Chrono Cityscape_J
InterCommunication No.4 1993

feature

クロノ・シティスケープ
時間都市の光学


伊藤俊治


1
 ゲーリー・ガンパートの『メディアの時代』の冒頭に,共同墓地でもの言わぬはずの墓石の群立が突然様々な言葉を語りだす“話す墓石”のことが触れられている.ニュージャージー州のウェスタン電力会社のコンピュータ・エンジニアだったJ・ディルクスが考案した,死者と生者とのコミュニケーションを手助けする“霊魂不滅のイミテーション”である[★1]
 “話す墓石”には,墓碑銘ではなく,次のような言葉が刻みこまれる.
 「××氏,ここに眠る.故人の語りを聞きたき者,故人の生きた表情を見たき者は下のボタンを押すべし」.
 荒らされないように防弾ガラスで覆われ,太陽電池で可動するこの墓石は,ビデオ・ディスプレイと,コンピュータによる記録装置が内包され,故人の声を聞くことができるばかりではなく,その生前の姿を見ることもできる.その内容は,死者が何代も後の子孫に語りかけたかったメッセージもあれば,故人が語る家系や一代記もあれば,生者とかつてかわした会話をまとめたダイアローグもある.さらにオプションによっては,墓参りの人々の到着や墓地の草花へ水を与える時期を告げるセンサー装置,香料をスプレーするノズル,自動芝刈り装置まで取りつけることができるという.
 ディルクスがこの“話す墓石”を発明したのは70年代末のことだが,現在では新しいメディア・テクノロジーを駆使した様々なオプションを想定しうるだろうし,内容自体も例えば生前にあらかじめその人に100なり200なりの質問をしておいて,来訪者の問いかけにインタラクティヴに応答できるようにしたり,その人の性格なりクセなりをチェックし,その個性を生かすようなリアルタイムの合成人間をつくったり,父の叱咤や母の激励といった生者が死後に必要とするようなあるニーズに対応するプログラムを組んだりすることも可能だろう.いわば“話す墓石”は,生者にとっては,現在から過去へのコミュニケーションであるが,死につつある生者にとっては現在から未来へのコミュニケーションであり,死者にとっては過去から現在へのコミュニケーションでもあるのだ.
 考えてみればヨーロッパやアメリカの墓地を訪れると,よく故人の写真を転写したセラミックを貼りつけた墓石を見かけることがある.こうした慣習は19世紀の半ばから行なわれていたものと思われるから,すでに映像メディアの創世期からメディアによって死者をよみがえらせようとする欲望は根深くあったといえるだろう.
 いや,写真というメディアそのものが生者を死者に変え,死者を生者に変える特別な時制を持つメディアであり,もともとメディア(Media)とメディウム(Medium)は同一語源で,19世紀後半のスピリチュアリズムにおける“霊媒(Medium)”の機能や作用は,常に19世紀社会における通信網の展開やメディア・テクノロジーの発達とパラレルな形で語られてきたことを忘れてはならない.霊界や神の世界と交通し,死者と交信する霊媒,その異界との通信交通は,電話や写真,ラジオや映画のメタファーでしばしば語られてきたのである.
 見逃しがちだが,メディアには,そのメディア特有の時間秩序や時間構造が内包されている.そしてそのメディアはそれを受けとめる人々の現在意識を変容させ,時間感覚を変えるだけでなく,人間の死生観にさえもある決定的な影響を及ぼしてしまう.
 写真というメディアひとつとっても,それが発明された時から,実は生者と死者の関係や,先祖と子孫の関係は大きく変わってしまった.
 写真という形で過去の断片を現在や未来にまで手元に置いておけることがあたりまえになった世界では,現在性に過去の記憶が様々な要素としてからみついてくる.ファミリー・アルバムひとつとってみても,誕生から現在までのアイデンティティを写真に撮られ,収集され続けてきた人々にとっては,そのアルバムが大きな影響を及ぼし,その人々の心に過去と現在の絆が多彩に入りこんでゆくことだろう.
 人は常にその人が生きているメディア環境に支配されている.メディア・テクノロジーはただ利便をもたらすだけでなく,人間社会内部の個々の相互関係を本質的に変えてしまう力を持っている.すべての人々はその時代特有の,その社会特有のメディア構造のなかで生きざるをえないのだ.
 さらに言えば,新しいメディアはその時代や社会の形態を変えるばかりではなく,過去のメディアの構造や秩序を組み換えようとする.
 これまでしばしば言われてきたことではあるが,映像メディアが写真や映画しかなかった時代に生きた人々と,TVやビデオが日常化して定着した時代に生きた人々との間にはものの見方の大きな落差があることを精密に認識する必要があるだろう.
 我々はメディア環境の住人であり,メディア・テクノロジーがコミュニケーションに関する時間と空間の関係をコントロールするパラメーターと化している時代に生きているのである.


