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ジョルジュ・バタイユ『ドキュマン』『社会批評』

1929,1934
上野俊哉

 一般的に語られるコミュニケーションと,バタイユの言うそれは大きく異なっている.今かりに後者を前者と区別するためにフランス語の「コミュニカシオン」という語で呼んでおこう.コミュニケーションがさしあたりAとBのあいだの情報の交換,伝達であるとすれば,「コミュニカシオン」とはそれによってAとBがお互いを変容させ,安定した自己同一性をもつことのできない次元にまで向かう情報の交換と伝達の関係を意味している.

 バタイユにおいてエロチシズムや消費の経済(浪費や贈与)はこうした「コミュニカシオン」の行為と現象にほかならなかったが,芸術や遊戯,技術もまたバタイユにおいてはこの「コミュニカシオン」の過程として見られることになる.何かの目的のための手段としての伝達ではなく,何のためにもならない,それじたいが目的にほかならない伝達の区別は,「まじめ」な行為と「ふまじめ」な行為や「遊び」を区分する差異ではない.なるほど,ホイジンガやカイヨワによる遊戯概念であればそのような二項対立のなかに位置づけられるかもしれない.しかし,バタイユが見出そうとしている差異はそうした対立には回収することができない.

 そのためだけに存在する行為,「たわむれ」をバタイユは「至高性」として抽出し,いかなる場合にも存在する過剰を浪費する贈与,供犠,犠牲の経済の視角から社会と文化を考える.ラスコーやアルタミラの壁画のなかの狩猟や暴力,ゴッホの身体毀損に彼が「犠牲」を見出すのはこのためにほかならない.「コミュニカシオン」には暴力と力の濫費が連動している.

 つまり,融和的な交換でもなく,また調停不能な対立でもなく,ぎりぎりの違和とダイナミックな対抗関係をはらみこんだ伝達=交換だけが「コミュニカシオン」の名にあたいするのだ.「犠牲は,それなしにはまじわりがあり得ない断絶なのである」(「究極の瞬間」).このことは今日のアート&テクノロジーの文脈ではおそらく「インタラクティヴィティ」(双方向性や相互関与性)の問題でもあるだろう.テクノロジーやメディアの批評=危機的な瞬間と契機を欠いたところには弛緩した相互関係しかありえない.「インタラクティヴ」概念の可能性の中心は「コミュニカシオン」,すなわち他者との「まじわり」(社会的沸騰)のなかにある主体たちのがわにあるはずだ.さらにバタイユは低劣なもの,下位のものから出発する思考を「唯物論」と位置づけ,キリスト教神学からヘーゲルにいたる流れに代わって,グノーシス派などの異教に内在する質料,闇,悪の概念のがわから多形的かつ創造的な力をもつ「低俗唯物論」を主張した.これが彼の芸術批評や美学をもつらぬいており,異教の神々のメダルや像から黙示録の細密画,見世物の「異形」や「不具」,さらには足の親指の魚の目までがこうした美学の対象とされる.居酒屋での酩酊と麻薬による陶酔,そして異教崇拝の恍惚や芸術的崇高のあいだを「至高性」の美学が横断していくことになる.

 だが,バタイユの思考は単に美に醜を,善に悪を,高次の秩序に低次の侵犯力をつきつける弁証法に帰されはしない.バタイユがもっともよく使う比喩で言えば,太陽は認識の最高到達点を示す光の象徴だが,同時にそれを直視する者の目を焼きつくす悪しき暴力であり,またそれは生産と豊穰の象徴でありながら,損耗と消滅の力の場でもあった.バタイユはむしろ同質性のただなかに異質なものがつねに蠢いていることをあらゆる領域で指摘し,この立場の徹底的な追求に「低俗唯物論」とその美学を置いていたのである(このことは「ファシズムの心理構造」では社会的な次元において分析される).以上のような論理をふくむ評論をバタイユが発表したのは主に30年代の雑誌『ドキュマン』や『社会批評』誌であった.バタイユは反ファシズムの政治闘争,離反,集合を繰り返したシュルレアリスム周辺の芸術運動のただなかでこれらの思考を展開していたのである.バタイユが多かれ少なかれ影響力をもったこれらの雑誌ではその政治性もさることながら,「高級文化」から低俗なものとされたマンガやキャバレー,祭りやジャズなどの「大衆文化」に熱心な目が向けられている.ここに20世紀全般を通底する「文化研究」の先駆形態を見出すこともできる.

(うえの としや・社会思想史)

ジョルジュ・バタイユ『ドキュマン』『社会批評』(片山正樹訳),二見書房,1974.

    

■関連文献
ジャン=リュック・ナンシー『無為の共同体....バタイユの恍惚から』(西谷修訳),朝日出版社,1985.
モーリス・ブランショ『明かしえぬ共同体』(西谷修訳),朝日出版社,1984.
西谷修『夜の鼓動にふれる....戦争論講義』東京大学出版会,1995.  
西谷修『不死のワンダーランド』青土社,1990.