戦争のエポック/芸術のメルクマール

これは構造技術と経済的な理由から完成しなかったが,この人間の解放を表現する螺旋体は,なぜかM ・デュシャンの《階段を降りる裸体》の絵画構図とよく似ている.これを,タトリンのソヴィエト・ロシアは天空へ向かって垂直に無限上昇し,デュシャンの個的秘教性は無意識の深い底に降下する,というアレゴリーと見做すと,ロシア構成主義とニューヨーク・ダダの開祖との違いは暗示的である.

帝国主義国家間の戦争が終息して,1920 年代は「束の間の春」とも言われたが,各国で内乱(革命,暴動,クーデター,ゼネスト)が打ちつづいたように,第一次大戦は戦後に「民族自決」の道を切り開いた.その一つの結果としてファシズムとスターリニズムの萌芽をみることになる.ともあれ,タトリンもデュシャンも,絵画・彫刻立体に関わる芸術家であり,その「マシン・イメージ」を映像的イメージとして移し,定着したことは明らかである.

だがインターナショナルの,まさにその国際性を具体的な原理とスタイルとして示したのは,建築家のル・コルビュジエであった.すでに立体派以降,幾何学的で単純なデザインが大量生産システムに適合するという考えが広まっていた.立体派の限界を内在的に乗り越えようとしたコルビュジエは,1920 年に『エスプリ・ヌーヴォー』誌を創刊するのだが,その前の1910 年代にドイツ工作連盟(DWB )のH ・ムテジウスとP ・ベーレンスに会って理論的影響を受けている.それにもまして,第一次大戦の軍需産業の生産技術の実験と開発が,大戦後急速に成熟の度を深め,コルビュジエの経済法則に沿った「時代の原理の統一」が可能となったのだった.


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