2
 こうしたメディアと時間の構造との関係を考察するうえで興味深いモデルがある.1988年,ロンドンのナショナル・フィルム・シアター(NFL)に併設される形でオープンした映像博物館(Museum Of Moving Image/以下MOMI)[★2]である.
 テムズ川南岸,ウォータールー橋の真下に位置するこのMOMIは構想に12年,リサーチと建設に30億円をかけたビッグ・プロジェクトであり,設計を担当したブライアン・アヴァリーは,橋の下の狭い空間を最大限に活用し,文化施設のデザインに革新をもたらしたといわれる迷宮のような3000平方メートルの展示スペースをひねり出した.
 MOMIはこれまで世界初の映像のミュージアムとして知られてきたが,この空間は人間と視覚メディアがつくってきた時間のミュージアムということも可能だろう.人間とメディアの相互作用のなかで時間構造がどのように変遷し,時間軸がどのようにぶつかりあい,時間秩序がどのような感覚を生み出してきたのかを,その迷路のような空間をめぐり歩くことによってたどることができる.それは時間のパサージュともいえる構造を持っているのだ.
 人間の眼のメカニズムを巨大な眼球のモデルによって説明する入口のブースから,ゾーエトロープやキネトスコープなどの19世紀の視覚機械群を通って,現在のSFXやCGのシステムまで,人間が見ることを装置や機械を使っていかに変容させ,産業化し,娯楽化してきたかが一覧できるこの興味深い文化施設の最初の展示室へ足を踏み入れると,薄暗がりのなかからボーッと古代ジャワで考案された影絵(ワヤン・クリット)が浮かびあがってくる.映像が発明される何千年も前から動く絵への欲望は始まっていたのであり,こうしたイメージはやがて望遠鏡や顕微鏡などが次々と発明された光学装置のルネッサンスと言われる13世紀前後に,マジック・ランタンやカメラ・オブスキュラの形になって西洋においてもより精密な形で具体化されてゆく.その後,ソーマトロープやプラクシノスコープなど実に様々な視覚装置が19世紀には登場してくるが,なかでも1851年に発表されたステレオスコープは,ヴァーチュアル・リアリティをはじめとする現在の新しい視覚環境とも密接な関係を持つ重要な装置である.
 エジソンの考案したキネトスコープのモデルが映像博物館にも展示されているが,これは縦に細長い木箱の形式で,上部から覗くと映像が見れる仕掛けになっている.初期のステレオスコープはこの箱と同様な形式をとっていて,その覗くという行為が人々に不思議な魅力をもたらした.
 次のゾーンに移ると,19世紀末に現在の映画の基礎を築いたリュミエール兄弟のコーナーとなり,彼らの『列車の到着』が小さなスクリーンに映写されている.さらに初期の映画術に使われたカメラやプロジェクターの実物,特撮技術がなかった頃のトリック撮影のメカニズムなどを説明した展示が続く.
 そしてハリウッドの誕生のコーナー,グリフィスの登場,映画の急速な産業化,スター・システムの確立,ファッションやメイクアップの変容…….この部屋の上部は,“神々の神殿”と呼ばれる大理石彫刻に支えられた破風形式になっていて,ヴァレンチノ,ピックフォード,フェアバンクス,ギッシュ,キートン,セダ・バラらがかたどられている.
 二階の展示は1920年代以降に多様化し,細分化してゆく映像の軌跡にスポットライトがあてられる.エイゼンシュタインやヴェルトフの作品が上映されるロシア革命時のアジト列車があったり,『アンダルシアの犬』がビデオで流される傍にはダリのデザインによるメイ・ウエストの唇をかたどった真紅のソファが置かれていたり,天井近くの渡り廊下には,『メトロポリス』に登場したマリアのレプリカ,銀色に輝くロボットがこちらを見下ろしている.
 さらにドイツ表現主義映画やフランスの抽象映画,アメリカの実験映画といったアヴァンギャルド映画の流れがおさえられ,このコーナーの隣りには,MOMIのコントロール・センターが観客にもよく見える形で併設されている.無数のコンピュータ端末やモニター画面,100台近くあるレーザーディスク・プレイヤーなど,多彩な映像群をいかに効率よく送りだし,コントロールするかに細心の注意を払う技師たちの活動がそこでは垣間見れるわけだが,その様子はまるで多元的な時間軸をモデュレートする時間都市のコミュニケーション・エンジニアのようだ.
 次のゾーンはトーキーの展示.ハリウッド初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』やイギリス初のトーキー映画であるヒッチコックの『恐喝』が提示され,戦争の時代における当時のニュースリールがたどられる.
 MOMIには実際の映画スタジオもある.ここでは中央に巨大なカメラ・クレーンが据えつけられ,そのまわりをコスチュームの部屋,サウンドのミキシング・ルーム,メイクアップの部屋,編集部門といった映画づくりの各部門の内容を説明する小さなブースがとりかこんでいる.
 またここには実際の映画館MOMIシネマもあり,メリエスの『月世界旅行』から,ロイドやチャップリンの傑作,ヒットラーのニュースリール,『81/2』,『マンハッタン』,『サウンド・オブ・ミュージック』,『北北西に進路を取れ』,『民族の祭典』,『戦艦ポチョムキン』,『2001年宇宙の旅』……といった映画史上の名作のクリップがめまぐるしいスピードで映しだされてゆく.


