Project ICC
安斎利洋 ANZAI Toshihiro

中村理恵子 NAKAMURA Rieko
三宅なほみ MIYAKE Naomi
石井裕 ISHII Hiroshi

SUMMARY
GO CONTENTS
GO MAGAZINE & BOOKS PAGE

《二の橋連画》

はじめに
コミュニケーションとしての連画
創造のプロセスとメッセージの伝達
連画におけるクレジット(著作権)問題
連画における足し算・引き算と遺伝的側面
他人と自己との境界線
発想の転換
情報を自分の中でいかに活かすか

はじめに

昨年12月2日から19日まで,東京・二の橋のNTT/ICCギャラリーで『「二の橋連画」
影響のコラボレーション』展が開催された.「二の橋連画」とは,LANネットワーク
を利用した画像通信の実験ワークショップとして,同年9月6,8日にICCで行なわれ
たもの.このワークショップでは,「連画」の発案者である安斎利洋氏を宗匠(マ
スター)として,公募によって集まった20人の連衆(=メンバー)と,安斎氏の連
画のパートナー中村理恵子氏がサポーターとなり,100の画像が錯綜する地図を形成
していった.展覧会では,ワークショップで制作された作品と,その相関関係を展
示するとともに,パソコン通信を使って参加者を広げるという新たな連画「四ッ谷
連画」の展開も試みられた.
安斎氏と中村氏のコラボレーションの中から偶然生まれた「連画」は,その音から
想像できるように俳諧の「連歌」からの造語である.デジタル画像でイメージのリ
ンクを行なっていく「連画」とはいったい何なのだろうか.
展覧会初日に行なわれたトークセッションでは,作品制作の手段としてではなく,
コミュニケーション文化としての「連画」に焦点があてられた.パネリストは,アー
ティストの安斎利洋と中村理恵子,共同による問題解決過程の研究を行なう三宅な
ほみ教授(中京大学),そしてネットワークによる協調活動支援の研究者である石
井裕(NTTヒューマンインタフェース研究所)の各氏.また,参加した連衆の飛び入
りもあり,白熱した討論となった.他人のイメージを引用することから始まる「連
画」は,自己完結に陥りがちであった創作活動に新たな展開をもたらすと同時に,
コピー可能なデジタル・メディアのクレジットの所在など,いくつかの問題を提起
することでもあったようだ.連画におけるいくつかの現象を挙げながら,「連画」
というメソッドの可能性について,それぞれの意見をまとめてみた.


