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マーヴィン・ミンスキー『心の社会』

1986
佐倉統

 今のところ,人間と同等の心的能力をもった機械はまだ実現していない.だがそのようなAIを模索する過程で,人間の心そのものについては,莫大な知識が得られた.その成果の典型的なものが,本書だ.作ることで知る──アートとサイエンスの関係を逆転させた名著.
 ミンスキーの主張は,単純至極である.人間の心は,エージェントが多数集まってできているひとつの社会である.一つひとつのエージェントは,もちろん心をもたない.

「心とは何かを説明するには,心でないものから心がどのようにして作られるかを示さなければならない.つまり,小さくて,簡単で,知的とはみなせないようなものから,どのようにして心が作り上げられるのかを示さなくてはならない.思考とか感情をまったく含まないものをもとにして心を説明できるのでなければ,循環論法に陥ってしまうだけである」(p.4).

 つまり,自分とはひとつではない.自分の心は,実はたくさんある.

「ただ一つの中心的な自己という考え方は何の説明にもならない」(p.58).

 デカルト以来の西欧近代の知の,もっとも基本的な拠り所を,かくも簡潔に,そしてかくも豪快に葬り去った一節は,ほかにない.

 そしてミンスキーの考察は,葛藤や怒りや愛情など,ぼくたちの心の活動のさまざまな局面に及ぶ.ぼくたちが自分たちの心について,いかに何も知らないか,あるいは,何も知らないにもかかわらず,いかにも自分のことはよく知っているかのようなイメージを付与されているかを暴き出す.

「私たちが喜びのシステムをうまくコントロールできるとしたら,実際に何も成し遂げなくても成功の喜びを味わえることになる.こんなことがもしできたら,すべてはおしまいだろう」(p.88).

 これは,麻薬中毒患者を見ればあきらか.にもかかわらず,ぼくたちは,喜びをコントロールできたらいいなあと,日々錯覚している.

 外界のイメージだって,一種の錯覚である.性質の安定した要素に注意が向くようにして,それらをアンカーにして,ぼくたちは──ぼくたちの心のエージェントたちは,ぼくたちの行動が外界の状況に適したものになるように,外界のイメージを創出させる.

「私たちは,気まぐれに変わることのない性質が好きである.(……)性質の集まりとして最も役に立つものは,各性質が互いにあまりインタラクトしないような集まりである」(p.317).

 ぼくたちは,ぼくたちに適した外界や環境を,創り出す.心とは,そのための装置だ.そして,ぼくたちの思考や意識自体も,そういった装置として作られた錯覚(?)の一部にすぎない.

「意識という言葉で何を意味しようと,意識ということが明確になるとは思えない」(p.228).

「私の考えは,初めからあいまいなのであって,それを表現することはもともとできず,単に,別の考えに置き換えただけなのである」(p.330).

(さくら おさむ・進化生物学)

マーヴィン・ミンスキー『心の社会』(安西祐一郎訳),産業図書,1990.

    

■関連文献
フランシス・クリック『DNAに魂はあるか』(中原英臣,佐川峻訳),講談社,1995.
N・ハンフリー『内なる目』(垂水雄二訳),紀伊國屋書店,1993.
ダグラス・R・ホフスタッター『ゲーデル,エッシャー,バッハ』(野崎昭弘他訳),白揚社,1985.
ダグラス・ホフスタッター,ダニエル・C・デネット編著『マインズ・アイ』(坂本百大監訳),TBSブリタニカ,1983.
ロジャー・ペンローズ『皇帝の新しい心』(林一訳),みすず書房,1994.