SRLカタルシス

野々村文宏(以下NF )――まず,いつ頃こういうスタイルのショーを思いつきましたか?

マーク・ポーリン(以下MP )――SRL (Survival Research Laboratories )のアイディアを思いついたのは1978 年の暮れだった.自分にはエンジニアリングの技術があって,すでに企業や軍の機械をつくる仕事を数年間やっていたんだけど,一体それのどこが面白いのかを真剣に考えてみたんだ.一方,大学ではヴィジュアル・アートを専攻し,演劇や広告といった分野も勉強していた.そういった経験や技術や知識をトータルして,気に入らない部分をすべて取り去った.そして残ったのがSRL だったというわけだ.
以来,SRL の技術はほとんど変わっていない.もちろん時代や状況とともに変化し,進化しつづけてはいるよ.われわれの活動は寄生体のようなもので,社会のありようと強く連動しているからね.いま,どんな技術が世の中にあるのか,不況なら不況なりに手に入りやすい資材は何か,北カリフォルニアにはどんな人物がいるか――こういった事柄はだいたい1 年周期で変わるし,われわれのいる北カリフォルニアは特にそれが早い.SRLはそうした社会の変化を映し出しながら,それを栄養源として存続してきたわけだ.

NF ――いろんな要素をトータルして,気に入らない部分を引いていったとおっしゃいましたが,あなた自身はあなたをアメリカのいわゆる「現代美術」のコンテクストのなかに置いていますか?

MP ――置いてないね,ただ,僕は理不尽な人間でないし,独断で相手を選ぶなんてことはしない.「アート」界であれ,自分の嫌いな部分に付き合わされる必要が無ければOK ,という意味だ.つまり,「アート」界は,美術館や画廊や大学などの研究機関など,組織(institute )対組織でやっていて,それはそれで結構だと思うが,自分からそれにアピールするつもりはないし,その世界のパーティに顔を出すこともしない.それと,助成金の申請はやらないね.つまりアーティストが「アート」界にいるために通常しているようなことは,一切やってないんだ.そもそもまったく関心がないし,やる必要もない.そういったことは「弱さ」の現われだと思っている.申請すればいろんな助成金が貰えるとは思うが,そのためには,ショーの形態も限られるだろう.そんなことより,もっと困難なテストケースを作るほうにまわりたいね.常識はずれな前例をつくるほうが面白い.


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