安斎──どうも,こんにちは.まず最初に,二の橋連画に至るまでの過程をお話し
しておこうと思います.このような複雑な連画を始める前に,非常に素朴な,僕と
中村理恵子さんとの二人の連画がまずありました.連画とは俳諧の連歌(Linked
Poem)にかけた僕らの造語で,連歌の「歌」を"word create"して画像の「画」にし
ているわけです.そのきっかけは,1991年の暮れに富山でデジタル・イメージのワー
クショップがありまして,僕と中村さんとあと何人かのアーティストがデジタル・
ペイントのレクチャーに出向きました.最初から何もないところから描くのもきつ
いだろうということで,何か「種絵」となる自分の作品を持っていくことになりま
した.ところが,僕の前のコンピュータ画面に中村さんの作品が偶然ロードされて
いて,それを加工したり元に戻したりできるという新鮮な驚きを味わったわけです.
それで,つい僕は,その世界に没入してしまいまして,「中村の匂いを持った安斎
作品」という変なハイブリッドを作っていたんですね.その時の感覚が非常に新鮮
だったんです.その翌年の春に,デジタル・イメージの展覧会がありまして,その
時の面白さを組織化してひとつの創作の手段にできないかと思い立ちました.そこ
で,最初に中村さんに,なんでもいいから1つ「種絵」をくださいと.種絵をくださっ
たら,それを僕が自分のシステムの上でモディファイして,別な作品を作って,そ
れをまたお返ししますというような趣旨のメールを送ったんです.それが,《気楽
な日曜日》というシリーズの始まりなんです.中村さんが僕のメッセージを受けて,
シンプルなドローイングの「種絵」を電子メールで送ってくれまして,これが連画
のスタートになりました.
それでこの年の暮れに,もうちょっと別のやり方で連画というものができないかな
ということを考え始めたんですね.もっとダイナミックにどんどん姿を変えていく
ような流れにしたいなあという気持ちをお互い持っていました.最初に僕の方から
『初めの一歩』という「種絵」を中村さんに送りまして,実はこれは自分の足なん
ですが,足を上から写真で撮って,それを単にディジタイズした,そういう意味で,
初めの一歩なんですけども.それに対して中村さんは,これを全くひっくり返しま
して,周りにブルーのインクを敷いた絵を返してくれました.こうして,僕と中村
さんとの間で何往復も絵のやりとりを行ない,この一連のシリーズを《春の巻》と
名付けました.この時点で,最初のシリーズとは全く別の意味の連画が始まったの
がわかると思うんです.
その後,IMAGINAというフランスであったイベントで,これらの作品を発表できたん
ですね.それがきっかけになって,7月のSIGGRAPHで今年から新設されたTHE EDGEと
いう部門に,僕らもブースを出しまして,今までの連画の作品を展示したり,その
場でライヴで連画を行なったり,それから会場にいたアーティストをどんどん引き
寄せてきたり,日本に待機しているアーティストとリンクして国際回線で結んで,
そこで初めて多人数でも連画というものができたわけです.それを「国際連画」と
名付けています.話が前後しますが,7月には多摩の東京国際美術館で「一日連画」
というのもやりました.これはみんなの見てる前で,だいたい30分ぐらいの持ち時
間で,早指し将棋のように作品を作りました.
というように,連画はもともと非常にプライヴェートな形で始まったんですが,し
だいに複雑に組織化されてきました.今年のこのICCの連画について言えば,単純な
ネットワークの中から何か複雑なものが生まれてくるということだけではなく,複
雑な人間同士のネットワークが何かを生み出すということをいきなりやってみたい
なと思っていたわけです.それからが実はイバラの道の状態でして,まず公募をし
ましたところ,非常にたくさんの応募がありまして,そこから20人を選んだんです
ね.実は,最初そんなに期待してなかったんです.例えば,通信上でお絵描きの仲
間を募るなんていうと,例えばロリコンの漫画が出てきたりしたらどうしようかな
と思ってたんですね.ところが,8月の終わりに顔合わせ会があって,そこに20人が
集まったんですが,彼らが非常にレベルが高くて,ユニークな人たちであることに
まずびっくりしたんですね.非常にのびやかな感性の人々が集まってきたんで,先
ほどの《春の巻》とは違ったかたちで自由にやってもらいたいと思いました.
9月の初めに2日間をかけて「二の橋連画」は始まったわけですが,種絵となったの
は,SIGGRAPHに行った時にエリザベスという8歳ぐらいの女の子が,いたずら書きを
した絵なんです.それを僕は実はこっそり持って帰ってきたんですね.本当に色が
いっぱいあって,まるで絵の具箱からパレットにこぼしちゃったような絵なんです
が,20人の方にこれに対してまず20枚の絵をつけてもらって,それが「二の橋連画」
の第1世代になったわけです.それで,どういうルールでやったかと言いますと,LAN
のサーバーに最新の作品が順次アップロードされます.各自そのプールから2つの作
品までを引用できるようにした.つまり,両親を選べるわけです.その2つの親から
自分の子供を作ることができる.その子供がまた20枚できるわけですけども,それ
が第2世代になる.同様にして,第何世代まで生まれるかわからないけども,とにか
くやってみようということで始まったわけです.そして最終的に100以上の作品がこ
うやって完成したんです.「二の橋連画」の成立までの経緯をお話ししたわけです
が,次に中村さんに,連画の全体の流れということと,それから,次に僕らがどう
いうことをやろうとしてるのかまでを含めて,バトンタッチしたいと思います.

