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J・G・バラード『クラッシュ』

1973
山田和子

 科学とテクノロジーは20世紀を決定づける最大のファクターである.素粒子物理学−核兵器の出現は世界の政治/社会構造をドラスティックに変え,分子生物学は“人間”に対する考えかたの根底的な転換をもたらし,コミュニケーション/メディア・テクノロジーの進展は時空間認識を大きく変容させるとともに,旧来の現実‐虚構の境界線を決定的に崩壊させるに至った.20世紀の科学とテクノロジーは単に人間の“外部”環境を変えただけではない.それは,脳の内部,意識の深層にまで侵入し,精神の新しい表現と病理学とを生みだしている.

 J・G・バラードは一貫して,現代科学とテクノロジーが人間の精神に及ぼす意味を考察しつづけてきたSF作家だ.そもそもSFとはそうした現代をとらえるアート・フォルムであって,1957年の人類史上初の人工衛星の打ち上げに際して「今後,意味のある小説はSFしかない」とまで言い切ったバラードだが,この観点がより先鋭的に意識化され作品化されるのは1960年代の後半になってからのことだった.具体的には「科学とテクノロジーと精神病理学」というトライアングルを表現スタイルにまで反映させた実験的連作短篇集『残虐行為展覧会』(1970)がメルクマールを形づくり,次いで,この『クラッシュ』(1973)を第1作として“テクノロジー3部作”が書かれることになった.

『クラッシュ』は,車と性(=死)とマスメディアというマルティプル・フォーカスをめぐって展開される「世界最初のテクノロジーに基づくポルノグラフィー」である.メイン・キャラクターのシステム工学者,ロバート・ヴォーンは「エリザベス・テイラーとセックスしながら衝突死する」というオブセッションに取り憑かれ,ロンドン近郊,ヒースロー空港周辺の高速道路を走りながら,究極の倒錯死のリハーサル/シミュレーションを繰り返す.高速道路と車が構築する“テクノロジカル・ランドスケープ”,メタル・クロームの冷たい輝きのもとに暴力的に撒き散らされる血,内臓....ここで描かれるのは,テクノロジーが作りだした新しい人工自然であり,そのアーティフィシャルな環境下でより鮮明に浮かび上がる精神病理学である.
「熱核兵器システムとソフト・ドリンクのCMがともに住む,光あふれた領域を支配するのは広告と疑似イヴェント,サイエンスとポルノグラフィーである.そしてわれわれの日々の暮しを,20世紀の偉大なる双子のライトモティーフ,セックスとパラノイアが司る」とバラードは述べる.

 人工物との共生意識,そこに生起する新たな快楽,TVやコミュニケーションの虚構世界に対する現実感覚といったものが,以後ますます確たるリアリティをもって受けとめられるようになってきたことは,だれしもが認めるところだろう.湾岸戦争のTV中継しかり,コンピュータ・ネットワーク上でのヴァーチュアル・ライフしかり....『クラッシュ』でとらえられた科学/技術と人間の関係性は,今では疑いようもなく現代の精神文化の基底を形づくるものとなっている.『クラッシュ』の暴力的な性(=死)と人工物とのかかわりが不穏な感覚を生みだすとすれば....バラードの作品世界のイメージ的源泉でもあるシュルレアリスム絵画のように....,それはまさに20世紀における科学とテクノロジーの急速な進展と人間の意識の深層とのギャップが表層にまで浮上した結果にほかならない.フロイトの抑圧は,この現在においてもなお克服されてはいないのだ.
 アートが世界に対する人間の想像力の反応の表現であるならば,20世紀のアートは必然的に科学とテクノロジーを媒介とした精神病理学を対象とせざるをえない.『クラッシュ』はこの観念をあますところなく表現した作品であり,原著刊行後四半世紀を経た今日も現代小説の最前衛に位置しつづけている.

(やまだ かずこ・SF批評)

J・G・バラード『クラッシュ』(柳下毅一郎訳),ペヨトル工房,1992.

    

■関連文献
トマス・ピンチョン『重力の虹』(越川芳明他訳),国書刊行会,1993.
ウィリアム・バロウズ『ワイルド・ボーイズ』(山形浩生訳),ペヨトル工房,1990.
フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(浅倉久志訳),ハヤカワ文庫,1977.
ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』(黒丸尚訳),ハヤカワ文庫,1986.