シンポジウム/ルイジ・ノーノと《プロメテオ》

インテンシヴな空間

浅田──ラッヘンマンさんから50年代末以降作曲家としてノーノと長くつきあってきた経験に基づくお話を伺い,磯崎さんから80年代以降建築家としてノーノとつきあってきた経験に基づくお話を伺ったわけですが,ある意味でそれをつなげるかたちでノーノと空間という問題を考えてみたらと思っています.  じつは私も,87年にノーノがサントリーホールで行なわれた新作の上演のために来日したとき,彼を京都に案内して,一緒にお寺や街を見て歩きながら話をしたことがあります.とくに記憶に残っているのは大徳寺ですね.たくさんの塔 頭にそれぞれ石の庭や苔の庭がある.そういう多様なミクロコスモスが一つのお寺の中にコンパクトに畳み込まれている.そんな空間をどう説明したらいいか.それで,おおざっぱな分類ですが,エクステンシヴな空間とインテンシヴな空間,外に広がっていく空間と内に畳み込まれていく空間という言い方をしてみたわけです.例えばパリのような都市は,バロック的な都市計画に基づく壮大な軸線にそって,まさにエクステンシヴな空間として演出されている.他方,京都は,単にグリッドになっているだけで,外から見るとそんなにきれいな町ではないけれど,そこここに,いまあげたお寺の例のような,小さくても濃密な空間が畳み込まれている,そこにあるのはむしろインテンシヴな空間なのだ,と.ノーノがその説明で納得したかどうかはわかりません.ただ,私なりに敷衍して考えると,ノーノの音楽はある深い空間性をもっている,その空間性自体エクステンシヴというよりもインテンシヴであると言えるのではないかと思います.

 このことは,ラッヘンマンさんが指摘された,50年代末のダルムシュタットでの,一方におけるブーレーズとシュトックハウゼン,他方におけるノーノの差異と関係しているように思われます.ダルムシュタットで50年代に起こった問題というのは,音のさまざまなパラメータ(音の高さ,長さ,強さ,音色など)をすべてセリー化して群論的に構造化していったあげく,いろいろな音が点として散在しているようにしか聴こえない 点 的 な状態に行き着いてしまった,それをどうやって乗り越えたらいいのかという問題だったわけです.そこで,シュトックハウゼンやブーレーズは,壮大なフィールドや華麗なコンステレーションを作って点的なものをいわば面やヴォリュームに広げていくという,エクステンシヴな空間的拡大による解決をはかったと言えるでしょう.ところが,ノーノはそうではなかった.ラッヘンマンさんが言われたように,彼は点的なものにあくまでもこだわる.一つの点としての音であっても,内部を覗き込んでみると微妙なゆらぎがあったり,どこから響いてくるかによって全然違う表情を帯びたりする.あるいは,その音が周りの沈黙との間に微妙な関係をもっていたりする.このように,一つの音を徹底的に聴くことで,点としての音をインテンシヴな空間としての広がりにおいて再発見していくわけですね.ですから,ブーレーズやシュトックハウゼンが外に向かってエクステンシヴに拡大していこうとしたのに対し,ノーノは内に向かってインテンシヴに入り込んでいくことで非常に深い空間を見つけたと言えるのではないかと思うのです.