<春の巻>(1992-1994)より


コミュニケーションとしての連画

中村──連画の相棒をしております中村です.最初安斎さんから「種をください」
と言われて「変な人だな」と思いましたけれども,連画というのをあまり深く考え
ないで,その当時の仕事の一環としてパソコン通信サービスの4800bpsという速さを
活かしきるヒントになるんではないか?くらいに思って始めたわけです.実際に連
画をやってみると,どんなことが起こるか.まず他人に絵を触られるのがいやだと
か,あるいはいじるのが快感だとか,いろんな感じ方がありますけれども,最初相
手から来た画像を開くと,5分ぐらいは「他人と自分」ということを非常に意識しま
す.ですが,描き始めると,どんどん“自分との会話”になっていきます.あると
ころで「はっ」と我に返って制作の筆を置くと,もうその時には制作は終わってい
て,通信を介してまた送り返すということになります.連画というのは,絵を描く
ための手段ではなくて,あくまでコミュニケーションだと思います.伝えたいとい
う内的な欲求をうまく発信して,うまくキャッチしてもらって,また返ってくる.
すごく共感のチャンネルが広がっていくのを感じます.感動っていうより,もっと
素朴にわくわくした“気持ちのよさ”が湧き起こってきます.もちろん,いいこと
ばかりではありません.連画を受け取っても,次に送り返すまでにだいぶ期間があ
くことがあります.投げかけられたイメージにとまどっているわけです.データを
開いてみて,どうものらない,対話できない.そんな時は,少し日常の生活をして
みるんですね.するとだんだんその絵とコンタクトできるようになってくる.とこ
ろで今回集まった20人の連衆というのは驚くぐらい,本当にコミュニケーションに
対して積極的だったと思います.同じ空間の中で一緒の時間を経験できたというこ
とが,これだけの質につながったと思います.
今回は4週間にわたって「四ッ谷連画ネットワーク」という形で,パソコン通信を介
して,実際に外に窓を開くわけですが,これにはどんな反応が返ってくるのか本当
に想像ができません.最初連画はわれわれの間の1対1の閉じた単純なコミュニケー
ション・ツールだったんですけれども,二の橋,四ッ谷と経験して,具体的にいろ
んなバリエーションで連画を見られるようになってきたなという印象を持っていま
す.どんどんわれわれから離れ,一人歩きをして,皆さんがそれぞれに取り組んで
くださって,もっと連画という現象や仕組みを多様に展開してくださればいいと思っ
てます.で,少し先の話になりますけれども,この連画の作品というのはネットワー
クから生まれたわけですから,これを「シェア・アート」,という形でネットワー
クに返してやろうと思ってます.シェアウェアのアート版とでも考えてください.
「この絵が気に入ったら,作家に対価をください」が基本です.データはどんどん
自由にもっていってください.そして,この作品が気に入ったということを作者に
直接表明する,あるいは,それをプリントアウトしたり,CD-ROMに再編集したり,
ある“重さ”に結び付けた時には,使用権を得ていただくということです.そのひ
とつのテンプレートとして,「ゼログラム」というものを用意して発信しようとし
てます.連画の活動を通じて,「コミュニケーションを遊ぶ,デジタルを遊ぶ」と
いうことに,どんどん興味が広がっているといった毎日です.
さて,せっかく素敵なゲストもお迎えしていますので,私の話はこのぐらいにさせ
ていただこうと思います.


創造のプロセスとメッセージの伝達

三宅──三宅でございます.安斎さんにお目にかかったときに,私が共同作業とし
ての連句に興味があるというお話をしましたら,「いや,私は連画をやってます」
と言われたのを覚えています.最初に見せていただいた時に,「あ,これはやっぱ
り連句──つまりテキストをつないでいく,その裏にテキストの重い文化がつながっ
ているものとは本質的には違う」という気がいたしました.で,その時に非常に印
象に残ったお話が,人の絵に手を入れるのはものすごく大変だということだったん
です.《春の巻》,「二の橋連画」とやはりそこが進化してきていると思いますね.
その頃,岩波新書に大岡信さんが『連詩の愉しみ』という本を出されて話題になっ
たんですが,大岡信さんがやってたのは,連句という伝統がある日本の文化の中で,
今は五七五をみんなやるわけじゃないから,自分たちで作っている詩を連続で作っ
ていったらどうなるのかという試みでした.現代詩を書いている人たちの,ものす
ごく重たい問題のひとつとして,一体誰がオーディエンスなのかっていうことがあ
るんだそうです.ネットワークをオープンにしてしまったところにも,一体誰がオー
ディエンスなのかという問題は多分あるんじゃないかと.で,その中で,とにかく
特定の人をオーディエンスにして,誰かに向けて自分の詩を書く──誰かから受け
取って,誰かに向けて詩を書く.で,その人がどういうふうにつなげていくかって
いうのを固唾を飲んで見守るという緊張感の中で,詩を作るっていうことが,実は
自分が詩を作っているプロセスっていうのと本当に自分自身が対峙することなんだ
と言われています.そこでのプロセスの見直しということが,新たな創造の可能性
につながっていくのですね.それが,私には安斎さんたちがやっていらっしゃるこ
とと,ものすごくダブって見えるんですね.だから,安斎さんたちが話をしてらっ
しゃる時に主語が微妙に入れ替わるんだろうと思うんですよ.「私が描いている」
とか「絵が描けてくる」とかっていう…….
創造のプロセス自体が見えてくることによって何か新しい表現の世界が見えてくる
ということがあると思うんです.私たちがテキストというものと格闘してきた歴史
について言えば,例えば学者の場合,ひとつの情報発信源として論文を書くという
こと自体が,いろんな人からいろんなネタをもらって,それを自分の集めたデータ
でまた味付けをして,自分の形に変えていく.最終的にいろんな人に手を入れても
らって,出来上がったものを印刷してぽんと図書館に納める.さてこれは一体誰の
作品なんだろう? それは,大変に複雑なプロセスを経ていて,そのプロセス自体
を本当は私たちがもっと大事にしていけば,そこから新しい表現の仕方っていうの
が生まれてくるかもしれない.今までは,紙に書くわけで,書いちゃったらもうそ
れを消すもアンドゥも引き伸ばすも何もできないわけですけど,現代はいろんなこ
とができる道具を手に入れつつある.そこでプロセスの見直しが起きてきて,多人
数の中でのプロセスの共有というものが起きてきている.ある意味で,私たちが頭
の中でやってきたことが本当にネットを介して外に出ていくわけです.そこでの情
報操作がおもしろいのではないかというのが最初の感想です.

