Feature: Diagnostics of the 20th century


戦争のエポック/芸術のメルクマール
The Epoch of War/Monuments of Art

高島直之
TAKASHIMA Naoyuki



IV ―1930-1938
戦間期その2 :
「貧困」の克服,合理と非合理

バウハウスのあったデッサウでは1931 年,市議会・州議会の選挙でナチスが議席を増やし絶対多数を占めるようになった.ナチス政権が確立した32 年に,州政府はナチスの動議を採択してバウハウスの閉鎖を決定した.ナチスは,バウハウスが育んだインターナショナリズム・モダンを「非ドイツ的」「ボルシェビキ的」として憎悪・排除した.1934 年のナチ・ニュルンベルク党大会の《光のカテドラル》は,そのプランナー建築家であったA ・シュぺーアの新古典主義の法則に則って,サーチライトを等間隔に並べ,空に向かって垂直に光のビームを放射するスペクタクルであった.これは立体主義からバウハウスにいたる斜線が輻輳化し分節する,光の多様な運動性とは対極にある.この光の垂直上昇性と,33 年に建設が開始された「アウトバーン」の水平的広がりとを重ねてみるとナチスの空間がシンボライズできる.

サーチライトによる都市スペクタクルと言えば,ニューヨーク・マンハッタンのスカイスクレーパーである.1930 年にアール・デコの頂点と言われる《クライスラー・ビル》,31 年には《エンパイア・ステート・ビル》が完成し,33 年に公開された映画《キングコング》の,キングコングがエンパイア・ステート・ビルに登るシーンは,大恐慌下であったにもかかわらず,アメリカの大量生産・大量消費の社会イメージを印象づけた.アメリカは,今世紀初頭に世界第一の工業国となり帝国主義段階に入りかけたが,まだ地域的な覇権しか行使していなかった.世界化の起点は第一次大戦への参戦であり,そこでヨーロッパの普遍主義を内面化し,世界覇権のイデオロギーを身につけていった.


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