InterCommunication No.16 1996

Feature


プロローグ――イントロダクション

彦坂裕――僕は世界には大きく分けて五つの差別があると思っています.まず民族差別,次に性差別,そして日本ではなかなか問題化しませんが,年齢差別がある.この三つはレイシズム,セクシズム,エイジズムといってアメリカでは三大差別と言われているものですね.残り二つが,マイノリティとハンディキャップをベースにする差別です.社会的不平等も経済的不平等も,さらに言えば文化的不平等も,こうした差別を根本的な動機にしながら生産されている.これらのいくつかの格差に対し,是正という大義を持つテクノロジーやソフトウェアが,特に近代社会において開発されました.もちろんそのなかには,かつての軍事技術が舞台技術へ転用されていったようなオルタナティヴ化も含まれています.IQの理念や多くの教育メソッドなんかもそれに近い.IQ100へのノーマライズの方法であったものが,120を130へ上げるというアクチュアライズのために使われる.もっと平板に言えば,障害者に適用する能力向上のメソッドを,健常者に適用していくわけですね.現在の幼児教育のほとんどがそうです.
 こうした差別をより広義にとらえるとすれば,教育,療育,娯楽といったコミュニケーション開発は,すべて差別の是正が基本的なモチヴェーションになっている.一方で,ノーマライゼーションやイコライゼーションは平準化の論理でもあるわけで,本来はそれに多様に自立するコミュニケーションの形態といったものを対置しなければならない.障害者の社会適応も子供の教育も,結局はすべてコミニュケーションをめぐる問題です.まず,そこではセラピーやメディカルなフレームのなかでのテクノロジー・エイドのコミュニケーション形態や新たなインターフェイスの開発,あるいはマルチメディアの活用に関する事柄,それからチルドレンズ・ミュージアムやチルドレンズ・ホスピタルを含めた教育社会環境の問題,ここ数年方々で話題になりつつあるエデュテインメント活動なども当然話に出てくるでしょう.セサミ・ストリートやかつてのBBC-2,もちろんディズニーなどもそうですが,パイロットや宇宙飛行士など特異な体験の持ち主が開発者のなかに名前を連ねていることはよく知られています.そうしたインターフェイス環境を創造する主体とその方法論の問題にも面白いものがあります.
 先に,核になるテーマとしてコミュニケーションのことを言いましたが,このことで興味深く覚えていることがあります.何年か前にラ・ヴィレットの館長に聞いたことですが,基本的なコンセプトとして,「プレジール・ド・コンプランドル(plaisir de comprendre)」を最重要視していると言うのです.つまり「理解することの喜び」を基調に,コミュニケーション施設のデザインとマネジメントを考えている.「コンプランドル」の意味は,“com”は「共に」,“prendre”は英語の“have”ですから,共に持つ,すなわち共有するということが理解するということと同義になる.人間同士がなにがしかの時間・空間を共有すること,実はそれがコミュニケーションの出発点であり,ひょっとしたら最終点でもあると思ったおぼえがあります.コミュニケーションということ自体を,さらに再度検証し直すことも必要なのです.これはわれわれがいま進めているICCの活動にとっても重要な事柄ですし,また本誌の文脈から言えば,創刊号で伊藤俊治,武邑光裕,藤幡正樹の三氏による鼎談「フロンティア・オブ・コミュニケーション」に対して,別の視角からコミュニケーションの問題を眺めていくことにもつながっていく.
 今日はそのあたりを踏まえて,テクノロジーとコミュニケーション環境の関係性や新しいヴィジョン,さまざまな試みについて,主としてハンディキャップや子供といった視点から,森岡祥倫さん,大月浩子さんと考えてみたいと思います.


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