石井──僕自身も趣味で水彩画は結構描くんですが,プロフェッショナルにアート
をやっている方の作品を前にして,なおかつ,「コミュニケーションの手段として
連画をやっているんだ」っていう話を今日拝聴しまして,非常に感動しています.
このインタラクティヴなプロセスを見て,いろいろ考えなきゃいけないテーマだと
か,新しい可能性がどんどん見えてきたんです.今日のマルチメディア・ブームで
はわりと表層的な議論が多くて,12色よりは24色の絵の具の方がいいとか,CD-ROM
をはじめ,いろんなディヴァイスがつながってる方がいいとか,非常に混沌とした
状況にあると思います.けれど一番大事なのはやはりコンテンツであって,そのメ
ディアを使って表現したいメッセージが何なのかだと思っています.決してメディ
アの多様性,マルチ性を強調して,たとえば「あなたのマシンは音と静止画しか扱
えないけれど,私のマシンには映像も入ります」といったノリでもって競う話では
全然ないと思います.
今回の連画の場合,お互いに静止画をやりとりしているわけですけども,お互い絵
をキャッチボールする中で,作品がまるで子供が成長するように進化していく過程
を見守ることがより楽しいのだと感じました.またその過程の中で相手についての
理解を深められるということに,ものすごく大切な意味があると感じました.私は
研究という仕事をやっているんですが,研究はなんのためにやるかというと,新し
いアイデアを考えて,それを世の中に発信して,それを誰かに受け取ってほしいと
思うからです.発信したアイデア,あるいは作ったシステムそのものは,必ずしも
そんなに大きな意味を持たないんだけども,それが持っているメッセージとかコン
セプトが相手に受けとめられて,その結果,受け取った人たちの将来の行動にどう
いう影響を及ぼすだろうかということがむしろ本質じゃないかと思ってます.
そういう意味で,あるアイデアを映像なら映像という形で発信して,それを多くの
人が受けとめて,それによってなんらかの影響を受け,それぞれの新しい創作活動
の土台として発展させていくというこのインタラクティヴなプロセスこそが,コラ
ボレーションの喜びに他ならないのではないかと思いました.ただし,その時に思
いましたのは,クレジット──要するにこのアイデアは誰からいただいたアイデア
で,そこから自分は何を学んで,それに対して自分はどんなアイデアを付け足した
かということを,はっきりと清く正しく言うカルチャーがないと,ある意味で非常
にケオティックな状況になると思います.デジタルの時代になると,付け足しや編
集が非常に容易にできるため,分かりにくい状況が生じるわけです.
先ほど連画の展示を拝見したんですけども,「親はこの人とこの人の絵です」と,
きちんと形に残り,しかもそれがちゃんと明示されている.そういう規約というか
社会的なプロトコルが確立されているから,子供の作者がどのぐらい創意工夫した
のか,あるいはただ単にこれとこれをちょっと混ぜただけなのか,という差異がはっ
きりして,鑑賞する側にとっても非常にいいと思いました.


