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マーシャル・マクルーハン『メディア論....人間の拡張の諸相』

1964
中村秀之

 テクノロジーの変容それ自体のなかに,この変容に対する知覚の訓練の契機が孕まれている.このことを,つとに映画というメディアに関して論じたのが「複製技術時代の芸術作品」におけるベンヤミンだった.本書の著者もまた,メディアの技術変容そのものによって,「芸術」の機能が,この変容の効果の意識化や「知覚の訓練」の手段へ転換すると主張し,その限りにおいて「芸術」に希望を託している(ペーパーバック版への序文).著者はまた,衝撃とそれに対する神経の防衛や「くつろぎ」の肯定など,ベンヤミンと共通の主題を論じている.しかし,ベンヤミンがそうした問題を,商品世界の幻像からの覚醒というアクチュアルな課題との関連において論じたの対し,著者の最重要課題は,人間の諸感覚の均衡を回復ないし維持するという伝統的・人文主義的なものである.

 副題が示すとおり,本書の著者にとって,メディアとは「人間の拡張」である.身体は,過度のストレスに対する自己防衛として,負担を担いきれない部分を分離し,外化する.例えば「車輪は足の拡張した」ものである.メディアは何らかの内容を伝達するものというより,「人間の結合と行動の尺度と形態を形成し,統制するもの」である(「メディアはメッセージである」).しかし,この拡張そのものが,新たな衝撃をもたらし,新たな拡張を促進する.その結果「機械」の時代の「身体諸器官」の拡張(「外爆発」)は,「電気」の時代の「中枢神経組織自体」の拡張(「内爆発」)へと「進化」する.これは,意識や認識の人間社会全体への拡張であり,全人類を自身の世界へと巻き込む「人間拡張の最終相」である.この局面は,著者にとっては危機というよりも,むしろ好機と受けとめられている.「機械」の時代のメディアは,諸要素を線的かつ連続的に連結して諸感覚を専門分化し,とりわけ視覚を特権化することで,対象から隔たった特定の「視点」から超然として「見解」を披瀝するような諸個人を産み出した.それに対して,「電気」時代のメディアは,有機的全体を瞬時に構成することによって,すべての感覚の統合と,全感覚をあげての「深層の関与」を要求する.つまり,「内爆発」の段階にまで進化したメディアは,〈人間の「感覚比率」の均衡の回復もしくは維持〉にとっての技術的前提をもたらすものなのである.メディアを「ホット/クール」という,それらが要求する「感覚比率」の差異にもとづいて大別することの意味は,そこにある.ホットなメディアは,個々の人間においては感覚の分離を,対象との関係においては排除を,社会的結合の点では流動化もたらす.クールなメディアは,それぞれ感覚の統合と深い関与と安定化をもたらす.このような経験的範疇によるいささか強引な分類は,著者にとっては,メディアを包括的に認識し,多様な衝撃のなかで「感覚比率」を矯正するのに役立つものだ.

 とはいえ,メディアは人間の拡張であるという本書の根本的着想を,進化論的展望にもとづいた調和的全体への要請に従属させるのではなく,むしろ歴史的で局所的な諸問題の検討へと散開させるべきである.例えば,身体の拡張を実際に外部に切り離されたものと見なす「ナルキッソス的陶酔」を,著者は再三批判する.具体的には,「重要なのは用い方」だというような「技術馬鹿」の反応である.この種の言わば道具主義の過ちは,メディアの内容が別の古いメディアであることを失念している点にある.「テレビの〈内容〉は映画だ」(そして映画の〈内容〉は小説である).メディアのこうした重層性を見逃すことは,それぞれのメディアの種別性を見逃すことである以上に,そこに累積された欲望の変容をも見逃すことになるだろう.「拡張」の歴史の多様な「中間」において生起した出来事こそ,「知覚の訓練」としての「芸術」の具体的な役割を明らかにするものであるはずだ.

(なかむら ひでゆき・社会学)

マーシャル・マクルーハン『メディア論....人間の拡張の諸相』(栗原裕+河本仲聖訳),みすず書房,1987.

    

■関連文献
ヴァルター・ベンヤミン『ベンヤミン・コレクション I 近代の意味』(浅井健二郎編訳,久保哲司訳),ちくま学芸文庫,1995.
ルイス・マンフォード『権力のペンタゴン』(生田勉訳),河出書房新社 1973.
ヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史....19世紀における空間と時間の工業化』(加藤二郎訳),法政大学出版局,1982.
ジル・ドゥルーズ,フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(宇野邦一他訳),河出書房新社,1994.
Friedrich Kittler, Discourse Networks 1800/1900, Stanford University Press, 1990.
Jonathan Crary, Techniques of the Observer: On Vision and Modernity in the Nineteenth Century, MIT Press, 1990=遠藤知巳訳,十月社近刊.