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ティモシー・リアリー『神経政治学』

1977
香山リカ

 現在,科学の世界はアメリカを中心にして“Decade of Brain”をキーワードに動いていると言われる.つまり,脳のハードウェアを解析するブレイン・サイエンスの推進こそが,生命や人間というものを理解する上で最も重要だというのだ.

 神経回路としての脳への着目.“60年代最大のシャーマン”と称されるティモシー・リアリーが行なったのは,まさにそれであった.神経組織を制御しあるいは解放するための手段としてLSDをきわめて“脳科学的な目的”で使用するという実験を繰り返したためにアカデミズムを追われたリアリーは,何度も投獄の憂き目にも遭ったが,その間も旺盛な思索と執筆活動を中断することはなかった.

 本書は,リアリーが70年代半ばにそうして獄中で書いた比較的短い文章を集めたものだ.タイトルから「神経政治」というコンセプトを理論的に説いた本をイメージするかもしれないが,そうではない.その当時のアメリカの政治,事件,犯罪,人物などに触発されながら,リアリーが自らの“神経回路への思い”をパッションとともに反復的に吐露しているマニフェスト集あるいはエッセイ集と考えてもらえばよい.

 実際,88年の新版に加えられた序文では著者自身もこう述べている.

「正直に言って,この頃は世の中から切り離されていて,ちょっと気が変になっていたし,時々発作的ないらだちをおぼえたりもした」

 とはいえ,“大脳の神経組織を制御し自在に操り,そして進化させたい”というリアリーの基本的姿勢は本書からも十分,読み取ることができる.

 この時期のリアリーは,神経回路から人間の心や意識といったインナー・スペースへ到達する道を探求していただけではなく,地球を離れ宇宙へ移住することを中心としたアウター・スペースにも強い関心を向けていた.彼は人類が“外”へ向かった拡大し進化するために必要な三つの要素を提示し,その頭文字を取って,SMI2LE=∞なる公式を作り上げた.すなわち,

「宇宙移民(Space Migration)+増大した知能(Increased Intelligence)+寿命延長(Life Extension)=全時空への人間知性の延長.SMI2LE=∞」

 一見,荒唐無稽にも見えるこの公式だが,予想される批判に先んじてリアリーはこう反論する.

「生命のあらゆる形は,喜びに満ちて自信を持って,発展して増殖するのが自然なのだ.(……)限りなく発展せよ.E=mc2だ.制限を行なう者に対する生命の答えは変わらない(……)発展! 浪費! 探険! 開発! 交換!」

 90年代に生きる私たちは,リアリーのこのメッセージを全面的に受け入れられるほど楽観的ではないだろう.しかし,神経が構成するネットワークの進化が限りなく拡張され他のネットワークとも融合するというこのイメージは,冒頭に述べたような“Decade of Brain”の潮流とも,さらにはインターネットに象徴されるような地球の電子ネットワーク化の動きとも重なることはたしかである.というより,現在,科学や文化のメイン・ストリームを形成するに至った脳科学やコンピュータ・テクノロジーの基盤に,私たちはこの“ポップで壮大で胡散臭い”リアリーのヴィジョンの影を感じずにはいられない.

 獄中にいてもなおかつ衰えない彼の直観力と未来との親和性.この本の中にある「私もサーファーだ.進化の波に乗っているんだ」と言うリアリーの言葉が,何よりそれを語っているのではないだろうか.

(かやま りか・精神科医)

ティモシー・リアリー『神経政治学』(山形浩生訳),トレヴィル,1989.

    

■関連文献
ジョン・C・リリィ『バイオコンピュータとLSD』(菅靖彦訳),リブロポート,1993.
ロバート・A・ウィルソン『コスミック・トリガー イリュミナティ最後の秘密』(武邑光裕訳),八幡書店,1994.
テレンス・マッケンナ『幻覚世界の真実』(京堂健訳),第三書館,1995.