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ヴァルター・ベンヤミン「複製技術の時代における芸術作品」

1936
上野俊哉

 複製技術はオリジナルが持っているアウラの消滅をもたらす.しかし同時に,複製技術こそがアウラを発見させる.これは逆説でも裏読みでもない.この論文の可能性の中心はまずもってこの点にある.ベンヤミンもはっきりと「精神分析によって無意識の衝動を知るように,ぼくらはカメラによって初めて,無意識の視覚を体験する」(野村修訳,p.99)と言っている(同じ論法は「写真小史」にも見られる).

 オリジナルがもっているとされる今ここの一回性,真正性は複製技術やその可能性を排除する.だが,むしろその対立の構図こそがオリジナルに固有のアウラをあぶりだす.そもそもアウラについての定義のなかにこの両義性は刻み込まれている.「いったいアウラとは何か? 時間と空間とが独特に縺れ合ってひとつになったものであって,どんなに近くにあってもはるかな,一回限りの現象である」(野村修訳,p.69).アウラとはこのように「遠さ」と「距離」をめぐる経験である.複製技術とは,この「距離」を操作することによって事象や表現の一回性を複製において「近づける」ような技術である.そしてこの「近づける」テクノロジー的布置のなかでこそアウラの「はるかさ=遠さ」は事後的に際立ってくるのである.この論文において,オリジナルと複製の二項対立はここからいくつかのヴァージョンに繰り返し変奏されていく.芸術作品の「礼拝的価値」と「展示的価値」,魔術など「自然を制御する第一の(太古の)技術」と「自然と人間の共同の遊戯をめざす第二の(現代の)技術」,「患者との自然な距離を保ったまま,この距離を自らの権威によって広げる呪術師」と「病人をモノ=対象としてあつかいその内部にわけいっていく外科医」といった対立項があげられている.一連の対立項においてベンヤミンはそのどちらかを優位におくという議論をすることはない.ベンヤミンはこれらの対立の両義性にふみとどまり,概念と概念の「距離」を精確に分析する.

 複製技術によるアウラの崩壊においてその概念をクローズアップしようとするさいに,ベンヤミンが格好の例として用いたのは写真や映画という機械の目(カメラ)による表現メディアであった.カメラにおいては映像と指示対象との「距離」が操作され,また両者の間に時間的なずれが生み出され,イメージに固有の時間性が露呈する.写真におけるスナップショットの機能をベンヤミンが重視し,さらにスナップショットの連続体としての「映画」をこの論文において特に彼が重要視したのはそのためである.芸術はこれまで存在しなかったような「新たな需要」を組織する.映画もまたその例外ではない.

 複製技術としての映画はこの需要を「集団的」なかたちでもって実現する.ここにその20世紀文化における重要性がある.映画は複数のイメージ=映像のモンタージュ,組み合わせにおいてできているだけでなく,それじたいが複数の人間を組織化し,動員し,接合させる.それはプロデューサーやカメラ技師などからなる「委員会」という主体において作られる(この論文と同じ年に中井正一の「委員会の論理」が発表されている点に注意されたい).この集団的なプロセスにおいて「作家と公衆とのあいだの区別」は変容し,反転可能性さえ持ちはじめる(ここにすでにインタラクティヴィティの問題も生まれている).

 映画はクローズアップ,スローモーションといった情報編集によって見馴れた都市の風景のなかに「物質の新たな構造」がひそんでいることを明らかにする.映画は惰性化した知覚と情報の環境を「爆破」してしまう.新しいテクノロジーはつねに新たな知覚的ショックを生み出すが,20世紀前半において映画はさまざまなテクノロジーによって生まれるショックを,それじたい新しいテクノロジーによってたどりなおし,再記述する試みでもあったのである.

 だが,このプロセスはかつての芸術鑑賞のような精神集中とは違った態度を大衆=公衆に要求する.大衆は複製技術を「くつろぎ」や「気散じ」において受け取る.それは視覚的集中ではなく,触覚的な馴れの知覚を集団的に組織している(ちょうどイメージが複製技術において組織されるように).これは弛緩した感覚受容を指すのではない.むしろ,重点は技術のもたらす感覚的ショックが集団的に馴らされていく過程にある.この論文の結論がファシズムに対する批判になっていることは,映像の組織化と大衆の動員を交差させて考えるという視角から読まれなくてはならない.これは依然,現在の問題でもある.

(うえの としや・社会思想史)

ヴァルター・ベンヤミン「複製技術の時代における芸術作品」 『複製技術時代の芸術』(ベンヤミン著作集 2)所収,(高木久雄+高原宏平訳),晶文社,1970.『ボードレール 他五篇』(ベンヤミンの仕事 2)(野村修編訳)岩波文庫,1994.

    

■関連文献
石光泰夫『身体 光と闇』未来社,1995.
Rey Chow, Writing Diaspora: Tactics of Intervention in Contemporary Cultural Studies, Indiana University Press, 1993. 
Rainer Rochlit, Le desenchantement de l'art: La philosophie de Walter Benjamin, Gallimard, 1992.
Susan Buck-Morss, The Dialectics of Seeing:Walter Benjamin and the Arcades Project, MIT Press, 1991.
中井正一「委員会の論理」,久野収編『中井正一全集』第1巻,美術出版社,1981.