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イリヤ・プリゴジン+イザベル・スタンジェール『混沌からの秩序』

1984
志賀隆生

 ある時期から,われわれは移り変わるものよりも不変のものを,不安定なものよりも安定したものを第一に考えるようになった.日々変化する世界,成長し変形していく生命,それらは仮の姿であり,その背後に潜む永遠に変わらぬもの,不動のものにこそ真理を読み取ろうとした.それは初め哲学者や神学者によって経験を通して考察されたが,やがて特別な条件の下で姿を現わす真実,すなわち実験,実証を基盤にした不変の原理の探求に重きを置くようになった.ニュートンに始まり,アインシュタインで頂点に達した近代科学の登場である.

 しかし,そうした近代科学によってより明確に位置づけられた世界像は大きな問題をかかえていた.一つは秩序と無秩序の問題であり,もう一つは可逆性と不可逆性の問題である.熱力学が明らかにしたエントロピー増大の法則は,世界が秩序ある状態から無秩序の状態へ移行するとしているが,自然界や人間社会では明らかに単純なものから複雑なものが生まれている.どのようにしたら無秩序から秩序ある構造が生じるのだろうか? また,近代科学は世界を時間的に可逆的なものととらえているが,世の多くの現象は不可逆的である.力学は静的,可逆的過程を取り扱い,熱力学は動的,不可逆過程を明らかにする.しかし,その二つの世界像は明らかに両立しない.

 世界は十分に複雑で,非決定論的である.これが,われわれの素朴な確信だ.世界は流れゆくものであり,うつろいゆくものだ.生物は十分に気まぐれであり,明日のことはわからない.近代科学が提示した世界像は,こうした世界の複雑性にも,生命現象という謎にも,精神の問題にも,そして不可逆過程としての時間にも十分明確な答えを提示することができないのである.

 イリヤ・プリゴジンは,不安定な状態,未分化の状態から,秩序が自発的に形成されるプロセスを明らかにして,そうした近代科学の難問に新しい角度から光を当てた.ある空間なり物質が十分不安定になれば,そこに蓄えられたエネルギーが散逸する過程で自発的に秩序が形成される.それが散逸構造であり,今日,複雑性の科学として知られる新しい科学の進展に道を開いたのである.

 本書はそのプリゴジンと科学史家スタンジェールによるもので,秩序と無秩序,可逆過程と不可逆過程という近代科学の超えがたい難問がどのように生み出され,それを超える新しい科学がどのように可能なのかを,近代科学の成立から現代まで3世紀の科学の進展を検証しながら明らかにしたものだ.そこで扱われているのは非平衡系,非線形の物理学であり,簡単に読み通せる内容ではないが,努めて専門外の人間にもわかるように丁寧に記述されており,最新の科学が時間と生命に対してどのような答えを用意しているかを知るには最良の本と言えるだろう.

 そこで明らかになるのは,時間は秩序形成の動因となるものであり,秩序と無秩序,可逆過程と不可逆過程とはそれぞれ対極にあるのではなく,連続した過程の一つの状態であるということだ.こうした視点から,自然界や人間社会の現象をより明確なかたちで記述できると,著者たちは考えている.

 新しい科学と科学史観の提示という点で本書は画期的な本といえるが,それでもいくつかの問いが課題として残されている.一つは,英語版の序文でトフラーも指摘していることだが,ここで提唱されている新しい科学もまた新しい決定論なのではないのかということだ.たとえばベルグソンが決定論的世界像に対抗して提示した時間と自由の問題,持続,生成,多様性に対して,(複雑性の科学も含めて)科学は十分な答えを示しているとは言い難いのである.

(しが たかお・メディア論)

イリヤ・プリゴジン+イザベル・スタンジェール『混沌からの秩序』(伏見康冶+伏見譲+松枝秀明訳),みすず書房,1987.

    

■関連文献
アンリ・ベルクソン『創造的進化』(真方敬道訳),岩波文庫,1979.
M・アイゲン,R・ヴィンクラー『自然と遊戯』(寺本英,伊勢典夫訳),東京化学同人,1981.
G・ニコリス,I・プリゴジーヌ『散逸構造....自己秩序形成の物理学的基礎』(小畠陽之助,相沢洋二訳),岩波書店,1980.
ヘルマン・ハーケン『自然の造形と社会の秩序』(高木隆司訳),東海大学出版会,1985.
ベンワー・マンデルブロ『フラクタル幾何学』(広中平祐監訳),日経サイエンス社,1985.
J・グリック『カオス....新しい科学をつくる』(大貫昌子訳),新潮文庫,1991.
河本英夫『オートポイエーシス....第三世代システム』青土社,1995.
ルーディ・ラッカー『ルーディ・ラッカーの人工生命研究室on Windows』(日暮雅通,山田和子訳),アスキー出版局,1996.