連画におけるクレジット(著作権)問題

安斎──お二人の話の中で,連画を取り巻くほとんどの話題が出てきたような感じ
がいたします.昔の話ですけれども,連歌や俳諧の時代には,非常にたくさんの連
歌論,連句論が生まれてるんですね.要するに連句とか連歌というのは,創作の現
場だけでなく,実は評論の現場でもあるわけでして,今,お話を聞きながら,まさ
に連画というのは,マルチメディアに関わるあらゆる評論がそこから生まれてくる
ようなものなのかなと思いました.さっきオーディエンスとおっしゃいましたが,
連画というのは,連衆が全部オーディエンスなんですね.自分の書いたものがどう
いう風に影響されているかというのがその場で見える.特に今回LANでやったので,
その場でフィードバックがあるという反応の面白さがありました.
実は「二の橋連画」の最後の方に,「種持って帰って,自分の家で作ってきていい
ですよ」って言ったんですね.そしたら,突然,減速したんですよ.いままでどん
どん生まれてきたのが突然止まっちゃったんですよ.なんでかというと,今までずっ
と反応が返ってくるのが面白くてやっていたのが,引用されるかどうか分からなく
なってくると面白くなくなるわけですね.だから,連画というのは,人の絵を盗む
楽しみでは決してなくて,自分の絵がどう盗まれるかが楽しいわけです.さらに見
る現場と作る現場,それと評論する現場が全部いっしょくたになるという混然とし
た状態を見るのが楽しいんであって,盗むのが楽しいんじゃないというようなこと
をその時,感じたんですが.

三宅──親が2つあるというあたりは,私もすごく気になったところで,伺ったら,
あれは安斎さんの方で,仕組んでいらっしゃるんですね.最初にエリザベスの絵と
いうのがあって,それから20人で一斉に,「さあ,これをどうする」っていうふう
にスタートしている.だからここで,実は,「連句の世界」ではなくなっているん
ですよね.目の前で開かれたものに対して,20人がいっぺんにアクセスし,その中
でせめぎあいがでてくる.そして,2つとってきて1つにしてもいいですよ,という
トリック自体が,テキストの抽象性の世界の中の遊びに似た部分なんだと思います.
それと,参加者のコメントを見ていると,連画は動かしているうちに出来ちゃった
という話が出てくる.連句の場合には多分それはあまりないことだろうと思うんで
す.けれども,それだからこそ,クレジットの問題というのがすごく大きいだろう
と思うんですね.石井さんがさっき言ってらしたのは,クレジットがしっかりして
るからいい,という話だったんですけれど,そのクレジットにこだわっていると,
逆につまらなくなるという類いのものなんじゃないだろうかと私は思います.程度
の違いはあっても,自分が何かを発信している,それを誰かが受けとめてくれると
いう関係の中でしか,ひとつの個人というのは生きていけないと思いますし,その
アイデア自身がどういうふうに受け取られていくか,そしてどこかからは自分じゃ
なくなってしまうから面白いんですよね.
自分じゃなくなったものについて「自分性」をどこまで主張するかっていうのがク
レジットでしょ? 親がはっきり「これだ」ってことが分かっていて,「この2つの
親だからこの子が出てきた」という関係がその先に変化していったとき,どの程度
まで親が子を束縛するのかなということは非常に気になる問題です.そういう意味
では,先ほどの石井さんの話の「ネットでシェアしていけるからこそ,クレジット
が大事なんだ」って聞こえるところを,もうちょっと解説していただく必要があり
そうですね(笑).

石井──クレジットも,言い出すとキリがなくて,今回の連画のように,脈々と世
代を越えていった場合に,全部ルーツを探って,全部それを参考文献で連結しろと
いうのは,むしろナンセンスな話でしょうね.僕は発明というのは,既存のアイデ
アを新しい視点から組み合わせることによって,その中から新しい価値を生み出す
ものだと思います.多分,ほとんどの創作活動は先代の人たちの仕事に負っている
部分があるわけですから,それに対して感謝する気持ちは基本的に必要だと思って
います.しかし一方で,クレジットに厳密にこだわると,健全で自由な発展とか交
流が損なわれることがあると思うので,そこは,あまり仰々しく考えるべきではな
いとも思います.ただ,倫理的な基盤がない限り健全な文化としては育たなくて,
そういった意味でダークサイドの問題が表面に出ないように,何か基盤を考えてい
く必要があるんじゃないでしょうか.ダークサイドばかりが強調されて,このよう
な創造的な活動がしぼんだりしたら絶対に面白くないなと思うんですよ.

