InterCommunication No.15 1996

Feature


第三世代のミュージアム

高階――これからの美術館は,いままでのような箱では具合が悪いと思うんです.デンマークのルイジアナ美術館のようなオープン・スペースが必要だとか,特にコンテンポラリー・アートは,先ほど言ったように作品の形態が変わっているでしょう.一方で,西洋の産物なのでしょうが,作品自体がひとつの独立した世界であるという思想があります.ひとつの独立した実体であるから,どこへ持っていってもいいことになります.つまり《ミロのヴィーナス》や《モナ・リザ》というのは,それ自体が独立した世界だから,どこへ持って行っても価値がある.これは一種モニュメント志向だと思っているんです.つまりモニュメントというモノがあって,それで記憶がつながる.
 だけど,例えばコンセプチュアルでも,インスタレーションでも,そうではない文化の継承の仕方があるわけです.美術館はあくまでもモノを入れる箱だから,コンセプチュアルやインスタレーションは美術館向きでないと思っているんです.コンテンポラリー・アートは一時的なものです.モニュメントというのは永続的なもので,本来それを目指すものですけれども,インスタレーションやパフォーマンス,ハプニングと言われているものが芸術表現になった場合に,それを受け容れる美術館というのはどうあるべきなんでしょうね.

浅田――ひとつのロジックとして,磯崎新が奈義町現代美術館を作ったときに,おそらく彼一流のホラを交えて言った「第三世代の美術館」論というのがあります.ルーヴルまでの美術館というのは,たとえば教会にあった祭壇画や彫像を台座ごと持ってきて飾ったものだ.これが第一世代.それが,近代に入ると,どこにでも動かせる平面としての絵を市場で取引するようになり,それをしかるべく収集して飾る,ニューヨーク近代美術館を典型とするような,美術館が出てくる.これが第二世代.しかし,それに対して,サイト・スペシフィックな作品が出てくると,もう一回もとへ戻って,とにかくそこへ行かないとそれは見られないということになる.それに見合うのが第三世代の美術館だ,と.
 ただ,僕の考えでは,それはおそらく「第三世代の美術館」のひとつの極にすぎず,もうひとつの極は,むしろまったくニュートラルな空間,つまり何もないところでインスタレーションもパフォーマンスもできる空間だと思うんです.そういう作品はエフェメラルなものかもしれないけれども,ある情報的な形で残っていくだろう.それを電子的な方法でシステム化していくのも,ひとつの道でしょう.
 一方で,それこそ実際に自分で体ごと岡山の山奥まで行って体験しなければわからないようなものが現われてくるのかもしれない,と同時に,箱としては単に何もないスペースかもしれないけれども,そこでしかるべき情報にアクセスすれば,ある一時的な形での芸術的な経験が可能になるというようなものも,他方で出てくるかもしれない.そういう両極に分かれながら進行していくような気はするんですけれども…….

高階――今の話は両極というよりも,少し次元が違う話ではないかな.つまりトポスの問題,そういう場所の問題と,それから建物の問題でしょう.つまり,山奥にあっても現在のような箱を建てるのか,それとも単なるロフトにするか,という問題がある.現代美術館がどうあるべきかという問題は,ひとつは場所はどこであれ,箱であっては具合が悪い.それなら何であるべきか,それからどうやって残すべきか,あるいは残さなくてもいいのかという問題です.
 もうひとつは,おっしゃったような土地に根ざすべきであるという志向があるのか,それとも,美術館というのは確かに移動の原理で成り立っているから,いろいろな組み合わせという方向でいくのか,という問題だと思うんです.

浅田――建築としては,一方では,近代化を進めていくと結局からっぽのロフト型の空間になるわけだけれども,他方で,ハンス・ホラインのメンヒェングラートバッハ美術館のように,このコーナーにはこの作品しか置けないという,作品の展示換えが不可能な,よく言えば,一つひとつのコーナーがそれほどしっくりと作品になじむような形の空間もある.磯崎新の「第三世代の美術館」は,後者でしょう.