3
 マジック・ランタンやパノラマから,マレーやマイブリッジの実験,リュミエールやメリエスの冒険を通過して,TVやCGのメカニズムに至るまで,人類の“動く映像”への熱い欲望の集積が,体系的に,興味深い展示形式をとって配置されている時間の回廊.そこでカリガリ博士の部屋やエンパイア・ステートビルに登って暴れるキング・コングの模型を見ていると,いつのまにか,まるで自分がその映像の次元に完全に入りこんでしまって,現実の世界を映画でも見ているかのように認知していることに気づく.
 映像の動きと停止のはざまに,フィルムのコマとコマとの間に,ある時間と別の時間の間に自分がまぎれこんでいる.厖大な映像の集積体の内部で映像でできた身体となり,生と生でないものの境界線上を駆けぬけてゆく.
 MOMIを初めて訪れた時,ブラザーズ・クエイの『ストリート・オブ・クロコダイル』を思い出してしまったのもその時間構造ゆえなのだろう.
 ピーター・グリナウェイが,『サイト・アンド・サウンド』誌の映画評で,この映画を「そのほとんど単色の世界は断続的な作動と停止,熱狂と凍結された時間の交替でみちあふれ,観客をマレーとマイブリッジからメリエスへ,映像の詩的源泉たる三つのMの間を連れ歩く」と語ったように,そこでは映像の歴史がひきずりだされるばかりではなく,時間の発生の現場へさえも見る者をまぎれこませる異様なエネルギーが充填されている.ヴィトケヴィッチやゴンブロヴィッチと並ぶ1930年代の代表的なポーランドの文学者であり,画家としても知られるブルーノ・シュルツの「大鰐通り」を原作としたこの映画には,光と体液と埃が画面の隅々にしみわたっていて,クエイ兄弟はそこに独特なトポスと時間を散りばめようとする.そこは匿名の場所であり,意識の深部に巧妙にはめこまれているかのようなほの暗い多層な格子状の時空間である.
 例えばこの物語にならない物語は,どこか荒涼とした辺境にある朽ちかけた博物館で始まる.そこには都市のパノラマを描いた羊皮紙の古い地図と覗き式の光学装置がある.
 地図にレンズをあてて焦点をあわせると,その街並が覗きからくりとして展開して動くという不思議な機械だ.魔術的な映像機械の原型とでもいえるだろうか.
 そして得体の知れない男がその装置を覗きこんでいて,彼がそこに唾を流しこむと,この機械はまるで新しい血液でも得たかのように動きだし,次々とめまいのするような物語が繰り広げられてゆく.
 唾をたらした男はこの光学装置の内部で時間の糸にからまり身動きがとれなくなっていた人形をハサミを使って解放してやり,その人形はレンズで焦点のあわせられた場所,つまり時間の迷宮通り“ストリート・オブ・クロコダイル”へまぎれこんでゆく.
 その地図のなかで大鰐通りはわずか数本の黒い道が刻まれているだけのほとんど空白に近い一画である.つまりそこは辺境の果てであり,まだ調査の行なわれていない,危険で,いかがわしく,不確かで,曖昧な場所なのだ.そこは都市のなかにありながら都市であることを禁じられた特別な区画であり,都市の人々がそれまで決して近寄ろうとしなかったディストリクトでもある.
