戦争のエポック/芸術のメルクマール

そのポスター広告の内容図像は,プロのデザイナーがしばしばイメージの植民地としてきた純粋芸術の画像と違いがなくなり,そこに商品の性格メッセージを読み取ることが不可能になっていった.

ポストフォーディズムの再編要請は,サッチャー,レーガン,中曽根の80年代新保守主義を考えればわかりやすい.先進諸国の首都は,工場や発電所を象徴とする19 世紀以来の近代工業社会のレールの上で支えられてきたが,そのドラスティックな構造転換が迫られ,規制緩和による都市再開発が推し進められていった.その徒花的な表現としてポストモダンの建築デザインを見ることができるし,80 年前後の美術界に登場した,トランスアヴァンギャルディア,新表現主義,ニュー・ぺインティングと呼ばれた「絵画への復帰」も同様の回路に位置づけられる.それは,過去の近代絵画の各様式を横一線に並べ,それを一種のインデックスとして応用するものであり,K ・へリングやJ =M ・バスキアの「グラフィティ・アート」も,過去のA ・ウォーホルやフルクサスが志向した都市的現実への関わりを,内省なしに追随したものであり,それは彼らの責任というよりも,同じく強烈なマーケットの論理によるものであっただろう.なかでも,ヒトラーの総統官邸の威嚇的な新古典主義建築などをトレースし,20世紀近代の廃墟を示唆したA ・キーファーが「新表現主義」の画家の一人とされたのは皮肉なことであった.ベルリンの壁は89 年に崩壊した.


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