ICC Report

MURAKAM and KAYAMA

日本のリアル

勝てるアイディアはアートにある

村上隆香山リカ
MURAKAMI Takashi and KAYAMA Rika



混乱を手中にする

香山リカ――村上さんは東京芸術大学ご出身で大学院まで進まれたんですよね.いわば芸術教育の王道を歩まれたと言っていいと思いますが.

村上隆──そういう気はしていないんですけどね.学校や先生のことを反面教師と考えていたから,何も教えてもらえなかったんです.まあ,それでよかったんですけどね.スタジオを借りることを考えると授業料のほうが安いので(笑).多分,当時の芸大は東京で一番安く一番でかいスタジオだと思ってましたから.

香山――コスト・パフォーマンスの良さ,ということですか.でも,大学に入学したときには何か期待があったんじゃないですか.

村上――すぐ何も教えてくれないなとわかってしまって.僕は,オタクと自分との距離を見つづけることで,モノを作っているんです.宮崎勤の部屋を見て,全然たいしたことないと思ったところから作品を作ったりしている.だから学校で教育を受けたからいまの自分の作品があるわけではないんです.

香山――宮崎勤が逮捕されたのは,1990年でした.そのときニュースでは,容疑者よりも彼の部屋やマンガ本などがクローズアップされましたよね.村上さんが宮崎の部屋をたいしたことがないと思ったというのは,「こんなやつ,特別ではなくてよくいるよ」ということですか?

村上――僕の仲間内が全員,あの部屋と同じでした.オタクの部屋って,だいたいみんな同じじゃないですか.関係ないけど僕は,幸せじゃないと思いつづけて生きてるんです(笑).不幸でもないが幸せじゃないという空気がずっとあるって.いろいろモチヴェーションを作って,手前に引き寄せて生きてきているけれども,本当の幸せがないので何だろうなと思う.

香山――学生時代に思い描いていたある種のイメージは達成できているわけですよね.でも上に昇ってみたら違ったということですか?

村上――上が無かった,ということだったりして.何か不幸せだなあ(笑).オウム真理教の事件のときちょうど海外にいて,日本に1年間ぐらいいなかったんです.もしかしたら僕のモノを作るモチヴェーションに影響を与えるくらいショッキングな事件だったかもしれないのに,そのときに日本にいなくて,それが欠落していることに対して,損をしたという感じがずっとあるんです.

香山――でも,あれはモノを作るモチヴェーションになりえたでしょうか? 確かに,全員がアニメの世界に組み込まれてしまったみたいな異様な状態でしたけれど.

村上――でもあのオウム対メディアの構造は,外から見ていたら,やっぱり僕が夢想していたある意味日本のリアル・ポップの世界ですよ.いまさらですけれど.

香山――物語に組み込まれていく昂揚感は確かにありましたけれど.例えば,「新宿あたりでオウムの襲撃がある」という噂が流れて,新宿の駅ビルが点検という名目で休みになってしまったりしたんですね.飲料水を買い占めたり,「明日,もし生きていたら会おう」とかみんなで言い合ったりして,それは本当にアニメのセリフをなぞっているようなものでした.でも,それはやはりフェイクな感じで,何か昔見たものを真似しているという気持ちもありましたけれどね.そこで何かが変わったとか,その騒ぎが終わったあとで何かを作ってやろうという気になった人はあまりいないんじゃないでしょうか.

村上――でも,飴屋法水さんなどアーティストをやめちゃったし,竹熊健太郎さんなどはあの直後に大混乱を来たしていて,傍らで見ていてうらやましかった.僕も,真剣に接していたら多分大混乱したと思います.けれど,そのときに完全に向こう岸の話だったので,いやあ,残念でした.

香山――竹熊さんは,あの後《エヴァンゲリオン》でも混乱したんじゃないですか.

村上――混乱してましたけれどね.でも,いままた自分のクリエイションに混乱を引き込むことに成功しつつある.この前『ビッグコミック・スピリッツ』で始まった韮沢早という不世出のマンガ家の研究のような企画などは,やっと混乱を手中に入れたという感じがします.やっぱりあの瞬間の現場に立ち会っている人といない人との差を痛感します.

香山――私はそういうのはわからないです.オートポイエーシスの理論で言うと,それは撹乱みたいなもので,物事の本当の生成にはならないと説明できるのではないでしょうか.要するに,引っかき回されるというか物事が動いてバタバタするけれど,そこから何かが生まれるわけではない,と.そこでバタバタ撹乱される人というのは,多分,精神病的でなく神経症的な人というのでしょうか.本当に狂気を孕んでいるわけではなくて,自分のなかの構造のズレがあるというか.古来,芸術や革命というものは,もっと本質的に,そういうものがなくてもモノを生み出すというか,精神病的なものを意味したんじゃないでしょうか.

村上――「精神病的」と「神経症的」の差って何ですか?

香山――精神病というのは自分を取り巻く世界も自己も全部が変容してしまうような病気です.例えば,突然世界が変わって,「自分が世界中の人から狙われている」というような思い込みを確信してしまうこと.多分患者にとっては.そういう体験はあまりにも私たちの日常を超えたものなので,そこで芸術的な才能がたまたま保たれている人は,その世界を描こうとするじゃないですか.すると非常にインパクトの強いものができあがったりする.精神病的な要素を強くもったアーティストは多くて,ムンクやゴッホが挙げられます.

 一方,神経症というのは,私たちの延長線上にある悩みをもつ病と言えます.具体的には対人恐怖症などの恐怖症,強迫神経症,あるいは家族間の葛藤や自己愛に基づく病など…….もちろんアーティストでもそういう人はたくさんいますが,神経症的な部分がいままで芸術の要素として取り上げられたことはそんなに多くなかったんです.

村上――そうなんですか.

香山――世の中を本当に変えられるのは,精神病的強度をもった芸術や革命だと考えられていたのではないかと思うのですが…….

村上――いま聞いていても,僕はその意味での「芸術」とかやってないなと思いますよ.僕は騒動を起こすのが好きだし,引っかき回すのが好きだし,それだけですからね.

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