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エルウィン・パノフスキー『〈象徴(シンボル)形式〉としての遠近法』

1924,1925
松岡新一郎

 遠近法をめぐる議論を,混乱,時に誤謬へと導く最たるものとは,遠近法に対するわれわれの分裂し,相容れない二つの概念の共存である.すなわち一方でユークリッドあるいはデカルトの幾何学から枝分かれした,形式的で,厳密に定義された数学の一部門,単に等号,点,線,角度,そして幾つかの幾何学的な操作を意味するだけの遠近法があり,われわれはそれが最初に現われたと言われる時間と場所....ブルネレスキの実験....を特定することができる一方,主観性から永遠性に至るまで多くのことを意味し,哲学のテクストから政治演説にまで至るところで(潜在的に)見出される,いわば隠喩的遠近法というものが存在し,われわれが世界を見る仕方を記述し,われわれを視覚の主体として構成する,そうした事態である.現代の遠近法研究が遠近法作図の起源,しばしば一括りにされる三つの出来事....遠近法の発端とされるブルネレスキの実験(1413年頃),現存する最古の遠近法絵画であるマザッチオの《三位一体》(1427―28),最初の書かれた記録であるアルベルティの『絵画論』(1435)....の周辺に集中したのは,数学的に厳密な遠近法がそこには見出され,あらゆる隠喩的意味から解放されて客観的な分析の対象となるであろうという見通しに立っていたからであり,その結果そこではある一つの形態で発見(ブルネレスキ)され,後の芸術家たちによって練り上げられた唯一の遠近法,ある一つの場所(フィレンツェ),時間(1413―35)に起源を持つ遠近法という虚像が反復されることとなる.しばしばそうした虚像に(実際には17世紀になるまで概念化されることのなかった)消失点がアナクロニックに描きこまれることで,ルネッサンスの絵画実践は数学的作図法と合致し,他のすべての画家の方法が比較参照される規範であったかのように見なされる.

 パノフスキーもまた,事物が平面に投影されることによって構成される幾何学空間は,球面に投影される網膜像と合致しないが故に,われわれの視覚の忠実な再現とはなり得ないという誤謬(網膜像を持ち出すことに意味があるとするならば,それは〈魂〉が見るのは事物それ自体ではなく,網膜に形成される影像であるという幻想を画家が共有する限りにおいてであり,それを徹底するためは絵を網膜像に倣って逆さまに呈示する必要があろう.また絵がわれわれの視覚に合致するか否かを決定するのが何れにせよ眼を通してであるならば,平面投影によって解消された〈周辺部のゆがみ〉,視覚像の彎曲も網膜を通過することで回復されるはずである)を冒してまで,ルネッサンスに成立した遠近法作図と現実との齟齬を証明し,にも拘わらずそれが長いことわれわれが見るものを写し取るための唯一の方法であり続けたのは,われわれの文化の知的な配置(ディスポジティフ)が要請したからに他ならないという相対主義の立場を明確にしたはずが(第1章),古代,中世の空間体系を論ずる段(第2章)になると,15世紀の遠近法に何らかの権威,規範を認めてしまっているのである.とはいえ,古代から中世に至る美術の展開を,「無限で連続的な等質空間」を二次元平面上に表象する体系を完成する歩みに還元するという明らかな目的原因論(フィナリスム)に合致させるべく,しばしば飛躍する論理によって強引に結び付けられてはいるが,それだけを見れば類稀な....内容よりも形式に関心が集中していた同時代の芸術実践に対する反動であるかのように,芸術作品の内容のみを対象とする後のイコノロジーにはない緊張をはらんでいる....パノフスキーの形式分析には依然として多くの可能性が認められる.ここでその全ては到底列挙できないものの,15世紀の〈数学的〉遠近法は経験的空間を対象としつつそれを捨象するという(幾何学と生活世界の結び付きを暗黙の前提とする)命題が,ルネサンスの遠近法を〈真理〉と見なし,古代,中世の絵画平面はそのためにそれぞれの役割を果たすという一連の還元の契機となっているのならば,そうした命題を忘れること,差し当たっては絵画平面を表象の物質的な支持体,何らかの印が記載されることで生じる潜在的な平面,図がその上に浮き上がる地,背景の三つに区別するだけでも,パノフスキーの分析は別の相貌を現わすはずである.

(まつおか しんいちろう・美術史,表象文化論)

エルウィン・パノフスキー『〈象徴(シンボル)形式〉としての遠近法』(木田元+川戸れい子+上村清雄訳),哲学書房,1993.

    

■関連文献
佐藤忠良他著『遠近法の精神史』平凡社,1992.
Hubert Damisch, L'origine de la perspective,Flammarion, 1987.
M・メルロー=ポンティ『知覚の現象学(1・2)』(竹内芳郎他訳),みすず書房,1967,1974.