InterCommunication No.16 1996

Feature


仮想空間のEXPO――「公開」から「共有」へ

月尾――先端技術が最初に利用される分野は二つあると思います.ひとつは軍事で,もうひとつがエンターテインメントです.例えば人工衛星は,まず軍事目的で開発されたのですが,しばらくすると,テレビジョンの中継など,エンターテインメントにも使われだしました.二つに共通している点は,「効率」を念頭におかなくてよい分野だということです.軍事というのは,勝つことが最大の目的だから,費用がいくらかかってもやりますし,遊びというのも,どれだけ資金を投下したからどれだけ楽しいことが得られるかという発想はほとんどないと思います.そういう点で,軍事とエンターテインメントが,これまで先端技術を引っ張ってきたわけです.そういう技術を社会的に提示する場所としては,博覧会がおそらく最初であり,19世紀の中ごろから終わりにかけて,博覧会の最大の目玉はいつも最先端技術で,その中でも軍事技術だったわけです.例えばロンドン博覧会に出展されたクルップの大砲がそうですし,機関銃や飛行機なども出されたりしました.ところが,博覧会が次第にメディアとして重要なものではなくなってきた.何年かに一回,特定期間に開かれる博覧会という形式から,常設のアミューズメント・パークのようなものに変わってきたり,最近でいえば企業のショールームなどにそういう役割が移ってきたりして,特定の期間,特定の場所で開催される博覧会の必要がなくなってきたと思います.さらに最近では,現実の空間ではなく,ネットワークの中に人が集まれるような状況になってきたので,ヴァーチュアル・エキスポなどの概念も出てきたわけです.そのような見取図が,最先端技術とエンターテインメントの間に見られるのではないかというのが,僕が感じているところです.

大原――19世紀以後の博覧会には,「情報の公開」という意味があったと思うんです.軍事技術をその場所に集めて公開する.ところが万国博覧会は大阪が一番最後だと言われていて,それ以後は毎回,「テーマ博」という特殊博覧会がずっと行なわれてきました.しかし,セビリアでまた万国博覧会が考えられ,大阪万博から20年が経過しています.情報の公開という意味では,大阪万博の時に月の石が展示されましたが,これは軍事技術とはまったく違った,宇宙産業の一番はなやかな時代の出来事だったんですね.しかしそれ以後,出展するものが不足しまして,テーマを絞り込むと国によっては出展するものがないという現象が起きて,どちらかというとアミューズメント系に片寄りつつ,人を集めるため,開催場所を再開発するため,という目的がサブでくっついてきた.セビリア万博も,跡地を大ビジネスゾーンに変化させようという目的で開催されたのです.博覧会の目的が,情報公開から,人を集めてその土地の後利用を計画することに変わってきている.そうすると,結局,「博覧会」は「アミューズメント」とイコールになってしまった.日本国内でもまだこれから平成10年,11年に向かって地方博がどんどん計画されていて,それもどうやら物理的に人を集める,その跡地をなにかに活用しようということが主題になってきている.そうすると,人を集めて,そこで情報を公開したり新しい考え方を提示するといったような,本来のエキスポジションという目的は,むしろネットワーク上のほうができるようになってきているのかな,という気がしますね.

月尾――むしろ,「公開」から「共有」へという段階だと思います.万国博覧会でいえば,かつての中心は国家です.BIE(万国博覧会協会)という組織があって,万国博覧会は国家間の条約で行なわれていますから,国家が相互に情報を公開しましょうという形になっているわけです.ところが1920年代に入って,アメリカが本格的にこの分野に参入してから大きく性格が変わって,企業が情報を公開するという性格に変化しました.例えば,戦後のニューヨーク博覧会ではIBMのパヴィリオンが最も人を惹きつけるものであったわけです.ところが,最近の大阪で開催された「花と緑の博覧会」あたりから変化が起こって,BIEが所管する国家間の契約による博覧会には違いないけれども,個人が情報を共有するという動きがだんだん出てきました.例えば環境問題でいうと,国家もそれぞれのパヴィリオンで環境問題への取り組みを提示するけれども,むしろNGOとかNPOといわれる組織が中心になって,国家を超えた個人の間での環境問題についての意識を共有するための場を設けるというような発想になってきました.だから,情報を一方的に流す「公開」から,相互に「共有」するために,どういうメディアや空間を持ったらいいかということに変わりつつある.おそらくエンターテインメントも,これからそういう方向にいくのではないかと思います.例えば,ディズニーランドに代表されるようなアミューズメント・パークは,アミューズメント・パークの経営者からの一方向の情報提供ですが,それにだんだん飽き足らなくなって,どこが主体ということがないような,参加者が情報をインタラクティヴに共有する形に大きく変わってきている.そのあたりが,おそらくこれからの新しい技術がエンターテインメントに何をもたらすかという際のひとつのコンセプトになるのではないかと思います.

武邑――そういう意味では,80年代後半から大きな広がりを持ってきたヴァーチュアル・リアリティ技術が重要だと思うんです.例えば60年代にディズニーの作ったアニマトロニクスのような技術が当時のテーマパークの基幹技術だった.それが80年代後半以降,ライド・シアターに代表されるような大型のVR集客施設みたいなものにとって代わられてきた.さらに今,VR技術はネットワークの中で新たな展開を見せ始めています.一極集中型のテーマパークに限定されない空間に,新しいエンターテインメント技術の広がりが出てきている.それと同時に,今,サイバースペースやネットワークに対する関心やアプローチが非常に高まってきていて,もはや物理的な空間は要らないんだというような考え方が出てきています.そういう方向性にきていることは確かだと思うんですが,一方で,われわれの物理的な現実空間の新しい視点が逆に要請されているような気もします.サイバースペースのある種のバブル化みたいなものが進んでいくと,等身大の人間のリアリティや,物理的な空間に対する新しい視座が一方で出てくるのではないでしょうか.そこで,フィジカルなスペースとサイバースペースをどう新しく関係づけるかというデザイニングのアプローチも非常に重要になってきているんではないかと思います.

大原――現在進行中の常設施設や地方博の計画をやっていますと,月尾先生がおっしゃったように,参加することで何かを共有しよう,それで結果を個人が持ち帰れるようにしようという要請,希望が非常に多くなってきたことがわかります.ライドも単純に乗せて,動かして,びっくりさせてということだけではなくて,例えば自分が端末を持ってQ&Aをやってその結果を持って帰れるとか,参加しながら同時に性格診断をやるとか,そういうアイデアが随分出てきています.また,メディア・アートの最近のものは,全部参加性のあるものなんです.その空間に自分が入り込んで初めて意味がわかるとか,メッセージ性も非常にパーソナルなレベルから,社会全体にわたったり,歴史の流れも含めたものまで出てきています.70年代からずっと心理学において言われ続けていることですが,人間が行動を変化させるきっかけは,「あはっ!」と思うことなんです.「Aha! experience」という変な言葉ですけれども,これが心理治療の分野でも使われたし,カウンセリングでも使われた.それと同じことが,アーティストたちによってメッセージされてきています.そうすると,共時性が物理的空間の中に出てきて,それから物理的なメディアのモニターや大型映像との対話が必要とされる時代がくるのではないかと感じています.


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