安斎──確かに連画の話をすると,皆さん必ず著作権の話をされて,そうすると,
どちらかというと守っていこうみたいな意見は必ず聞くんですね.確かに,自分が
所有している情報である,自分の絵であるという感覚ってありますよね.しかし,
最初は他人のものだっていう感覚もあるんですが,他人の絵をいじってるうちに,
いつからか自分のものになっちゃうんですね.で,自分のものになった時点で,も
う他人を忘れているわけですね.感謝も何もないんですね.例えば,昔の師弟制度
で,弟子が師匠の芸をじっと見て盗むわけですが,一旦盗んでしまえばもう自分の
ものですから関係ないわけです.それで,先ほど石井さんの話を聞いて思ったんで
すけども,テッド・ネルソンの「ザナドゥ」ってありますよね.つまり全てのポイ
ンタがつながっている世界です.たどっていけば全ての情報は根っこまで行ける,
そういう世界ですよね.でも,連画っていうのは実はポインタじゃない.まるっき
りコピーなんです.
そこで先ほどの親を2つ選ぶという話ですが,やっぱり連画というのは生命のシステ
ムを非常に模倣してるところがあると思うんですけども,生命っていうのは,実は
DNAをコピーするシステムなんですね.ポインタじゃないんです.連画も,実はポイ
ンターじゃなくてコピーじゃないかっという感じを,僕はもったんですね.

石井──まさにそうですね.テッド・ネルソンの提唱したグローバルなハイパーテ
キストの世界では必ず,その元のオリジナル・ヴァージョンのデータが世界に1個だ
けあって,引用する時には必ずネットワークを介してそのポインタをたどっていっ
て,引っぱってきて,それからディスプレイに表示するような感じです.それに対
して,コピーというのは経済的にリーズナブルということ以上に,「いったんコピー
してしまえば,もうオレのものだ,オレの素材だ.黄色の絵の具を混ぜようが,ぐ
じゃぐじゃにしようが自由なんだ」ということが大きな特徴ですね.最初は「これ
はあの人が作ったんだから」と,おそるおそるいじるんですけど,すぐ忘れてしま
う.その時に,「これはコピーされてきたものだから,これをどういじっても,オ
リジナルのヴァージョンに関しては傷ひとつつかない.いったんコピーしてしまっ
た以上,もう,ボクのものだもんね」という,何かその,安心感というものが,あ
る意味で言うと変な制約を取り去ってしまって,連画というものを成功させている.
だから,コピーした元のオリジナルが既に別のところにあったということは,制作
における安心感を与えているような気もするんですけど.

安斎──そうですね.もし全てが継承されていたら,最初の枠組みを越えることが
できないんですね.けれど,コピーをしてきて,自由につけ加えていくという状況
の中では,例えばコピーされたプログラムのソースはユーザー・インターフェイス
を全部変えることができるし,根こそぎ,その理屈を変えることができる.連画は
最初の絵の制約をまるっきり消すこともできる,枠組みを越えることができるって
いうのが,実は一番の面白さなんです.


連画における足し算・引き算と遺伝的側面

石井──ぜひ,中村さんと安斎さんにお聞きしたいなと思ったことがあります.先
ほど蓄積という言葉を使われましたけれど,2つの親を持ってくると,それぞれ親の
中にあるものを活かそうとして,ある種のファイル肥大化に象徴されるような,非
常に複雑な,「足し算」の方向に発展するような感じがするんですが.一方,素材
として利活用しやすいというのは割とシンプルなものだという気がするんです.連
画のプロセスの中で,どうしても必然的に足し算の方向に,つまりファイル肥大化
の方向にいかざるを得ないのか,あるいは意外に大胆な人がいて,ファイルの量が
大きく減ってしまうように思いきってシンプルに描き変えてしまうこともあるのか,
そこらへんにすごく興味があります.肥大化の方向にばかり行くと,恐竜みたいに,
あるところで必ず進化がとまってしまう宿命を負っているような気もしますが…….

中村──例えば,安斎さんと私との場合は,それをどっちかが担うわけですね.引
き算をする,あるところでビッグバンみたいな体験を経て思わぬところに展開して
いってしまうということはあります.そして,多人数になった場合は,足し算的に
進んで行く情報が,ある時に方向をバーッと変えてしまうような,悪魔的な人とい
うのが必ずいるんですよ.たぶん「二の橋連画」の中にも,そういう鍵を握ってい
る人がいるはずです.

安斎──ひとつ付け加えますと,「二の橋連画」の前に,「国際連画」というのを
SIGGRAPHでやったんですが,その時は情報が蓄積型というか,どんどん加算してい
きました.例えば形態が加算すると,だんだんノイズに近くなるんですね.色彩が
加算すると,ちょうど──小学校の時に,パレットを最後に流し場で流しますよね,
そうすると最後にだんだん水が,ある独特な色になって流れていくわけですね.あ
あいう色になっちゃうんですね.「国際連画」の場合,ついそうなってしまったん
です.そうすると,草原真知子さんがコントロールしていましたので,彼女がこっ
そり情報を捨てたり(笑),ある特定の色に塗り変えたり,そういうことをちょっ
とやると,ぐっと色が活きてくるということがあったんですね.「二の橋連画」に
ついては,混ざりあう前に,どこかで情報をシンプルにしたり圧縮したり,ある特
徴を抽出したりということを連衆のみなさんがオートマチックにやっていったとい
う印象があるんですね.
実は連衆のひとりである酒井さんが色々と分析していますので,ここで実際にどん
なことを発見したか聞いてみたいと思います.