 これらの作曲家たちが文字通り空間的な音楽を作ろうとしたときにも,その差異が出てくることになります.例えば,シュトックハウゼンの《グルッペン》では,三つのオーケストラが三方に配置されていて,クライマックスでは金管が同じ和音をバーッと投げ合う,これは,ドイツ的メガロマニアと言ってはいけないかもしれませんが,ある種の権力意志に裏付けられたスペクタキュラーな空間体験,徹底的にエクステンシヴな空間体験です.シュトックハウゼンはそれでも満足できないので,弦楽四重奏団をヘリコプターに乗せなくてはいけないとか,可能なら宇宙空間まで出て行って音楽を奏でたい,それこそシリウスまで行きたいとかいうことになるのでしょう(笑)[★13].時代は下りますが,ブーレーズも,80年代の《レポン》[★14]では,聴衆の周りにオーケストラと独奏楽器を配して,オーケストラとソリスト,あるいはソリスト同士の交唱を,ライヴ・エレクトロニクスによる変換を介して,華麗に展開してみせる.実際に聴いてみると,空間の中での音と音との対位法的な響き合いを明確に聴き取ることができる.しかし,それはやはりあくまでもエクステンシヴな空間体験です.そもそも,この曲を聴いていると,技術の粋を尽くして作り上げたゴージャスだけれどもどこか不毛な音の饗宴という感じがするんですね.率直に言って,私は自らの頽廃的ブルジョワ趣味ゆえにその不毛な輝きが嫌いではない(笑).
しかしやはり,《レポン》というのは,いまやフランス国家の文化政策の先端を代表する芸術家が,最も磨き抜かれた技術と莫大な予算によって実現した,華麗にして不毛な成果だったと言わざるをえないと思います.そういうものと比べてみると,《プロメテオ》は,同じように空間的に音が動くとか音と音とが響き合うとかいっても実際にはまったく質が違うんですね.確かに,音が空間の中を旅する.しかし,エクステンシヴな空間の中で音が回転するとか音と音とが交互に応答し合うとかいったスペクタキュラーな効果が追求されているのではない.むしろ,磯崎さんが言われた洞窟の中にあるかのような空間,音響的にも視覚的にも暗い空間で,しかし,よく耳を澄ませてみれば,聴こえないはずの微妙な響きが,しかも音源とちょっとずれたところから響いてきたりする.そうやって耳を澄ませているうち,知らず知らず洞窟の中の群島をさまよっている自分を見出すことになる.この作品のそういう特徴を端的に表わしているのは,音響技術の使い方だと思います.これについては,ノーノと長年協力してきたアンドレ・リヒャルトさんが実演つきで明解に説明してくれました[★15].
例えば「ハラフォン」[★16]というのがあって,音を空間的に回すことができる.しかし,単に回すだけだと,それこそ万博のパヴィリオンのデモンストレーションのようになって,エクステンシヴな空間の中をスペクタキュラーに音が移動するというだけになってしまう.ところが,ノーノの場合は,例えば右回りと左回りを同時にやるので,音がどの方向に回っているということがわからない.確かに音が動いているけれども,エクステンシヴな空間の中を明確なヴェクトルをもって動いているのではなく,いろいろな動きが打ち消し合う中で,方向が定かではない,あるいは複数の方向に分散化され迷宮的となった音の旅,インテンシヴな空間の中の旅というのが立ち現われてくるわけです.

 《プロメテオ》の初演のときはレンゾ・ピアノがヴェネツィアのサン・ロレンツォ教会の中に船のような構造体を作ってやったのですが,ノーノはその少し前に「私の頭があたかもサン・ロレンツォ教会であるかのように感じている」と言っています.自分の頭蓋が一つの教会の空間になっており,その中を音がどのように旅するかということをイメージしている,というわけです.逆に言うと,サン・ロレンツォ教会なり,秋吉台のホールなりが,全体として,いわば一つの頭蓋――ノーノの,また,われわれ一人一人の頭蓋の内部空間になってしまい,その内部空間の中を音が遍歴していく,そして,それを追っていくことで,非常に深いインテンシヴな空間体験を味わうことができる.おそらくそれがノーノの考えたことではなかったか.とすれば,それは,今回の秋吉台での日本初演において,理想的なかたちで実現されていたのではないかと思います.すでにノーノ自身はいませんが,その深い意図が,彼との実際のつきあいを通してそれをよく理解している人たちによって,見事に実現された.ノーノの音楽を愛する者として,そういう機会に立ち会えたことを大変幸せに思っています.

長木――今回,日本初演をするというので,大学のゼミナールでノーノの《プロメテオ》を中心とした作品研究をやったのです.その際強く感じたのは,日本においてはノーノの受容がゼロに等しいということです.まず,日本語で読める文献はほとんどない.しかしこれは日本だけの問題だけではない.つまりノーノの著作集は,イタリアではなくドイツで,ドイツ語で出ているわけです.ノーノの初期のほとんどの作品は,ドイツで初演されました.ノーノの作品がイタリアで初演されるようになったのは1960年代になってからで,《イントレランツァ1960》からでした.ノーノ自身もイタリアで活動することにかなりの困難を覚えて,その後マデルナとダルムシュタットにスタジオを作ったりするわけですが,言ってみればノーノ自身が旅する人だったのです.

