ICC Review

ICC Review

〈拡散する書物〉と,
その裏返しの〈文字の表徴力〉の
不可思議さをめぐって

On the Enigmatic: "Proliferating Books" and Their Verso, the "Signifying Power of Writing"

臼田捷治
USUDA Shoji

「バベルの図書館
――文字/書物/メディア」展

1998年9月18日−10月25日
ICCギャラリーA
"The Library of Babel"―Characters / Books / Media
September 18−October 25
ICC Gallery A



 ICCの企画展として先頃開かれた「バベルの図書館――文字/書物/メディア」展は,「図書館」および「書物」がいま置かれている状況と,「文字」がもつ不可思議な活力についてさまざまな示唆を投げかける内容であった.

 展示のコンセプトはホルヘ・ルイス・ボルヘスの同名の掌編に着想を得ている.ボルヘスの描く図書館は20段の本棚がそなわっている6角形の回廊が,まさにバベルの塔のように際限なく左右,上下に続く.収められているのは「二十数個の記号のあらゆる可能な組み合わせ」からなる無限数の書物であるが,その全体像の把握となると,胡散臭いほどに多様をきわめる迷路状の「ことばの氾濫」を前に立ちすくむばかりである.

 参加アーティストは4人.70年代からヴィデオを手がける山口勝弘は,ヴィデオ・インスタレーション《モレルの発明》によって人類の歴史と世界各地の人々の息づかいを重層的に伝えながら,仕込まれたカメラがその前に立つ私たちの姿をインタラクティヴに映し出す.図書館が具現する,人類の知の生成と集積に私たち自身の身体が分け入るかのようだ.建築家の鈴木了二は,L字形の回廊《物質試行39 Biblioteca》を出展している.列柱がギリシア神殿を思わせるが,じつは,座標移動により反転してもとに回帰する空間性において,ボルヘスの主題である「無限世界」を鈴木らしい明晰さのうちに構築している.

 ところで図書館は人類の文字の発明とともに登場している.中島敦の短編「文字禍」の舞台となったことで知られる古代バビロニアの世界最古の図書館も,楔形文字を刻んだ粘土板を大量に所蔵していたように,図書館の主役はやはり文字であり,書物なのだ.その意味で私がとくに関心をそそられたのは,もう二人の作家,80年代前半からコンピュータを使った《非語辞典》シリーズを手がけている幸村真佐男と,中国生まれの美術家,徐 冰の試みであった.

 幸村は,音声を伴いながらコンピュータ・グラフィックスで文字を床面に投影する《四字熟語》と,書物としての《非語辞典》および4種の名言佳句集,歳時記で構成している.床に映される四字熟語は聞き覚えのある「色即是空」と思いきや,「色」と「空」の部分の文字がランダムに変えられていく似て非なる熟語なのだ.閲覧できる書物も「偽製名句」の無限に近い羅列.上記のボルヘスの小説に出てくる「ごった煮めいて支離滅裂なことばが長々と続く」一冊の本を彷彿させる.それでも私たちは,無意味とはわかっていながら,ついそこに語義を読み取ろうとする.はからずも私たちが背負う文化の表徴作用の強さに気づかされることとなる.

 徐の《天書》(書物とインスタレーション)はさらに人を食っている.一見漢字と見紛うけれど,注意して凝視するとじつはありえない文字なのだ.それもそのはず,驚くことにその「漢字」はアルファベットを組み合わせたもの.漢字はいわゆる「会意」と「形声」という方法に, 「偏」と「つくり」の原理を加えて膨大な体系を築いてきたわけであるが,ここではその原理にたってアルファベットをも飲み込み,疑似漢字に仕立て上げている.徐の作品に接して,私は改めて漢字のもつ造字能力に感嘆すると同時に,エイゼンシュテインが『映画の弁証法』のなかで漢字の〈合成〉の妙に強い関心を寄せていたことを思い起こしたものだった.

 もう一つ,私が本展から触発されたのは「図書館」のもつ宿命についてであった.図書館が本来目指すはずの書物空間と知の完結性は,現にいまもマンガ本の洪水や電子本などのニューメディアの登場によって日々浸食されつつある.ボルヘスの描く図書館も荒唐無稽なおとぎ話ではない.そこでの奇怪なまでの書物の拡散は,まさに「バベルの塔」が招来したことばの混乱のように,無数に増殖し,分裂してしまった現在の知の状況の寓喩として解釈可能ではなかろうか.4人のなかでもとりわけ幸村の作品は,このような知の自己解体を反語的に映し出すものだと言えるように思う.

[同展出品の徐冰,幸村真佐男の作品は,本号特集松枝到氏の論考の中にも掲載されています]


うすだ・しょうじ――1943年生まれ.出版社勤務.タイポグラフィ,文字文化,装幀論を中心に執筆を行なう.編書=『日本のブックデザイン1946−95』(ギンザ・グラフィック・ギャラリー).

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