酒井──酒井と申します.分析と言われるほど大したことはやってないんですけれ
ども,1人1人の絵がどんな形で「しりとり」のように伝達されていったのか最後ま
で受け継がれいったのかというのを見るために,20人の連衆それぞれ1人ずつ表を作っ
ていったんですね.
この連画では,種として選ばれなければ生き残れないという一つの関門がありまし
て,自分の描いた絵が種として誰かに使われない限りはそこで息絶えてしまうとい
う厳しい条件があったんです.そんなわけで,この連画の中で,「種狙い」という
言葉が生まれちゃったんですけれど,連画をやる前から種として選ばれるための戦
略を練って来た人が何人かいたんですね.そのような方がいたので,純粋にイメー
ジを伝えていく邪魔をかなりしたのではないかと思います.

石井──「種狙い」ってすごく面白い戦略ですね.種を狙うのか,自分なりのオリ
ジナリティのある素晴らしい作品を作り上げるのかによって,全然違った戦略にな
る.だからPHOTO-CDに入れて,著作権フリーで売った時に,みんなが使ってくれそ
うな写真,ていうのと,本当にアートとして,とても触れられないような完結した
という印象を与える作品とは,全然違いますよね.

酒井──そうですね.

三宅──種として狙って描いたものが本当に種になったりするんでしょうか.

安斎──僕は宗匠みたいな形で加わってるんですけども,実は2枚絵を描いたんです
ね.最初の絵は,エリザベスの絵から鳥の形を作ったんです.それは,実は種狙い
なんですね(笑).シンプルにしないと種にならないだろうと思って,ものすごく
シンプルにしたんです.で,これは種になるなと思っていたら,実は1つしか引用さ
れなかったんですね.僕はとても淋しい思いをしました(笑).次の絵はあまりそ
ういうことを考えないで作ったんですね.そうしたら,いくつか引用されました.
だから,僕の感覚で言うと,種狙いが必ずしも成功しなかったわけです.

酒井──連画をやってる時の連衆のヴィデオのコメントを見てみたんですけれども,
大体,第1世代と第2世代ぐらいは種狙いなんですね.いろんな戦法をみんな言って
いまして,「1代目の時にあまりに抽象的にしたため種として選ばれなかったんで,
今度は具体的な絵にしてみました」とか,「種として選ばれるために余白を多くし
てみました」とか(笑).結構いろんなアイデアを考えてそれなりにやっていたみ
たいなんです.

石井──私が連画を見て強く感じたことは,遺伝による種の存続というゲームにと
ても類似しているということです.生き残りたい,生き延びたい,たとえ親が死ん
でしまっても俺は生き延びて,利用されまくって,孫子の代まで……という,そう
した逞しさを込めて親は種狙い……すなわち強そうな遺伝子を絵の中に埋め込もう
とする.

安斎──そうですね.また芭蕉の話なんですけども,芭蕉の頃には,どうやって連
句をつけるかみたいな方法論を何年もかけて練ってるわけですね.その中に,例え
ば「観音開き」というものがあって,それは真ん中を中心にして,前の句と後の句
が一致しちゃう場合です.つまり情報が循環しちゃって進展しなくなるので,それ
はもう,バツなんですね.そこで,情報はとにかく発展し進展しなきゃいけないと
いうルールがあるんです.僕らの場合はそういうルールを作らなかったんですが,
情報が発展しないとやっぱり不愉快なんですよ.絶えるのが一番悪いわけです.
もうひとつ不愉快なのは,例えば今,著作権の問題がありましたけど,自分の絵が
コピーされることに対しては実は不愉快じゃないんですね.それは進展する可能性
があるということですから.ただ,自分の絵がそのまま相手の中に出てくるという
のは,やっぱり不愉快なんですよ.これは自分でやった仕事なのに,なんで他の人
が自分の名前でやるの,っていうこともあるんですけども,それはやっぱり情報が
進展しないことに対するひとつの拒絶反応だと思うんですね.そういう気持ちって
いうのは,連画やりながら常にありますね.

