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パオロ・ソレリ『生態建築論....物質と精神の架け橋』

1973
石崎順一

 それまで,機能主義的計画理論を推進してきたCIAM(近代建築国際会議)の崩壊を契機として,建築・都市へ向けての重要なプロジェクトやテクストが,1960年を前後して次々と発表された.「生態学的都市」としての《メサ・シティ》(1958−61)も,近代の機械論的な建築・都市に対抗する新たなヴィジョンとして構想されたものと考えられようが,本書においてはその設計者であるパオロ・ソレリの思想が語られている.

 なかでも注目すべきは,彼の設計原理の中核をなす「アーコロジー」なる概念である.アーキテクチュアとエコロジーの合成語たるそれは,都市の構成要素のそれぞれが複雑化と小型化によって高密に構造化された建造物を指し,内で行なわれる人間の多様な物質的,精神的生産活動が,そのような凝縮した都市構造の作用によって,より活性化されるという効果が期待されている.そこでは,生命体の進化において,より高度なエネルギー生成システムへ向かって複雑化,小型化していくという生態学の理論にアナロジーが求めらている.また,内的生成体として都市は,外に向かっては自然/宇宙のエネルギー循環網のなかにあるという意味においても,生態学的な存在であると考えられている.

 ここで,同じように機械モデルの近代都市・建築を乗り越えようとして,新陳代謝する存在としての生命体のアナロジーを提出していたメタボリズムとを比較・検証するとき,よりその思想の独自性が浮かび上がってくる.メタボリズムにとっての新陳代謝は,システムの端末部分が次々とヴァージョン・アップされていくというイメージにおいてであって,その部分はあくまでも全体のシステムに従属した存在にしか過ぎず,有機的な全体性をもつ生命体のヴィジョンに基づいたものではない.よってそれは,必ずしも近代の機械の位相を脱しきれているとはいえないであろう.

 一方,ソレリは「アーコロジーは精神生命の〈生態学〉であるような建築である」と述べ,まさに建築/都市の全体が,精神的産物を生み出す一個の生態であることを構想している.換言するなら,都市システムの全体性が不可分の有機的生命体であると考えられているのだ.彼自身は語っていないが,そのようなシステムのあり方は「脳」のイメージを連想させるものではないか.一個の生命組織であるニューロンが相互に極めて凝縮的に結合して脳細胞組織をつくり,それぞれの部分は固有の意味を持ち,その有機的なネットワーク・システムのなかで,高度に処理され新しい価値を内包した情報が産出される.その思想のなかに,テクノロジーの位相において,機械の近代テクノロジーはもちろんのこと,コンピュータに代表される現代のマイクロ・テクノロジーを超えて,脳のメカニズムを扱う近未来のナノ・テクノロジーのヴィジョンへの可能性を読み込むこともできよう.

 しかし,実施されたプロジェクトである《アーコサンティ》(1970−)に,いささか回顧的な共同体の風景を見てしまい,あたかも未来的生物のような《メサ・シティ》のドローイングが彷彿させていたまだ見ぬ未来都市への期待を感じることができないとき,ソレリの言葉は必ずしも都市のフィジカルな設計手法の革命的なアイデアとして昇華されていたとはいえないだろう.つまり,人間社会の新たなあり方を提示しえていた生態学的アナロジーの構想力の射程は,その具体化へ向けての新たなヴォキャブラリーを構築するまでには達していなかったと評することができるのである.

(いしざき じゅんいち・建築学)

パオロ・ソレリ『生態建築論....物質と精神の架け橋』(工藤国雄訳),彰国社,1977.

    

■関連文献
メタボリズム・グループ『メタボリズム』美術出版社,1960.
Archigram, Studio Vista Publishers, 1972.