 そういう経緯をもった人間を日本で一つのコンセプトで定着させるのは難しいのかもしれない.私は博士論文でブゾーニ[★17]という作曲家を研究したのですが,ブゾーニもイタリア生まれでベルリンにずっと住んでいました.こうした作曲家に関する情報は,発信の中心が成立しにくくて,日本においての受容が難しく思われます.ノーノの場合は本格的に曲を書きはじめた頃はダルムシュタットを中心に活動し,晩年はフライブルクを拠点にしていたので,かろうじてドイツ語になっていますが,そういう作曲家に対してわれわれはなかなかまとまった表象をもちにくい.彼はドイツの作曲家だとか,彼はイタリア人だからだとか,そういう枠組みをあらかじめ設定しないと,われわれ日本人はこれまでものをとらえられなかったのではないかということを,いまさらながら痛感したのです.

 もう一つは,イタリア語で書かれた声楽作品が多いので,演奏の場がこれまでほとんどなかったのです.初期の代表作と言われる《イル・カント・ソスペーソ》でさえ日本初演されたかどうかを調べるのに苦労する.彼の二つの重要なオペラ作品《イントレランツァ1960》と《愛に満ちた太陽の光の中で》はいまだに初演されていません.《プロメテオ》が彼のそうした大きな作品の中で最初に日本初演されることになってしまったという,時代の逆説みたいなものがあるのです.相変わらずわが国で上演されるオペラは19世紀作品が主で,そこから出られない.ノーノは何重かの意味において,日本でオペラ作品を上演される可能性がないのです.逆に言いますと《プロメテオ》は「聴く悲劇」としてくれたためにむしろ上演が可能になったと考えることもできる.

 これは,私はいまだに疑問なのですが,なぜ《プロメテオ》を「オペラ」と呼ばなければいけないのか,もしかすると,われわれだけの大きな間違いかもしれない(笑).もしオペラと呼び,オペラの枠の中で考えると,これは巨大な革命なのです.オペラは演出がつき,何らかのオペラたりうる台本をもつのですが,そういったものを一切排除してオペラを作ったとすると,《プロメテオ》はやはりオペラの歴史の中では特異な作品であろう.19世紀的なオペラを観るとき,われわれは座席に座って前面にある空間で展開されているものを享受するだけなのです.戦後のプスール[★18]やカーゲル[★19]のようにオペラを解き放とうという動きはあるのですが,ノーノは別のかたちでオペラを崩していこうとしたと思います.

 これは確かに「聴く悲劇」ですが,われわれは聴覚だけで聴いてはいないのだ,ということがよくわかる作品だと思います.これほどコンサート会場の中で自分の置かれている位置が切実にわかる作品も珍しい.19世紀的な作品概念でいうと,聴き手の一人一人が理想的な空間で曲を聴いている.その最も先鋭的なかたちがCDとかレコードとかで,誰でも同じ条件で聴くことができるということになろうかと思いますが,空間の中で自分がどこで聴いているかによってこれほど違う作品もないし,音が発せられた方向から聴こえてこないでさまよいつづけている.こういうことはブーレーズの《レポン》を聴いても感じなかったことです.ブーレーズの作品は,ブーレーズが指揮しているところで聴くのが一番良いという気がします.ですから彼は,自分の作品を自分で指揮するのだと思うのです.聴く位置によって変わるのは《レポン》でも物理的にはそうなのですが,ブーレーズでは本質的なことではないのではないか.

 とはいえ,日本のノーノ受容において,より伝統的なオペラに近い《イントレランツァ1960》や《愛に満ちた太陽の光の中で》が初演される前に《プロメテオ》が初演されたのは,ノーノという作曲家を知るうえでむしろ良かったのではないかと思います.一人の作曲家を理解するためにその作品を順序立てて聴いていくのは一つの方法ですけれど,終わりから聴いてみる,到達点から過去の作品を眺めてみるというのも,言ってみればノーノとカッチャーリがテクストの下敷きにしたベンヤミン的かもしれませんけれども,そういう意味で,今回の初演は考えさせるところがありました.

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