戦争のエポック/芸術のメルクマール

シュルレアリストはその現実総体への「拒絶」と「批判」をほとんど身体的痙攣として表明してきた.その現実に対する激しい拒絶は,意識には無意識を,正気には狂気を,労働には遊戯を,また服従には暴力を,といった提起に代表されるが,性急ゆえに現実から遊離していかざるをえず,少数の知識人の運動として囲い込まれていった.35 年後半から36 年にかけての短期間にG ・バタイユ,A ・ブルトンを中心に「コントル・アタック」が結成され,その政治的アピールには「たとえどんな形にせよ,国家ないし祖国の観念のために革命をまるめこもうというような一切の傾向に敵対し」ようとする意志が明らかにされている.この根源的な変革への意志は,「世界の変革」と「人生を変えること」をつなぐ実践環だけが保証していくものだった.

美術におけるシュルレアリスムとは何か,ということについてはブルトン自身明快にはしなかったが,まず無意識を表象する「自動記述」があり,それに即した「自動デッサン」が絵画レヴェルで実践された.A ・マッソン,J ・ミロ,マッタといった画家がそうである.また「デペイズマン(意味の転位)」という,M ・デュシャンやマン・レイらダダイストを発祥の元とする考えは,M ・エルンストらのコラージュ技法につながり,美術におけるシュルレアリスムは二つに分かれていった.「自動デッサン」は,後にJ ・ポロックらアメリカ抽象表現主義絵画に強い影響を与え,「デペイズマン」は,エルンストを別格としてS ・ダリ,R ・マグリット,P ・デルヴォーの図像はその具体性において,第二次大戦後のグラフィック広告の文法に吸収されていった.


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