「情報」を柱にした大学改革

なぜ遠隔教育が必要か?

歌田――オンラインでほかの大学と結んで,離れた地域でも授業を受けられる遠隔講義のシステムなど,かなり大がかりな装置もつくられるそうですね.

奥島――ええ.私たちはアジア太平洋地域におけるヒューマン・ネットワークとかメディア・ネットワークを考えていますから,大学の今後のあり方としても,大学間のコンソーシアムをつくり,ネットワーク化していかなければならないという基本的な考え方があるわけです.

 そこで,かつて早稲田大学と伝統的に関係の深かった大学と,片端から学生交流を始めています.国内にも国外にも大学間の交流協定を増やして,コンソーシアムをたくさん組んでいく.  なぜかというと,ご存じのように私立大学は授業料でまかなわなくてはいけませんから,国からお金をもらっていろいろなことをするということはできない.要するにターゲットを絞った,大学としてのアイデンティティにかかわる分野を強めていかなかったら,私立大学は今後生き延びていけない.けれども,学内の多様な関心をもっている学生たちの欲求に対して,すべてを満たすものを提供できない.

 しかし,それぞれ特色をもっている大学とコンソーシアムを組んでいけば,お互いに足りないところを融通しあうことができる.こういう相互補完システムでいくべきだというのが,私たちの戦略です.それで,私たちはいまどんどんコンソーシアムを組んでいるんです.例えば外国の大学との関係を言えば,私が就任したときは,協定校は29校しかなかった.いまは150校ぐらいになっているでしょうか.そういうふうにして外国の大学ともどんどん協定を進めています.

 いま,ワン・イヤー・スタディ・アブロードといって,1年間協定校に行って単位をとって,4年間で卒業する,こういうシステムを,アメリカの大学はもちろん,ECでも「ソクラテス計画」と名づけて,ECの一体性を強めるために大々的にやっている.私たちもそういうやり方が必要だと思って,それをどんどん進めているわけです.

 その一方,私たちには大学としてのもう一つの大きな戦略があります.それは,開かれた大学であると同時に,全学が生涯教育の機関になるというものです.つまり,地域に開かれるだけではなくて,できるだけすべての年齢に開かれた大学づくりをやっていこうということです.

 それはどういうことかというと,例えばアメリカの大学では24歳以下の学生はなんと20パーセントなんですよ.日本は24歳以下の学生が98パーセントぐらいでしょう.アメリカでは,学びたくなったときに学校で学び,そしてまた,学校を出ても,自分の人生でこのあたりで新たに転身しようということになると,そこでまた大学に行き直して新たにキャリア・アップしていく.高齢化社会で人生はこれから長くなっていくわけですから,さまざまな年齢の段階で人生に挑戦できるシステムにしていかなければいけない.そうしたリターン・マッチを可能にする社会を実現するためには,やはり日本の大学も生涯教育機関に変わっていかなければいけない.生涯教育というとカルチャー・センターのように思われるんですが,そんなものじゃないんですよね.大学や大学院自体が,生涯教育機関になっていかなければいけない.そういう戦略的な方向性をもっているわけです.

 あらゆる地域に対して開かれた大学にするためには,衛星を通じて,あるいはインターネットを通じて各地に授業を送っていく必要がある.学びたい意欲のある人たちに機会を提供できるようにしなければならない.しかも,それはあらゆる年齢に対して開かれていなければいけない.いまの大学本体そのものもオープンにしていきますけれども,それだけでは足りない.遠隔地とのあいだでもっと教育の面で協力していけるシステムにしていく.

 例えばマレーシアでは,大学の卒業試験に,なんとオックスフォードの卒業試験を受ける.オックスフォードが代行して試験をやり,卒業できたらオックスフォードに入れるシステムになっている.

 日本ではほとんどそれがなされていませんけれども,それでも沖縄に行きますと,アメリカの大学が通信教育の大学院をずいぶん開設しています.通信教育というよりも,むしろ沖縄在住の人たちを教師にして,単位認定を本国でやるというやり方をとっています.

 私たちもそういう方向をこれから広げていく必要があると思っています.例えば中国にいて早稲田大学の授業を受ければ,一定期間のスクーリングを経て,早稲田大学の卒業生として社会に出ていくことができるようにしたい.

 そういう意味で,教育システムを,空間的にも年齢的にも広がりのあるものに変えていきたいと思っていますので,先ほど指摘されたように,インターネットなども利用して,かなり大規模な教育システムを展開したいと,準備を進めています.

歌田――遠隔教育は,たんに高速回線ができたから始めるというものではなくて,大学教育の変容のなかで必然性があるというわけですね.

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