 しかしある種の人間だけがその怪しげな場所に偶然に,あるいは自分の欲望を押さえきれずに迷いこんでしまう.どんな,道徳的で,勤勉で,正直な人間に見えても,誘惑に負け,その境界を踏み越えてしまうことがあるのだ.“ストリート・オブ・クロコダイル”はいわば,都市の日常の枠組みや現実の時間軸からの逃亡者たちが集まってくる黄金郷でもあったのである.
 あらゆるものがそこでは不安定で,流動的で,みだらで,本能のままであることを要求していた.そこでは色彩というものが消え失せてしまっていて,モノクロームの写真のようにすべてが灰色でおおわれ,急ごしらえの舞台装置のように安っぽく朽ち果てている.
 そしてそこへ迷いこみ,さまよいあるくことは,猥雑なポルノグラフィがベタベタと張られたガラスの回廊をすりぬけて,不毛な欲望と妄想をあおられるような奇怪な体験となった.そこはまるで死の意識が凍結されたパサージュのようだった.時間が無数の層に堆積し,腐って,泣いている――.
 クエイ兄弟の分身であり,シュルツの面影も宿すこの自由になった人形は夜の界隈をさまよい,糸車の埃だらけの糸の動きに誘われ,とうとう奥まった廃墟然となったとある仕立屋へたどりつく.そこでは頭の毛をはぎとられ,眼球をくりぬかれた奇妙な人形たちが群舞していて,彼らは主人公を導き,彼の首をすげかえ,紙でその頭を包みこもうとする.
 その動作の瞬間瞬間にはさみこまれる戦慄的なショット,時計のなかにはめこまれた腎臓,紙にくるまれたベトつく血だらけの肉塊,生肉でつくられた性器をまさぐる手,タンポポの種,汚れと粘膜,ネジのダンス,無人の劇場……時間軸の異なったそれらの断片群は壮絶なメタファーの蓄積となって見る者の想像力を切り裂いてゆく.それは人形の身体にあふれるアナーキーなエネルギーの封印を解くためのメディアの実験場のようだ.そこではエロスとクロノスが新しい形でまぐわい始める.
 この『ストリート・オブ・クロコダイル』に限らず,クエイ兄弟の映像はいわば時間と光学の博物館となっている.そこでは人形たちは独創的な象徴体系を持ち,彼らは鏡とオブジェの中間に位置するかのような不思議な場に身を置いている.彼らの映像のなかでは生きている世界と生きていない世界の境界が存在していて,この二つの世界の間,時の間に原型や幻想や官能や倒錯が多重構造になってひしめきあっているのだ.
 実は生きている側が生きていない人形を操ることによって,欲望の増幅を図り,生と生でないものの境界上に不可思議な領域をつくるつもりだったのだが,逆に生きていないものが生きている者をコントロールし,ある闇の迷路へ入りこませてしまう.生きている者のそれまでの確固とした身体が実在の感覚を失ってゆき,生と生でないものの輪郭がどんどん曖昧になってゆく.時間が変調し,メディアというリミノイドが異常に活性化する.クエイ兄弟の映像の快楽とは,まさにその変成のなかへすすんで身を委ねることに他ならないのかもしれない.


