Feature: Diagnostics of the 20th century


戦争のエポック/芸術のメルクマール
The Epoch of War/Monuments of Art

高島直之
TAKASHIMA Naoyuki



V ―1939-1945
第二次世界大戦:
SF 的未来と芸術家の運命

1939年の9 月に,ドイツ軍がポーランドに進撃し,英仏両国がドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が勃発した.そこに,39 年のソ連のフィンランド進攻などをつけ加えていくと,この「戦争機械」と化した列強の侵略的事項の数は多い.30 年代と大戦時代をつなぐ芸術と技術のイメージは,1937 年のパリ万博「現代生活における芸術と技術国際博覧会」と,39 年の「明日の世界」をテーマとするニューヨーク万博にあると言っていい.

パリ万博の,46 か国200 棟のパヴィリオンが点在する会場の各展示館の設計は,ル・コルビュジエ,A ・アールト,A ・シュペーア,坂倉準三,B ・イオハン,ヴァン・デ・ヴェルデ,M ・ピアチェンティーニらが競っていた.主会場の入り口に,両国家のイデオロギーを記号化したドイツ館とソ連館が向き合って鎮座しているのが象徴的であり,展示物は,スペイン共和国政府館に展示したP ・ピカソの《ゲルニカ》と,ドイツ館の流線型《メルセデス》車が注目された.大戦前夜とはいえ,不思議な取り合わせである.

開戦年のニューヨーク万博は,「マシン・エイジ」の世界像を集約する未来イメージで統一し,とりわけA ・カーン事務所と共同でN ・ベル・ゲッデスがつくったジオラマ《フューツラマ》は,未来のメガロマニアックな物質主義を暗示したことで知られる.パリ博が,恐慌下と大戦を前にして,すべての生活と経済はルールを守って度をはずさない「秩序の回復」を内面化していたことに反し,ニューヨーク博は,輝かしい未来の消費社会を提示した.ソ連館の上には巨大な「労働者とコルホーズの女性像」が置かれ,アメリカが,ゲッデスによる実現されることのないSF 的デザインによって一貫したモードを打ち出していたことは,第二次大戦後の2 国間の力学を予感させる.


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