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アンドレ・ルロワ=グーラン『身ぶりと言葉』

1964,1965
上野俊哉

 古生物学と先史学とを基礎に,言語学,民族学,人類学など人文諸科学のさまざまな知見を用いながら,先史時代の技術と芸術の歴史的変遷と今日的意味を大胆な仮説と考察で語り描いた20世紀の人間科学の記念碑的労作が本書である.

 直立歩行の確立によって,人類の口蓋や歯列は噛んだり飲み込んだりする労力を軽減され,口は発声と意味をもったことばの生成にひらかれる.身体を支えることよりもさまざまな作業に従事することになった手は多様な身ぶりを生み出し,そこに動物にはなかった社会的なリズムをもちこみ,やはり個体間のコミュニケーションに寄与する.この指摘じたいは必ずしもめずらしくはない.本書はここからこの枠組みを群れから社会へ,有機体から都市へと向かう人類史的な流れのなかに徹底的に埋め込んでいく.

 本書ではエレクトロニクスの技術やサイバネティックスの論理がかなり意識されており,コンピュータもメディアも存在しない時代を語る文脈でも現代のテクノロジーについての概念や話題が当然のようにさしはさまれていることに注意されたい.たとえば,ロケットの制御装置には下等動物のそれよりも複雑な「脳」があると見なされるし,人間の「脳」じたいも高度な比較対照を行なう装置として見られている.

 霊長類がものを操ったり,道具(に見えるもの)を操ったとしても,そこでは身ぶりと道具は混同されている.人類の道具においては,手は道具に原動力としての力を与える以外は道具から解放されている.逆に道具や機械は原動力としての身ぶりから切り離され,人間の能力をより大きく「外化」(物質化,具現化)する.この過程は物理的なものにとどまらず,予定されプログラムされた行動や,記憶や記録の能力をもつ「自動機械」の段階にまで進んでいく.道具や身ぶりが人間以外の器官(プロテーズ)に移行することによって記憶もまた外化の対象となる.本書において再三にわたって著者が機械的なパンチカードのになう記憶=記録の役割に言及し,「自動機械」の夢の果てに「人工的な人間」のヴィジョンを位置づけていることを見逃してはならない(8−9章).

 シンボル,表象,かたち(図,フィギュール)などがここでつねに道具や身ぶりとの関係で語られるのは,道具的,機械的世界観に由来することではなく,こうした記憶や記録に関する基本的認識のゆえである.この視角から重点的に旧石器時代人の芸術や技術に目が向けられているのであって,単に歴史をたどりなおすだけでなく,今ここのコミュニケーションこそが問題にされているのだ.

 また空間的には世界全体と個々の人間,マクロコスモスとミクロコスモスの対応から出発して,都市の構造と宇宙の構造(あるいは宇宙観)の照応が検討され,さらには社会組織や都市のかたちと身ぶりやリズムの関係を探究することがめざされる.この困難だが興味ぶかい課題にも本書は多くの頁をさいている.

 近代以降の輸送や通信のネットワークの発達によって,そのような個と全体の有機的な調和と照応はずたずたに引き裂かれ解体するが,そこに生まれる表象やシンボルの体系は逆説的にもより単純な有機体や動物社会の仕組みに近づいていく.こうした点への配慮と関心が,今もって本書をアート&テクノロジーをめぐる最もアクチュアルな著作として際立たせることになっている.家具,衣服,自動車,建築,都市,通信機器……などが人類進化のプロセスと並行して話題にのぼり,なおかつそれらが人間を人間たらしめる一種のメディアとして見られていく展開には,マクルーハンの「人間拡張の論理」との相同性もある.だが,ルロワ=グーランの議論の最大のポイントは,このような技術と道具(メディア)を通した人間化のプロセスが将来的には「非人間化」のプロセスでもあることを洞察していたことにあるかもしれない(13章).

「エレクトロニクス機械」が戯曲を書き,絵画を描き,恋愛をはじめる(9章)ような事態の手前,あるいはその彼方を思考するために,本書は手,言語活動,知覚運動皮質の三角形のただなかで人間が技術を作ったのではなく,技術(あるいは芸術)こそが人間を作り上げたという仮説を多様に提示している.ベルナール・スティグラーの『エピメテウスの過ち』(『技術と時間』第1巻)が参考文献としては必須であろう.

(うえの としや・社会思想史)

アンドレ・ルロワ=グーラン『身ぶりと言葉』(荒木亨訳),新潮社,1973.

    

■関連文献
Bernard Stigler, "La faute d'Epimethee," La technique et le temps, vol.1, Galilee, 1994.
港千尋『注視者の日記』みすず書房,1995.
Regis Debray, Manifestes mediologiques, Gallimard, 1994.
Regis Debray, Vie et Mort de l'image, Gallimard, 1992.