新たな文化・社会の情報基盤としての次世代インターネット

次世代ネット時代の「豊かさ」とは

 

武邑――いままでは産業社会のなかで余暇というのは,ある種の身体的な,時間的拘束や精神的拘束から離れて,家族や自分のための時間として必要だった.そういう意味で,「余暇」と「労働」の価値は,非常に明確にボーダーとして分かれていたと思うんです.

 ところがいま,私なんかはどちらかというと,その境界線がないんです.多分多くの知的生産とかコンテント生産だとか,ある種デジタル世界に関わっている人たちに共通していることだと思うんだけれども
――もちろん意識的にあえて余暇をつくるということはありますよ.あえてどこかに,自然のなかに遊びに行くとか,余暇というかたちを創出,デザインすることはあっても,日常的な環境全体が,仕事,ある種の情報的快楽,あるいはコミュニケーションの欲求,およびその快楽原則と言っているものにすべてが連続している.だから私は「余暇」とか「労働」という二分法のなかでの豊かさというのは,もうないかもしれないと思うんです.
逆に言えば,豊かさというものが非常に個体的で多様化した形態になったことで,逆に産業のなかでの「労働」の価値とか,余暇産業の多様性も見出されてきたし,そういう意味では,コミュニティや個人というものを支えている「労働」と「余暇」の大いなる概念の変化が,これからの社会のシステムそのものをつくっていくんだと思うんです.NGIをはじめ,次世代のかなり高度な情報通信インフラというものは,個人の生産性やパフォーマンスを圧倒的に変化させていく基本的なインフラになるだろう.これは文化生産を含めてなんですけれども.

 そういう意味で,文化というものがある意味で経済や産業の下部構造に存在していたような感覚,つまりお金がもうかったら文化に投資できるというような考え方は,もう完全にひっくりかえっていると思うんです.つまり文化を創造しない限り産業も経済もついてこない.
カリフォルニアン・イデオロギーと言われていた,93−94年以降のシリコン・ヴァレーをベースにしたデジタル・カルチャーの文化情報発信力というものがもしなかったら,世界的にも,これだけ3DCGやデジタル・コンテントをつくる,ウェブをつくるという,マルチメディアの職能はこれだけ拡張しなかっただろうと思うんです.

 この人たちはみんな苛酷な時間労働であっても,好きだからやる.デジタル文化に関わり,その生き方というものに深くコミットするから,職業として成立する.ただ,これをコントロールしているのは,数パーセントのデジタル・エスタブリッシュメントだという見解はあるにしても,多分文化の創出力が,国のこれからの大きな豊かさを決めていくんだと思うんです.

青山――「豊かさ」というとついついすごい豪邸に住んで,ハワイかどこかに遊びにいくというイメージがありますよね.ある日本人でシリコン・ヴァレーで成功された方がいて,スタンフォードのあたりをはるかに見下ろす太平洋側の丘の上のお城を購入して住んでいるのですが,何人かの人とそのお館に招かれたことがありました.とにかく見渡す限りの広大な敷地の中に部屋数も知れないほどのお城で,夜は照明のつく広いプールがあり,という夢のようなところです.
夜更けになって「泊まっていきなさい」とのお誘いで一晩泊めていただきましたが,ものすごい広さの寝室の真ん中に昔ヨーロッパの王様が寝たような天蓋付きベッドがドーンと置いてあって,そんなベッドでは落ち着いてよく眠れませんでした.そういうお城にご夫婦二人で生活されている.その方はそういう屋敷に住み,自分の庭にオペラを呼んできて野外オペラを鑑賞するというような生活を送られていて,それで自分の成功を「豊かさ」として実感しながら暮らしているのでしょう.
一方,私はそういうビジネスの才覚もないからでしょうが,そういう生活に魅力を感じるより,自分がプレゼンスしているのを社会のなかで実感するというか,社会とのインタラクションのなかで,どれだけコミットしているか,どれだけ才能ある刺激的な人とコミュニケートできるか,自分がどれだけ情報発信できているか,そういうことが豊かで充実していると感じるほうの人間です.そういう人間はまさに先生がいま言われたように,まるで仕事のなかでしか豊かさを感じられなくなって,余暇と仕事の区別がなくなってくるのです.金持ちにはなれない性分です,私は.

