SRLカタルシス

NF ――いま,レイモン・ルーセルの話が出ましたが,バックグラウンドに流れているシナリオをどうやって書き留めておくのでしょうか?

MP ――シナリオはつくるよ.ただ,「このアクションはこのタイミングで」といったような,アクションを順番にリストしたものだ.今回のは1 頁だった.ショーの最初で残念ながら一つのマシンが故障するアクシデントがあったが,それ以外はほとんどシナリオどおりだったよ.もちろん細かいズレはいくつかあったが,シークエンスはほぼ予定通りに進んだ.

僕らのショーには物語性が強いものと,そうでもないものとがある.今回はそうでもなかった.というのは,マシンの数も大具の数も限られていたし,構成もかなりシンプルだったからね.ショーの始まり方はかなり考えた.基本的には岩を使いたいというのが僕らの頭にはあってね.日本文化と結びついたコンセプトとしてだ.つまり,現代の日本において,神道は宗教儀式としての性格はもうあまりないが,日本文化の重要な要素であることは変わらない.その神道では,石や道や木といった無生物のなかに霊が宿っていて,その霊が物に生命を与えている.そこで僕らもそれを表現しようと考えた.人工の岩をつくって,あちこちに引っ張り回すことで生命感を与え,やがてそれが襲ってくるかのような恐怖感を出した.むろん,それは全部マシンで操作する.最後に岩は破壊され,地面に飛び散り,燃え,死に絶える.僕はこの幕開けが気に入っていた.普通,岩という何の変哲もないもので幕を開けるなんて理屈に合わないが,今回はそれこそドラマティックだろうと思った.日本の観客ならそこに何か個人的な思いを抱くんじゃないかと思ったんだ.

それ以外は,ショーのどの時点で何が起こるかは,ほとんど具体的な条件で決まった.最後はタワーが崩壊するシーンで終わったが,あれはトランプの家だった.ああいったメタフィジカルな表現はたくさん使ったね.トランプの家とはつまり「危うげな構造」だ.カードで家をつくっても簡単に壊れてしまう.そういう覚束なさはどの文化も抱えているものだと思うんだ.どんな時代,どんな状況においても,崩れ落ちる危険はどの文化にも潜んでいて,自らを見つめ直す意味はいつもあると思う.

それに,トランプというのは偶然のゲームであると同時に技を競うゲームでもある.これは重要なことだ.とても建設的で,日本的な考え方だとも思う.アメリカは,いまはもう変わったが,以前は運しか考えない時代が何年も続いた.すべてが宝クジみたいだったんだよ.80 −90 年代初頭のアメリカがあそこまでひどい状態だったのは,努力という概念が死んでいたからだし,それでみんな怠け者になって苦しい目に遭った.だが,いまは違う.みんなもっと純粋な,新しいゴールに向かおうとしている.いまのアメリカ人はよく働いているよ.

そういうわけで,マシンや道具などの具体的な事柄,メタフィジカルな要素,あるいは日本の神話などで,全体は決まっていった.だが,何かを特定するようなものはまったく使っていない.「ポケモン」とか,何か表層的な記号を西洋人が直接的に使うのは失礼だと思ったからだ.たった一つのものやことで,日本文化はこうだと断定することはできない.それをするには日本文化はあまりに複雑だ.そこは慎重に気をつけてやったつもりだ.ただし,ジェット・エンジンの排気口に生のタコを張り付けるとか,そういう馬鹿馬鹿しいことはやったけどね.

[1999 年12 月27 日,ICC ]



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