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リチャード・ガイ・ウィルソン+ダイアン・H・ピルグリム+ディックラン・タシジャン『アメリカの機械時代 1918―1941』

1986
槻橋修

 本書は1986年,ブルックリン美術館によって企画・開催された同名の展覧会のカタログである.工業デザインを中心としたアメリカにおける近代の美術・工芸,いわゆる装飾芸術をアール・デコや国際様式といったカテゴリーによって取り上げるのではなく,2つの世界大戦に挟まれた23年間の〈機械時代〉に共有された劇的な変化を背景とした共時的・連続的な事象として紹介している.工業デザイン,建築,家具・照明,服飾・テキスタイル,絵画・彫刻,写真等広い領域を装飾芸術として扱っており,400点余りに及ぶ豊富な図版と共にニューヨーク,シカゴを中心とするアメリカ文化の23年間を網羅している.アメリカにおけるジャーナリズムの発達とキュレーターの社会に対する影響力の大きさを実感する一冊である.

 内容は大きく三部に性格づけられた9つの章から構成されている.はじめの3つの章では,産業や交通機関の発達に伴って大都市の文化が遂げた美学上の変容について記述される.伝統的な美学との対立はあったにせよ,それがヨーロッパと同時的な現象であったため,自らのアイデンティティに渇望していたアメリカにとって機械の美学が比較的容易に受入れられた状況が描かれている.デュシャンがそうであったように,美術や建築,写真において19世紀末からヨーロッパで胎動した新しい都市の文化は第一次世界大戦の難民と共に大量に流入し,1924年の移民法の改正以後高度経済成長の中でアメリカ的熟成を受けることになる.産業とジャーナリズムは大衆の新しい地位を固めるために連動して機能し,〈機械〉はマス・イメージという美学を創出する役割を担ったのである.ロシア・アヴァンギャルドやアール・ヌーヴォーが〈機械〉に対して形式主義的な態度を備えていたのに比べて,1920年代のアメリカにおいて〈機械〉はむしろ偶像であったという指摘は,人々の生活と工業技術との関わりの深さという点で当時のアメリカの生活水準の高さを物語っている.

 続く第4,5,6章ではこうした美学の上で形態付与者(フォームギヴァー)の役割を果たすことになる橋梁やハイウェイ,輸送機械,建築にみられる大きな変革の事例が紹介される.「プレッツェル」と呼ばれるパークウェイや1930年代に造られたフーヴァー・ダムは,その圧倒的な巨大さが生む崇高性によって自然に対峙するものと考えられた.またマリネッティに始まる速度礼讃の傾向は,耽美的というよりも遊戯的性格を与えられ,軟式飛行船からダグラスDC-3へ至るエアロダイナミックな流線形のフォルムは合理性を離れてあらゆる工業デザインにもてはやされるようになる.〈機械時代〉における巨大さと速度という2つの形態的コンセプトは建築にも現われる.マンハッタンの摩天楼は常識を超えた巨大さゆえに熱狂的に建設され,ヒュー・フェリスのドローイングがその症状を端的に描いているという指摘はレム・コールハースの『錯乱のニューヨーク』(1978)に詳しい.また後者として代表的なバックミンスター・フラーのコンセプト「ダイマキシオン」は,1929年にシカゴで彼が行なった講演に際して生まれた言葉である.1933年に開催された「進歩の世紀博覧会」と共にシカゴにおける動きは,単に流線形のフォルムだけにとどまらず,合理主義的なシカゴ派の性格をも継承してアメリカン・デザインの〈機械時代〉を成熟へと導くのである.それは同時に〈機械〉が見慣れぬ異物として象徴化された時代から,人間を取りまく環境へと移行する機械テクノロジーの抽象化過程の重要な契機でもあった.

 第7章において構成主義やダダといった同時代の美術の流れとの関わりに触れ,第8章から第9章にかけて〈機械時代〉とデザインの流れが俯瞰的に総括される.第二次大戦への危機感と共に昂揚した20世紀的愛国主義(ペイトリオティズム)は機械テクノロジーに対する圧倒的な信頼を生み,抽象化したテクノロジーは人々の認識に以後深く根を張ることになると結論づけている.過熱した楽観的・理想主義的〈機械〉観は広島,長崎への原爆投下という衝撃によって鎮静化し,さらに60年代に至って公害・環境破壊が深刻化するにつれ〈機械〉は重工業とともにマス・イメージの王座を追われることになる.それはまなざしを変えれば機械と不可分と思われていたテクノロジーは罪を問われる寸前に抽象化を果たし,〈情報〉と〈意識〉に新たな宿主を見出したのだとも言えるのではないか.テクノロジーを20世紀理想主義における神的存在として捉えたとき,1918年から41年のアメリカにおいて〈機械〉が果たした役割とはまさにレヴィ=ストロースが言うような「考えるに適している」ために選出されたトーテムであり,現代の文化もまたテクノロジーのトーテミズムに無意識のうちに関与しているのではないかという不安を抱かずにはいられない.

(つきはし おさむ・建築計画学)

リチャード・ガイ・ウィルソン+ダイアン・H・ピルグリム+ディックラン・タシジャン『アメリカの機械時代 1918―1941』(永田喬訳),鹿島出版会,1988.

    

■関連文献
レイナー・バンハム『第一機械時代の理論とデザイン』(原広司校閲,石原達二,増成隆士訳),鹿島出版会,1976.
レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介訳),筑摩書房,1995.
ニコラス・ペヴスナー『モダン・デザインの源泉 モリス/アール・ヌーヴォー/20世紀』(小野二郎訳),美術出版社,1976.