SRLカタルシス

NF ――私が覚えている限り,あなたは70 −80 年代初期(学生時代),サンフランシスコでロック・グループをやっていたと思うんですけれども,そのときはニューウェイヴ・ロックとかテクノポップと呼ばれるような音楽に関係していたんですか?

MP ――いや,直接参加してはいなかったが,もちろんそうした環境のなかにはいたよ.誰もが友達同士だったからね.それはあの頃のどこの都市も同じで,ああいうパーソナルな雰囲気はかなり居心地がよかったな.サンフランシスコもニューヨークやロサンゼルスやロンドンと同様,独特のアンダーグラウンド・スタイルをつくりだそうとしていた.いつもあちこちで面白いことが起こっていたよ.ただ僕自身はオフ・サイドにいて,街にある広告ボードをモディファイしてメッセージを変えた作品をつくって人々の注意を引き付けたりしていた.ちょうど,フロリダ州からサンフランシスコに移り住んで活動しはじめた頃だ(77 年にシスコに移り,78 年に最初の広告ボード・アクション作品をつくる).実は音楽にはさほど興味がなかったんだ,そのスピリットは買ってたけどね.僕にとって音楽というのはむし伝統に近すぎる.もっと完全に違うことがやりたかったんだ.まったく新しいものをつくったうえで,そこに新しい音楽のスピリットを吹き込みたいと思った.絶対やれる,実現すればそれでコミュニケーションができるはずだと思った.

NF ――日本でのショーでは,ノイズ・ミュージックがバックグラウンドにかかっていましたが,どういうスタッフがやっていますか?あなた自身,その種の音楽に興味がありますか?

MP ――ここ7 年ぐらいはいつもGX (ザ・ヘイターズのジェラルド・ラーセン)[★1 ]が音をデザインしているが,今回のショーは彼を含め3 人のサウンドトラックを使った.あとの二人はフィル・サンチェス(彼はSRL に暮らしている)とピープル・ヘイターのチップ・フリン(現在はマシンの制作も担当している)で,チップの音は全部サンプリングで,ライヴでミックスした.
ショーでの音の流し方は,1 枚のCD を単純に流すだけの場合もあれば,何枚かをライヴでミックスする場合もあるし,オーディオテープとCD をミックスする合もある.
今回はそれに加えてチップ・フリンがサンプラーを使った.ただ,こういうデザインされたサウンドというのはあくまでもショー自体の音を補足するためのもので,状況設定の一手段にすぎない.サウンドのなかに言葉が入っていることも多いが,それも視覚的なものを補う仕掛けとして使っているだけだ.それよりなにより,ショーではマシンたちが純粋なノイズを発する.爆音だ.その音圧たるや,PA アンプのレヴェルをはるかに超えていて,ほかの音はほとんど潰れてしまうんだ.特にパルスジェット・エンジンやラージ・ホイッスル(大警笛)の音はかなりデカい.今回使った小型パルスジェット・エンジンは162 デシベル.スピーカーじゃ簡単には出せない音圧だ.


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