特集:テレプレゼンス――時間と空間を超えるテクノロジー/ウィリアム・バクストン・インタヴュー

テレプレゼンスはテクノロジーではなく, インタラクション・デザインである

――まず最初に「テレプレゼンス」という言葉について,どのように考えておられるのか,お聞かせください.

ウィリアム・バクストン(以下WB)――おそらく多くの人が,テクノロジーを「人間と機械のあいだのインタラクション」という観点で捉えていると思いますが,じつのところ私が最も重要だと思うのは,テクノロジーとは「人間から人間へのコミュニケーション」を仲介するものだということです.
そのような意味で,テレプレゼンスは最も興味深い研究領域の一つであるわけですが,確かに「テレプレゼンス」という言葉で何を意味しているのかをはっきりさせておくのはいい考えでしょう.多くの人がさまざまな意味でこの言葉を使っていますからね.例えば,場合によっては「テレプレゼンス」は「テレロボティクス」「遠隔操作」を意味します.

一方,私の研究においては──私の仕事は,離れた場所どうしでの社会的インタラクション,つまり人間と人間のインタラクションの領域に限られていますが──「テレプレゼンス」のうち「プレゼンス」の部分を重視しています.問題は「プレゼンス」とは何かということです.それは,人間の存在,活動の存在,アーティファクトなど,すべての事物のもつ「存在感」といったもののことです.このインタヴューにおいても,われわれは重要なさまざまな事物/事象を共有しているわけで,例えばヴィデオ会議の場合には,この共有物を十全に整えるのがきわめて困難です.つまり,完全なコミュニケーションを成立させるためには,存在感──こうした事物/事象のすべてが「そこにある」という感覚が,フィジカル,ヴァーチュアルの両面において非常に重要なのです.テレプレゼンスのためには,これを実現させなければなりません.

二番目に重要な点は──これはまだまだ多くの問題が残されている領域ではあるのですが──,テレプレゼンスは単に地理学的な意味で離れた場所どうしを繋ぐというだけでなく,別個の時間をも繋ぐものだということです.例えば,どうしてもミーティングの時間にその場に来られないという場合は,同じテクノロジーを使って空間だけでなく時間をも繋ぐことができるのです.つまり,あるときはヴィデオ会議で離れた場所どうしを繋ぎ,また別のときは,VTRを使って別個の時間を繋ぐことができるわけです.この両者は一体化されていませんし,同じ問題だとも見なされていませんが,これはさまざまな面で同一の問題なのです.

――なるほど.テレプレゼンスでは存在感の伝達が非常に重要だということでしょうか?

WB――そうですね.また,テレプレゼンス・テクノロジーの捉え方自体にも大きな問題があります.現在,テレプレゼンスはテクノロジーの問題として研究されています.しかし私の見るところでは,その本質はテクノロジーの問題ではありません.インタラクション・デザインの問題として捉えるべきなのです.

例を示しましょう.例えば,事故などで手が切断されてしまったというような場合,医者に義手を作ってもらいますね.義手や義足はフィジカルな人工器官ですが,テクノロジーとは社会的な人工器官なのです.私が片手を失ったとします.すると医者は義手を作る前にまず,私がその腕を使って何をするのかを知っておかなくてはなりません.私はウインドサーフィンやスキーをやりますし,コンピュータを使っての作業や設計もします.私の活動内容を知って初めて,私の必要に応じた義手のデザインができるわけですね.私とはまったく別の仕事,趣味をもっている人の場合は,デザインもまったく異なったものになります.

つまり,何かの能力を与えるためにテクノロジー・デザインを行なう場合には,必ずその活動内容を理解しなければならないのです.テレプレゼンスをサポートする場合もまったく同じです.ミーティングの性格,インタラクションの性格というものを理解しなければなりません.これはテクノロジーの問題ではなく,社会学の問題です.現在,通信関連企業を見ると,ほとんどどこでも,テレプレゼンス研究者の80−100パーセントがエンジニアです.私に言わせれば,少なくとも50パーセントは社会学者であるべきなのです.

ざっとイメージを描いてみましょうか.オフィスでは,そこにいる全員が,誰がどこにいるかを目で見ることができます.いつでも横や後ろを向けば,この人やあの人と話をすることができ,一人ひとりを区別することができます.これがインタラクションです.e-mailの場合でも同じです.e-mailは通信ネットワークのように思えますが,実際には社会関係のネットワークなのです.この社会関係のインタラクションはグラフで表示できます.事実,数学には,この種のダイアグラムのプロパティを研究できるグラフ理論というものがあります.通信のエンジニアなら誰でも知っています.

しかしここで,対象を電話交換から純然たる人間に変えると,みんな,情報のフローを分析するのと同じテクニックを使えるのだということを忘れてしまうのです.ヴィデオ会議の場合と,直接会って会議をする場合とでは,両者のプロパティや社会的行動は大きく異なります.この問題を解決しなければなりません.つまり私は,自分がどのような組織や社会的関係を求めているのかを自覚し,それをデザインしなければならないと考えています.そのためには,単なるテクノロジーだけではなく社会的知識が必要です.ところが,こうしたテクノロジーをデザインするための用語そのものも間違っているのが現状です.一般に「コミュニケーション・テクノロジー」という用語が使われるのは,重要な点は情報の伝達だと考えられているからですが,何よりも重要なのは「信頼性」です.そこで私はこの種のテクノロジーを「トラスティフィケーション(trustification)・テクノロジー」と呼んでいます.なお,この言葉は私の造語です.

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