高階――奈義町では別の展覧会はできない.

浅田――そう,サイト・スペシフィックな作品にスペシフィックに結びついた美術館という考えですよね.しかし,もちろんそれはすべてではあり得ないわけで,非常に特殊なものです.

高階――僕はむしろ奈義町は美術館ではないと思っているんですよ(笑).要するにあれはモニュメントです.

彦坂――記念館ですね.

高階――ええ,記念館ですよ.まあ,美術館と呼んでもいいけれども,美術館と普通にわれわれが考えているものはいったいどうあるべきか,やはり箱では困る.

彦坂――ヴァルター・ベンヤミンがかつて芸術作品を「礼拝的価値と交換的価値」という変な分け方をしましたが,これはそのまま使えるわけではないですけれども,奈義町のほうが若干土地の問題も含めて,礼拝的な性格が強いのであれば,むしろわれわれは交換的な側面をもう少し強くしたものを考えています.60年代にセドリック・プライスあたりの人たちが,ソフトとインタラクティヴに可変する情報環境モデルをつくりましたが,大方その後に換骨奪胎され,どうしようもない多目的空間を量産してしまった.単に何にでも使えるということではなくて,あえて言うなら,市場やパッサージュが商品に対して持っているような情報の交換性が自律して活性化する場をつくることができればいいと思います.
 文化を啓蒙的に公開するのではなくて,NTTが電話の交換機を持っているように,要するに“文化の電話交換台”,あるいは“文化のATM交換機”,そういう交差点のような場がまずある.イヴェントは何も残らない方がいいというところがありますが,しかしそれでもソフトを蓄積していく構造を別建てでどう考えていくかが問題だと思います.実際,交差点自体はヴォイドですものね.ですから,その概念をうまく重ね合わせてできないだろうか,というのが基本的な考え方です.

伊藤――ケネス・クラークが『風景画論』のなかで,ゴーギャンやルソーの作品を例に出して19世紀の半ば以降の美術というのは,美術館がなければ成立しなかった“美術館芸術”だったのではないかというようなことを確か言っていたと思うんです.それと同じように来たるべき美術館像を考えると,美術館の新しい役割として,新しいアートのモデルを生み出すということがあげられねばならないでしょう.ケネス・クラークが言ったことは,例えば画家が美術館に行って絵を見るといろいろなインスピレーションを受けて,そこから創造的な,自分のオリジナリティを開発していくということと,時代に支配的な様式から抜け出て,直感的に何百年も前の手法を使ったり,変形したりできるということだった.けれども現在の美術あるいは美術館を取り巻く環境は,一挙にモノとしての絵も情報としての絵も等価にしてしまっていて,旧来の美や美学の範疇から抜け出た形で,もっと創造的な場が求められ始めている.
 それから,高階先生の『世紀末芸術』(1981)で感銘を受けたのは,複製技術や印刷技術や通信技術が新しい表現の枠組みを決定しているというか,社会や時代を変えてゆく基礎的なインフラみたいなものが新しいアートの構造をつくってゆくものになっているのではないか,ということなんです.例えば今インターネットが大流行ですけれども,情報通信や複製技術などの新しいレヴェルが生じてきたときに,それにつれて,やはりアート・フォームというのはラディカルに変わっていくのではないか.例えば19世紀末のシンボリズムは,写真と印刷の発達,新聞雑誌によるジャーナリズムの巨大化によるイメージの氾濫を抜きにしては語ることができない.シンボリズムを可能にしたのは,そうしたメディアやネットワークでもあるわけです.新しい美術館はそういう創造力や想像力を挑発していくような場として機能していく必要があるだろう.そのために,作家や作品,オリジナルも複製も,データベースやイヴェント,ネットワークやワークショップを含めていろいろなかたちで多様に情報を提供できるような場を生み出して行ければ面白いのかなと思います.


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