4
 我々が現実世界において生活し,行動するためには,今あるこの時間と空間の概念に頼らざるを得ない.あらゆるものがその時空概念に基づいてつくられてきたからである.その概念の上にたった現実認識によって我々は生きている.しかし,もしこうした概念が取りはずされれば,過去と現在の区別がつかなくなってしまう,空想と現実の違いがわからなくなってしまう,そんな事態が生じてくるだろう.今,我々の現実世界へ入りこんでいるのは,そうした枠組みの破壊である.個々の生活や行動の拠り所となっていた現実認識の枠組みが新しいメディアやコミュニケーション・テクノロジーによって大きな変質を被りつつある.
 例えばテレフォンは一人の人間を「あちら」と「こちら」に同時に存在できるようにしたし,写真は過去と現在を共存させうるし,ビデオは現在を何度もリピートすることができる.そしてこうしたメディアによって,それまで夢物語だったものが次々と現実化していった.テレパシーは携帯電話よりもっと小さい通信発信装置を人体に取りつければ可能だし,人間や物体を瞬時に別の場所に移動させるテレポーテーションもISDN網を使った3Dホログラフィ・システムが現実化している.
 しかし我々はメディアがそうした作用を果たし,時間や空間を操作し,編集していることを忘れやすい.コミュニケーション・メディアの技術がますます洗練され,効果的になり,日常生活のすみずみにまで浸透してゆくにつれ,メディアは透明化し,人々はそこに介在し,操作し,作用し,編集しているメディアをしだいに認識しなくなってしまう.写真においては空間的要因は忘れられがちで時間的な要因が強調され,TVでは時間的な要因が忘れられがちで空間的な要因が強調されやすいといわれるが,メディアの内部にいる限り我々はそうした差異を意識することはないのだ.
 ハロルド・A・イニスはその「メディアと時間概念の歴史/時間を弁護して」のなかで,社会的時間は天文時間とは異なり,ある集団が共有する信仰や慣習に応じて質的に異なったものとして記述されていて,連続的なものとしてではなく現実の日付の中断を被るものとみなしている.そしてイニスは社会的時間はその社会特有の支配的概念や思考形態を強制する言語の影響の支配下にあるとする.「コミュニケーション・メディアがもっている性格は,時間概念か空間概念かどちらかを過大に強制するのに都合のよい文明傾向性を生み出しがちであるが,それらの傾向性はほとんど間髪を入れずに別のメディアの影響力によって相殺され,安定が達成される」[★3]
 さらにいえば,ウィンダム・ルイスはその『時間と西欧人』のなかで“時間部族”のような考えを提示している.つまり近代におけるメディアテクノロジー,コミュニケーション・メディアの発達の結果は,写真と映画のはざま,瞬間映像の発見の時代に生き,それ自身の外に照合するものを持たず,絶対的で普遍的な価値を持たない瞬間の生を賛美したベルクソンに始まってアインシュタイン,ホワイトヘッド,アレクサンダー,ラッセルといった思想家や科学者の時間論や時間哲学に多大な影響を与え,それはプラトンからカントに至る,変化を超越した存在をあがめ敬ってきた時間論や時間哲学とは異なった新しい時間の領域を切り開いていると指摘するのだ[★4]
 いずれにしろ,我々のこの世界においてはコミュニケーションの媒体になっているメディアが我々の時間感覚の枠組みを調整する鍵を握っている.あるいはそのメディアが時間の操作に近い作用を行なっている.ある現象が現在進行形なのか,過去完了なのかを決めるのはメディアの側の問題なのだ.いや,メディアと我々のインターフェイスの問題なのである.
 大切なのは時間について我々が描く想像図の転換だろう.時間をある「視点」でとらえるのではなく,ある「界面」でとらえることが求められている.その「界面」は一種の相互刺激のなかでの実体の相互作用として起こってくるものであり,相互作用の複雑なプロセスについての突発的な直観であり,様々な形態を持った生との接触から生まれてくるものといえる.だから時間的に構造化された制度が空間的に方向づけられた社会や環境との多様な接触のなかで引き起こすリズムやダイナミズムを見つめなくてはならない.その「界面」の持つ時間と身体が一体化することによって生じるある裂け目を見つめなくてはならない.
 メディアとメディアの裂け目,メディアと現実の裂け目を見つめながらシークエンシュアルな時間軸から逸脱してランダムにフィードバックし続ける眼差し,あるいは現実の速度とは異なる多様な速度のなかへ様々な形で,同時に入りこんでゆく身体,そうしたものがその「界面」から生まれてくる.そしてそうした時制や速度の変調は現実の意味をたやすく変えてしまうだろう.我々はそのことに積極的な意味を見いだしてゆかねばならない時代のなかを生き始めている.いや,そうした場から垣間見れる時間の光景をこそ我々の新しいフィールドにしてゆかねばならないのだろう.


★1――ゲーリー・ガンパート『メディアの時代』石丸正訳 新潮社.
★2――MOMI HOME PAGE http://www.londonmall.co.uk/momi/
★3――ハロルド・A・イニス『メディアの文明史/コミュニケーションの傾向性とその循環』久保英幹訳,新曜社に収録.
★4――W. Lewis. Time and western man. London, 1927.

(いとう としはる・美術批評)
GO TOP

No.4 総目次
Internet Edition 総目次
Magazines & Books Page