InterCommunication No.15 1996

Feature


インターネットと展覧会

点を戻すと,インターネットの普及とともに,誰もが芸術家になれるし著作権もなくなるとか,またぞろ言われていますね.しかし個人的な使用,あるいは閉じた共同体の中では著作権はもともと発生しないのです.法律にさえそう書いてある.個人的に絵を描いて楽しむということと作品を発表するということは違うからです.何が違うのか.つまりコピーライトという語に正確に現われているように著作権というのは複製の権利であり,作品とはその複製可能性を保証するものであるわけです.複製というのは,たとえばAの場所に発生したものをBの場所に移行することであり,あるいはある共同体からよその共同体に翻訳されることも複製のひとつとして考えてもよい.つまり複製というのはメディウムの転移です.そして,インターネットと言えども,この部分には金がかかる.プロバイダーが,テキ屋の元締めのようにショバ代を稼いでいるわけで,キュレーターのようなものですね.そもそもホームページ自体が一種のキュレーションになっている.つまり自分の好きなサイトをリストアップしてリンクさせているわけです.どのホームページもいわば他のホームページの展覧会のようになっている.そうしないと作品にならない.一般化しえず,流通しないからです.ネットワークとは,単に,流通の問題です.
れからインターネットが普及すると,リンクするホームページは膨大な量になり,検索時間のロスも途方もない量になるという段階が来るでしょう.すると,現われるのは複数のホームページに解説をつけて掲載する,ショートカット,言語翻訳装置付きの検索ソフトであり,その編集あるいは検索アプリケーションに関してはコピーライトが必ずかかわるでしょう.あのNetscapeだって無料ではないし,そもそも回線使用料,電話料金がタダではない.こういうインフラこそ作品なのです.そもそもタブローという,場所に束縛されない自立した絵画が現われたのは,それが一種のマップ,さまざまな情報や絵画を同時に掲載し編集するデスクトップのようなものだったからだとスヴェトラーナ・アルバースが書いていますが,タブローは場所やコンテクストを圧縮した一種の翻訳ソフトだったのです.翻訳つまり異なる場所と場所,時と時の間に同時性を保証する媒介といえば,そもそも貨幣がその代表でしょう.このように価値とは,個々の対象ではなく,その置換可能性を保証する仕掛けにある.
名の作品を真似する人はおらず,他の作品へ翻訳できる可能性こそを,みんな模倣したがるわけだし価値になる.たとえばコミュニティのなかで日本語でしゃべってもお金はかからないけれど,それを英語に翻訳するとなるとお金がかかる.翻訳を可能にする装置,もしくは複製を可能にする仕掛け,そこに価値が生じてくるわけです.美術においても孤立した個々のコンテクスト,サイトを他のサイトに結びつけるのがキュレーションという仕事の中身です.つまり媒介業ですね.
在,インターネットには著作権もなく,グローバルな民主主義が実現すると考えられたりしています.しかし,そもそも19世紀に美術館ができたときもそうだったのです.そこでは特定の個人のコレクションが市民によって奪回されて公開され,それまではコレクターの趣味によって中心化され体系づけられていた美術品がゴタマゼになって一挙に出現した.その,まったく無秩序で,中心を失った美術品の群れに,市民が勝手ばらばらな好奇心で群がったわけです.しかし,同時にこの無秩序で,ランダムにアクセス可能な情報の公開こそが,どんな特定の個人の偏向した趣味にも基づかない「芸術」という概念の公共性,普遍性を保証していたわけです.個々人がそれそれの欲望に従って,てんでばらばらに情報にアクセスできる状態です.
覧会というのは,こういうものですから,むしろ博物館と訳したほうが適切かもしれない.ミュージアムの始源的形態に対して,そのてんでんばらばらな個人的な享受に対して同時性を与える仕組み,共通体験を与える仕組みとして捻出されたわけです.言い方をかえれば,展覧会は,孤立し,分裂した美術品の使用――鑑賞の仕方――に互換性を与えるために成立した.そして批評家や美術史家が職業として成り立ちはじめた.しかし,繰り返せば,これはミュージアムの後から現われたわけです.ミュージアムの公共性はあくまでもアナーキーで無方向な情報の開放性,公開性を基盤にしている.繰り返せば展覧会は,ナショナリズムを産みだした他の様々なメディアと同様に,個々の経験に同時性,つまり現在性という共通地盤を与える仕掛けとして発生した.そしてここに利潤が生まれたわけですが,その利潤であれ,ミュージアムの情報公開性という,そのもっとも基本的な土台が忘却されたときは崩壊するでしょう.つまり,結論は情報公開とワークショップ,ミュージアム存続の可能性はこれだけです.


[1995.10.18東京にて(談)]
(おかざき けんじろう・美術家)


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