時間概念をロボット自身がどう捉えるかということに関わってくると思うんです.

佐倉──そのときに,遠い過去・近い過去・いま現在・近い未来・遠い未来ぐらいでも十分なんじゃないでしょうか.10年前・3か月前・1週間前・一昨日・昨日・今日・明日・明後日……という概念が必要になってくるのかどうか…….

浅田――これは少し極端な言い方ですが,少なくとも自分がどう発達してきたかを語れるぐらいの時間的構造がないと,自己は出てこないだろうと思います.

佐倉――どちらが先なんでしょうね.自己ということがずっと同じだというのと…….

浅田――そこなんです.自己が同じだと思えることが大事で,これは他者もそうなんですけど,それを意識できるためには,何らかのかたちで時間がコード化できないとだめだと思いますね.

佐倉――「昨日,今日」という話になるとトップダウン[★14]の話かなと思いますが,もうちょっと漠然とした,「昔と今と未来」みたいな話はありうると思います.それはチンパンジーやゴリラだってもっていますよ.しかし先程も言ったように,それを意識できる要素や道具があるかどうかが重要だと思いますね.

浅田――少なくとも時間の概念のなかの自己と無数に絡み合っていると思います.それは,他者がいつも他者でありつづけるという同定が自己というものにとって本質的でありつづけるのと同じことなのです.

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