武邑――そうですね.最近,例えば年収1000万円とった人が,700万円,500万円になってでもNPOに入って活動するというアメリカ人って,すごく多いんですよ.NGOは,70年代とか80年代ぐらいには数百しかなかったのが,いまは主だったものだけでもう数千でしょう.

青山――そう.

武邑――そういう国を超えた,個人のある種の意識のネットワークとか自己実現のネットワークによって,国すらも動かしてしまう,そういう感応のネットワークが,人間そのものの旧来の価値体系からどんどん離陸していくことを加速させている.

青山――そう.だから,豊かさというのは定義によるんだけれども,充実して生活していることが豊かだとすれば,次世代インターネット,広く言えばインフォメーション・テクノロジーはそういう機会をどんどんわれわれに与えてくれるものだと思います.インターネット関連株で大儲けをするのも豊かになるのは間違いありませんが.

武邑――そうですね.

青山――人間というのは,自分で何かを発信しているというか,自分からアプローチしていく,自分で何かして社会からインタラクションがあって自分のプレゼンスを実感する,ヴォランティアで何かをやって自己の存在理由を実感する,というようなところで充実感,幸福感を感じる生き物で,それである程度余裕のある生活が送れる金が入ってくればそれで最高,と私は思ってしまう.
インターネットが発展するにつれてそういう機会がどんどん増えると思います.仕事なのか趣味なのかわからなくなってきますが.家庭があって家族が仲良く暮らしていることが「幸福」の象徴になっていますが,家族がぎゅっと一体になってやっていけばそれで幸福なのか,それ以外は不幸か,というとそうじゃないような気がします.インターネットはいろんなかたちの幸福をわれわれに与えてくれるかもしれない.

武邑――単一の価値観を規定してきた社会というものが,事実上ほとんど崩壊していますね.サイバースペースによって共有されている社会の機構を考えると,多分それは非常にわかりやすくなると思うんですね.
例えば大阪に住んでいる人と東京に住んでいる人が頻繁にメールや電話でやり取りしていると,その人たちは,東京と大阪の地を相互に部分的に共有しており,実際に居住するという地理的特性を超えているところで仕事をしていたりする.そうすると,そこで旧来の国勢調査をやってもあまり意味がないんですよ.サイバースペースは,電子メディアによって媒介される情報空間に加え,実空間における人間の身体性や活動を,実空間とはまったく異なった,あるいはそうした制約から離陸して結びつけるという性質をもっています.
だから,AさんとBさんは大阪と東京に住んでいるけれども,じつはサイバースペースの中の情報トレーディングという関心時空のなかで生産性を上げている.じつは現状の社会システムにおいても,サイバースペースの地理概念にフォーカスが当たるべきなのに,いままでの社会システムだとどうしても実空間にしかフォーカスが当たってないので,その範囲でしか物事が判断されていない.

 例えば別居したり離婚したり,いろんな人間たちの家族関係といったレヴェルでも,複合的な多様性を通過していくと,それぞれの価値観のなかで単一のテーマの人間関係があるよりは,複合化したプロセスのなかで生きてきたほうがよっぽど教訓的で,その人生を評価する部分があったりする.ところが一元的に何かが見通されてしまうと,旧来の価値観から出ていけないということでしょうね.そういう意味では,われわれの社会とか人間の価値観全体に大きなテーマを投げかけてきているのも,こういう情報通信技術だと思いますね.

[1999年7月8日,東京大学]


■註
★1
ギガビットは100万キロビット,テラビットは1000ギガビット.

あおやま・とものり
東京大学大学院工学系研究科教授.
工学博士.電子情報通信学会,米国IEEE学会会員.
日本電信電話公社(現NTT)入社後,MIT客員研究員,NTT光ネットワークシステム研究所長などを経て現職.著書多数.
たけむら・みつひろ
1954年生まれ.
東京芸術大学大学院美術研究科修了(専攻=美学).
東京大学大学院新領域創成科学研究科助教授.
メディア環境学.
著書=『メディア・エクスタシー』(青土社),『デジタル・ジャパネスク』(NTT出版)など多数.

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