エクスターズする文化へ
デジタル社会における内包空間の発現

エコロジーとテクノ・シャーマニズムのプロセスが
どうこれから接合していくのか

伊藤──さきほどの「姥さま」じゃないですが,姥さまの木像の写真を見ると大胆な鉈の使い方をしてますよね.やはりそれを見るとそこに霊気がこもっている.ウィリアム・バロウズが,合板を何枚も重ねて,銃で撃つショットガン・ペインティングという作品をつくっているのですが,バロウズもその無茶苦茶に破壊された木の断層の作品から「木の霊が立ち上がってくる」という言い方をしていたのです.では,霊を感知する僕らの直感的な力をどうやって再生していったらいいのか,と中沢さんは考えていますか.

中沢──そういう感覚の立ち上がりを個人的な記憶でたどってみると,僕の場合は台風でした.子供時代に初めてすごい台風が来たんです.恐ろしい夜でしたが,翌朝,太陽の光線がすごくきれいになって,庭へ出ると植物がみんな折れていた.この折れた植物の切り口を見たとき,何か陶然となってしまったんですね.何か巨大な力が通過していって,いままで木の中に隠されていたものをここで立ち上がらせている.おそらくインディアンなんかもそうだと思いますが,日本人の場合,自然のつくりだすカタストロフィは,何かを人間の前へ立ち上がらせる力をもっています.  あるいは,これには現われ方の二つのスピードがあるんですよ.一つは,こぶしが春になって蕾から咲き出すじゃないですか.あの堅い木の中にそんなものはなかったと思うのに,ゆっくり花が咲き出す.あれも何かのプネウマの現われですよね.それからもう一つは,ものすごく過激なやり方で,台風のようなカタストロフィとしてあらわにする現わし方があります.シャーマニズムというのはおそらく,暴力的に激しい力であらわにするやり方なんでしょう.「生木責め」という習俗がありますよね.昔ながらの習俗で,桃とか栗が生らないと叩くわけです.ふつうだったら植物は放っておいても自然にゆったりスピードで実をつけていくけれども,強制的に実をつけさせる.呪術というのは激しい打撃を加えていくものです.

 だから多分呪術と技術はここで結びついていますね.技術も激しいやり方でエネルギーを取り出す.大地の下の石油とか石炭とか,あるいは原子核融合反応ですね.自然の中からものすごく激しいやり方で取り出してくる.技術というのは本性上そういうものだと思います.最初にシャーマンと呼ばれる人々が火を起こしタタラを始めた瞬間に,もうその未来にはパキスタンの砂漠で爆発する核というのが予告されている.それぐらいのものだと思う.技術というのはおそらくそういう過激な特質をもっている.そして,ゆったり成長していくプロセス,これはエコロジーのプロセスなんですね.エコロジーのプロセスとテクノ・シャーマニズムみたいなプロセスが,どうこれから接合していくのか.昔みたいに技術力だけで自然のゆっくりしたポイエーシス・プロセスを破壊したり改造していく方向ではもう人間はだめですから,この二つの,エコロジー的なポイエーシスの霊の立ち現われ方とテクノ・シャーマニズム的な立ち現われ方をいかに結合して第三の形態をつくれるかというところに,人間の文明が生き残れるかどうかがかかっている気がするんです.

──今年インドで,何年かに一度の大祭の年に核実験が行なわれたということの意味はすごく大きいと思います.自然の中から力を暴力的に引き出すやり方とは別のやり方を,いま見つけなければならないぎりぎりのところまで来ているような気がするんです.

中沢──だからネオ・シャーマニズムも,細野さんの音楽も,デリケート・テクノロジーというものの象徴じゃないかなと思います.デリケート・テクノロジーとかデリケート・サイエンスというものの象徴としてこういう音楽やシャーマニズムがいまふつふつといろいろなところで生まれている感じを受けています.

──「微細技術」と「繊細な科学」ですね.細野さん,音楽の中で,いま言ったようなデリケートな科学とかデリケートな芸術はどういう方向にあるのですか.

細野──一つはコンピュータで音楽つくっている人が本当に増えています.ほとんどがそうですね.もちろん,専用のシーケンサというものも含めたテクノロジーでつくっている場合は,常に自分とのフィードバックでやっているわけで,自分の心の細部までスキャンしているのと同じことなんですね.非常に密度が高くて微妙な世界を,四分音符の中に480くらい分割してつくっていったり,いまはもっと分解度が高くなってきていますから,そこを停止させるってことがすごいことですね.音を停止させてそこをつくっていくというのがいま一番面白いですね.かなり微妙な作業をやっているわけです.

伊藤──「移動する聖地」展のカタログの中に,《ネオ・シャーマニズム》ということに関して寄せた作者のチェベ・ファン・タイエンとフレッド・ハーレスの言葉があります.そこには,危うさというか,危険を乗り越えて新しくシャーマニズムを構築していくときの大切な心構えみたいなことが書いてあるのです.世界と自分自身を理解する方法をいろいろな神話や物語を見比べて,原型を引き出し,さまざまなものの見方の中から同じものを発見できれば,チャンスが生まれる.価値体系を定義しなおして,心と体,物質と精神を統一しなおすチャンスがそこに生まれてくる可能性がある,という言い方をしています.向こう側にある目に見えない大地とのつながりをどういうふうに取り戻していくのか,という非常に大きな課題を僕らはこれから先もずっと与えられていくんじゃないかという気がします.

[6月18日,ICC]


ほその・はるおみ――1970年,「はっぴいえんど」を結成.日本語によるロックの開拓によって高い評価を得る.その後,ソロ活動などを経て,坂本龍一,高橋幸宏と「YMO」を結成.「YMO」散解後は,レーベル「ノンスタンダード」「モナド」を設立.独自の響きをもったポップスや,制約や形式から解放された音楽の数々をリリース.96年にレーベル「デイジーワールド・ディスク」を発足し,新しい音楽の潮流を紹介している.

なかざわ・しんいち――1950年生まれ.宗教学.著書=『チベットのモーツァルト』『森のバロック』『哲学の東北』『純粋な自然の贈与』(以上せりか書房),『雪片曲線論』(青土社),『虹の理論』(新潮社),『はじまりのレーニン』(岩波書店),『音楽のつつましい願い』(筑摩書房),『ブッダの夢』(朝日新聞社)など多数.

いとう・としはる――1953年生まれ.多摩美術大学教授.美術史.著書=『ジオラマ論』『生体廃墟論』(ともにリブロポート),『機械美術論』(岩波書店),『リコンフィギュアード・アイ』(監修,アスキー出版局),『最後の画家たち』(筑摩書房)など.ICC「移動する聖地」展を企画・監修.

みなと・ちひろ――1960年生まれ.写真家,評論家.多摩美術大学助教授.著書=『映像論』(NHK出版),『写真という出来事』(河出書房新社),『記憶――「創造」と「想起」の力』(講談社),『注視者の日記』(みすず書房)など.「移動する聖地」展に森脇裕之とのコラボレーション《記憶の庭》を出品.
[これは,ICC「移動する聖地――テレプレゼンス・ワールド」展の関連企画として6回開催されたトーク・セッションの最終回「ネオ・シャーマニズム」を抄録したものです.同展の展覧会評はpp.180−183の「ICCレヴュー」を,また関連企画のトーク・セッションの全体の概要とシアター・プログラムに関してはpp.184−189の「ICCレポート」をご参照下さい]
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