InterCommunication No.16 1996

InterCity PRAGUE


オルビス・フィクトゥス
現代美術におけるニュー・メディア展 4/4


の他に,黙想的でホリスティックな宇宙における人間の知覚をより抽象的に表現したのが,ヤンカ・ヴィドヴァ・ザチコヴァのコンピュータ・アニメーションである.観客を暗く,うごめき,そして絶えず変化を続ける,白と黒の斑点と穴による宇宙に引き入れるこの作品は,リアリティの境界のない時空間の連続体である.マーティン・ヤニチェクの《世界のイメージ》は,大きな太鼓への幾層もの投射によって,精神の世界地図,マンダラを現代的な形態に置き換える.このアーティストが,光と音の波のエネルギーがミクロとマクロ・コスモスを結合させるのをミニマリスティックな手段で描こうとするのに対し,宇宙を描くのにハイテクを用いてインタラクティヴな人工環境を作ったのは,より若い世代のフェデリコ・ディアスである.グループ・デガットと協同した彼の《スピン》では,巨大な箱の中で,一面に投影された宇宙の誕生を思わせる映像とコンピュータ・サウンド・プログラムが,観客の声と姿に反応して抽象的な幻覚的宇宙のシミュレーションを作る.デヴィッド・チェルニーのビデオ・インスタレーション《獣》は,頭からモニターの光を放つ柱状のオブジェに観客が近づくとモニターの光が消えるというように,観客とモニターの覗き見的な関係と戯れる.テクノロジーと,私たちが生来持つ想像力,感覚の信憑性そして知覚との関係は,展示作品中最も非物質的でコンセプチュアルな作品,ミラン・グスターによる《空(くう)》でも問われている.観客は,暗い箱状の部屋に入ると,波長を調節した超音波がサブリミナルな効果をもたらし,脳の働きと同調するのだと告げられる.そこにテクノロジーの姿はなく,いわばテクノロジーのシミュレーションがあるだけだが,それとどう対応するかは,全く各々の観客次第である.この作品は,ニュー・メディアと,フィクション,ヴァーチュアル,そしてリアルの関係性の移行ゾーンに捧げられた同展の中で,恐らく最も明白で,不思議で,錬金術的で意義のある(すなわちこの街がずっと求め続けてきた)インスタレーションだったかもしれない.空(くう)と空虚が,ますます進化を続ける大量のテクノロジーに囲まれた私たちのたどり着く,究極の状態なのかもしれない――データと,映像と,形と色で溢れた,宇宙の全体を把握しているかのように作られた器械,すべてのものを視覚化し,偏在化し,そして支配下におくためにプログラムされた器械に囲まれた私たちの.


[「オルビス・フィクトゥス」展は1995年12月1日−1996年1月1日プラハの国立ギャラリー・ヴァルドシュテイン乗馬学校において,また,国際メディア・シンポジウム「アーティファクトとしての人工環境」は1995年12月4−7日ゲーテ・インスティテュート・プラハにて開催された]

(ミロシュ ヴォイチェコフスキー・美術史/
訳=せい けいこ・キュレーター,メディア評論)


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