ICC Report

移動する聖地トーク・セッション

「移動する聖地――
テレプレゼンス・ワールド」展
トーク・セッション

1998年5月7日/21日/28日/6月4日/11日/18日
ICC 5Fロビー



「移動する聖地――テレプレゼンス・ワールド」展に関連して全6回の連続トーク・セッションが,閉館後の5Fロビーにて行なわれた.モデレーターは監修の伊藤俊治氏と,出品作家であり,映像作品上映シリーズのディレクションも行なった港千尋氏が担当し,毎回1−2名のゲストを交え,「テレプレゼンス」に関わる多様なテーマについて語られた.伊藤氏はこの連続セッションのなかで,「テレプレゼンス・テクノロジーとは,精神のテクノロジーである」と語ったが,その精神のテクノロジーである〈想像力〉が生み出す「あちら」と「こちら」の臨界点がさまざまにあぶり出される内容となった.なお,20代を中心とした参加者は回を追うごとに増加し,約1000名の総参加数を記録した.

1)5月7日「想像力の博物誌」(ゲスト:ジョアン・フォンクーベルタ)
写真というメディアのもつテレプレゼンス性,「遠くのものがいま,ここにある」という本質が改めて掲示された.フォンクーベルタ氏は架空の動植物を題材にした作品などで知られているスペインの写真家だが,その初期の作品から最近の《SPUTNIK》のプロジェクトまでがスライドを用いて丁寧に解説された.写真のもつ真実と虚構の両義性をめぐる作品の数々は,まさに「Imagination = image +magic」(フォンクーベルタ氏)の大きな痕跡であった.

2)5月21日「憑依する音と映像」(ゲスト:今福龍太)
「憑依とは外界との接続回路の形成そのもののことであり,主体性ではなく関係性のみを指し示す」との今福氏の言葉を引き金に,憑依のシステムが現代社会のなかのメディア・テクノロジーとどのように結び付き,適応されているかが語られた.今福氏から「祭壇としてのテレビ」というシステムをうまく使ったチカーノのアーティストGuillermo GMEZ-PENAのCATV電波ジャック・パフォーマンスが,港氏からはヴィデオ・ドラッグやポケモン現象の元祖とも言うべきブライオン・ガイシンの《ドリーム・マシーン》が例に出された.

3)5月28日「分身と交信」(ゲスト:宇野邦一,豊島重之)
精神分裂症と演劇,アルトー,身体,分身の問題について話がすすめられた.臨床精神医である豊島氏が主宰するモレキュラー・シアターの公演ヴィデオを氏の独特の語りとともに観ることができた.患者(ali始氏^疎隔された人)に対して分析医(ali始iste/エイリアン主義者)が行なう診察(患者が察知したもの――幻聴/自己漏洩――を診る)という行為は,すさまじい勢いであふれていく患者の言葉のなかで,やがて聞くことと書くことが混濁してゆくという.氏の演劇もまたそれと似たコーポラリティをもっているという話は興味深いものであった.そして宇野氏の「器官なき身体は浸食を受ける開かれた戦いの場である」というアルトーの身体論へと話は引き継がれた.

4)6月4日「未来の聖地」(ゲスト:植島啓司,椹木野衣)
植島氏からエルサレムやルピュイを例にとりながら「移動しない聖地」論が提示された.聖地は,そこでまつられる宗教が変わっても脈々と聖地として受け継がれていくものであるという.その一方で,チュリンガや曼荼羅といったポータブルな聖地があり,それこそがイメージの構造の本質なのだと伊藤氏が展開した.港氏によるエアーズロックのペトログリフの映像,椹木氏による現代の聖地巡礼としてのロック・コンサート,ロックの身体的な運動とシェーカー教徒の儀礼との関連性へと話は及び,聖地のネットワーク,新しい聖地像が探られた.

5)6月11日「移動と神話」(ゲスト:旦敬介,西谷修)
西谷氏は,ラフカディオ・ハーンの移動が,マルティニークや松江といった常に「幽霊」と深く結びついた土地をめぐるものであったことを指摘.イメージの原形とは「幽霊」,つまり生きている人間の見るという経験を前提とする「あちら」の世界であり,それこそがテレプレゼンスの本質なのだと提示した.さらに,マルティニークで氏が撮影したヒンドゥーのサクリファイスの儀式の写真なども参照し,神話的空間とは「あの世」と「この世」が臨界することによって立ち現われると続けた.そのような「こちら」と「あちら」が地続きである場,つまり多孔質な場について,旦氏はサルバドール・ダ・バイーアやタンジェをとりあげ,そこから自らが多孔質な媒介者であったとも言えるウィリアム・S・バロウズのディクテーション(文学的なトランス状態)へと話は続いた.

6)6月18日「ネオ・シャーマニズム」(ゲスト:中沢新一,細野晴臣)
「聖地とはこの世における特異点であり,遠くにあるものが生々しく現前する場である.それこそは電話やラジオを始めとするテレプレゼンス・テクノロジーの特性でもある.距離を抹消する状態を音のテクノロジーが生み出してゆく」(中沢氏).「あの世」と「この世」の蝶番の役目を果たすシャーマンの旅,記憶,音楽から,現代のメディア・テクノロジーが拓く新しい「エクスターズする文化」の可能性へと話は展開した.細野氏が経験したネイティヴ・アメリカンとの旅,メディアの枠を超えてゆく音響派の音楽,シャーマンの太鼓,儀礼や芸能の声,洞窟内における絵画と音響の関係など,音の側面からテレプレゼンスの臨界点に迫った(本号pp. 168-179参照).

[若林弥生]

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