ICC Review

ICC Review

ビッグ・ブラザー
Big Brother

スティーヴン・サラザン
Stephen SARRAZIN

白井雅人 訳
Translation: SHIRAI Masato

ウッディ・ヴァスルカ
「ザ・ブラザーフッド」展

1998年7月18日−8月30日
ICCギャラリーA,D
Woody Vasulka "The Brotherhood"
July 18−August 30
ICC Gallery A, D



 ウッディ・ヴァスルカの仕事を70年代からずっと追ってきた人にとって,あるいは80年代にその作品を知った人にとって,この展覧会は,純粋なプロセスを離れてついに形をとるに至った一つのヴィジョンの完成,その成就を記念するものと言えるだろう.ヴァスルカは,他の先駆的ヴィデオ・アーティストたちに比べると,それほど知られてはいないかもしれないが,その実験的ヴィデオ作品は,日本でも多くのイヴェントやフェスティヴァルでたびたび上映されてきている.またヴァスルカは,重要な存在となってからも,常にその実験をもって自らを「代弁」させようとしてきた.内容と説明というものに辟易したヴァスルカは,それらに対して懐疑的であることで有名になったのである.さらに重要なのは,彼の作品がメディア・アートの一つの原点を示すものとなっていることである.それはナムジュン・パイクやヴォルフ・フォステルがなしたことと同様の意義をもつものとして理解されなければならない.ゲイリー・ヒルなどの現代のアーティストは,その映像に対する音の作用をいかに見せるかという点において,パイクよりもヴァスルカからより多くの影響を受けているのである.ゲイリー・ヒルやビル・ヴィオラと同様に,ヴァスルカが周縁のアーティストであることも注目に値する.ヴァスルカの作品はニューヨークで発表されて認められるようになったのではないのである.だが,ヴァスルカのたどってきた足跡からみても,その作品は,パイクのような「気前のよさ」や,言うまでもなく,フォステルのような不遜さをもちあわせることはなかったし,この10年ほどのアメリカの現代美術における,ローテクを中心としたメディアの使用からも,よそよそしく距離をおいている.20年以上の道のりをたどった後に開かれた,おそらく日本でしか実現できなかったであろうこの展覧会は,若い新進メディア・アーティストにとっての非常にすぐれたレッスンである.そこでわれわれは,具体化されるまでに若干の「現実の時間」を必要とした,テクノロジーの美学をまのあたりにするのだ.ヴァスルカの内的空間はついに悲しげなマシーンで満たされたのである.

 6点のインスタレーションからなるこの展覧会の特筆すべき様相は,ヴァスルカが観客に,それぞれのスカルプチャー=インスタレーションを実際の参加者として体験させるという,まさにその点にある.これに先立つ彼のヴィデオ作品は,プロセス化された技術の現象学的な探究であり,常に,カッコに入れられた瞬間であった.本展覧会のキュレーター,後々田寿徳による洞察に満ちたカタログの序文に示されているように,それはヴァスルカの映画との関わり合い,その方法論の問題なのであり,物語的な隔たりを作り出すテクニックのかわりに,すべてのシングル・フレームを電子メディアを使ってコントロールしようとする欲望,その一つのフレームのうちで,時間と空間の双方に作用することをめざす,絶えざる前進なのであった.ヴァスルカのヴィデオ作品の「内面」に迫ろうとするのは無駄なことだったのである.80年代に入り,ヴァスルカは二つの物語的テープ作品《ザ・コミッション》と《アート・オブ・メモリー》を制作,新しい方法がそこに登場することになる.ヴァスルカ自身は懐疑的だったのだが,ここにおいて物語は,初期のヴィデオ作品においては(そこにそのまま)とどめられることのなかった思想を内包することを可能にしたようである.

 その一方でヴァスルカを取り巻く多くの文化的神話は,このアーティストとモダン・イメージの歴史とのあいだのせめぎ合いの中身が何であるかについて,われわれに少しばかり明らかにしている.東欧のアンダーグラウンド映画,ニューヨークにおける「ザ・キッチン」[★1]の設立,アメリカ東海岸からシンボルに満ち満ちた空間,南西部への移住.開拓者たちと西部の人々,第二次世界大戦と殺人技術,コンテンポラリー・アート,そしてよりスマートな殺人技術を連想させる場所だ.《ザ・ブラザーフッド》というタイトルはアイロニックでもあり,ロマンティックでもある.なぜならこれらのスカルプチャー=インスタレーションは,ロスアラモス軍事研究センターで廃棄された余剰軍事物資を素材として作られているからである.《フレンドリー・ファイア》や《ステルス》《オートマタ》といった作品においては,その主題的,領域的空間がはっきりと示されている.その一方,《トランスロケーションズ》《スクライブ》《ザ・メイドゥン》においては,美的な意図のほうが優勢である.カタログに掲載されたインタヴューで述べているように,ヴァスルカは「物体の誘惑に屈した」のであり,この3点の作品は,彫刻的なハイブリッドがいかに進化するかについての興味深い考察の結果でもある.エルキ・フータモが性急に指摘しているように,それはデュシャンを思わせるかもしれない.だがおそらく,60年代,70年代の実験映画製作を考え合わせれば,より正確にはジャン・ティンゲリーなのだ.エンジニアや熔接工,コンピュータの専門家からなるヴァスルカの制作チームは,われわれの時代を特徴づけるメディアの美学と戦術,戦争と映像の,紛争と16mm映画の,地政学的な不安とリアルタイム・ヴィデオの,スマート爆弾と衛星放送の戦術を問題にしているのである.

 これらの作品の工業製品的な特徴は,今日の大方のインタラクティヴなメディア・アートにおけるのとは逆に,テクノロジーがはっきりと目に見えるところにある.だが,この展覧会はここでまた,プロセスとその期間限りの内容といった一時的な問題に限定されがちな議論の範疇,領域を明らかに超え出ているのだ.ヴァスルカがここに打ち付けるこぶしのその音が,90年代における重要な個展の一つをわれわれに見せてくれたICCの壁を越え,響き渡ることを望むものである.

■註
★1――フィルム製作から電子メディアに専念することになったヴァスルカが1971年,妻のスタイナおよびアンドレス・マニックと共同で,ニューヨークに設立した電子メディア・シアター.その後,ローリー・アンダーソンなどのパフォーマンスのメッカとなった.



スティーヴン・サラザン――映画およびメディア・アート評論家.パリ第8大学講師,パリESECプログラム部長.
目次ページへleft