三宅──人間の場合,子どもができたときに,つまりコピーが出来てきたときに,
親っていうのは,それを自分とは別個の人格だって認めるのにものすごく時間がか
かるわけですよね.で,子供の方もアイデンティティの確立をやるのに,15年とか
20年かかるわけですよね.だから,コピーが自立するというのは,実はものすごく
大変なことなんです.そうすると,先ほど,絵を描いてる途中でどこかで自分の絵
になっちゃうっておっしゃったんですけど,その自分の絵になっちゃうところまで
のプロセスというのは,すごく本当は大変なんじゃないかと思うんですね.そこが
見えるっていうことが面白いという気がしてるんですけれども.

中村──自分の絵になっちゃうという話について言うと,正確に言えば実は違うん
ですよ.描いてると,いったん自分の手元に落ちるんだけど,人の影響というのが
時々頭をよぎるんですよ.そういう繰り返しってかなりあるんですよ.そうなった
時というのは,自分の能力とか,自分というものとの対話と並行して,かなり人の
影響とか話が,最後までずっと錯綜して出てきます.

三宅──子供がちゃんと自立してくれると「自分のここは親からもらったところだ
けど,自分は親じゃないんだよね」って平気で言えるようになるんですよね.だか
ら,それを認められるようになると,これが親で,これは自分の作品というのが,
ちゃんと言えるのじゃないかしら.そうじゃないと,どこかにコピーがそのままゴ
ロンと残ったような感じというか,何となく成長しきれなかった子供というか,あ
るいは親の方が子離れできないとかね,そういう感じになりますね.


他人と自己との境界線

中村──連画をやっていると,常にどこかを自分で開いて,かなり安定した気持ち
でそれを受け入れながら,自分と,「他」との距離みたいなものをいつも測るよう
になる.そういう訓練ができてくる.コミュニケーション・ツールというだけじゃ
なくて,ひとりのアーティストとしての成長ということで考えてみると,自分のオ
リジナリティや力ということに,他の要素が加わってきたり,それに対して自分が
投げ返すという行為を経験して,かなり絵が上手くなります.

安斎──今の著作権のシステムでは,ここからこっちは自分のオリジナル,こっち
からは他人というような,非常にしっかりした絶対的な線を引きますけども,実は
もっと入り組んでいて,自分のものと思っていたものが,実はいろんな人の混合物
であって,自分の中のいろんな「他人」が放り込まれて流れていったりということ
があるんですね.僕も連画をやって初めて,自分と他人とのぶよぶよした境界線の
関係がはっきりしてきたというか,それまでやっぱり,自分の絵が誰かに使われる
とやだなぁとか,他人の絵を使わないようにしようということを思っていたわけで
すけども,それが非常に変わってきました.

村崎──今回連衆をやりました村崎と申しますが,今回連画をやってみて感じたこ
とは,美術史全体がやっぱり連画みたいなところがあるということです.前の世代
の絵を乗り越えるために次の新しいアイデアが出て,次の新しい時代の作品を作っ
ていくという…….例えば自然主義があって印象派とか,前の世代を乗り越えるよ
うな形で次の世代の絵を描いてきたっていうことは,それはやっぱり連画に通ずる
ものがあると思います.そういう意味で,非常に短期間の間に,絵画史の圧縮され
た経験をできるようなところがあると言えます.

石井──今,村崎さんのおっしゃったコメントを拝聴していて,つくづくそうだなぁ
と思うのは,サイエンスでもアートでも,結局,何もない無のところから,突然素
晴らしいものが生まれてくるのじゃなくて,われわれは無意識のうちにすごいもの
を遺産相続しているということです.たとえば初めてガウディの建築をバルセロナ
で見た時に「どうしてこんな異形のものが突然出てきたんだろう」と思ったんです
けど,その後あの地域をいろいろ旅してみると,岩山とか,さらに前の時代の建築
とか,やっぱりその伏線のようなものがあって,決して突然変異じゃないというこ
とがわかる.だからある意味でわれわれは,遺伝子でもカルチャーでもいいんです
けど,脈々と進化し続けるものを運び続ける「運び手」なわけです.ただし,常々
進化を補足し新しいものを足していく,その役割も担ってるんだと思います.

三宅──久しぶりに石井さんとケンカになっていいんですけど(笑),やっぱり何
が自分の作品かということにこだわらないで,川の流れと一緒に流れてるんだから
いいやという部分で,本当に私たち人間て,生きていけるのかなっていう気がする
んですよね.
ちょっと別の話になりますが,連詩をやる谷川俊太郎さんとお話をしたことがある
んですけれども,彼が言ったことで,2つぐらいエピソードとして面白い話がありま
す.1つは芭蕉がやった時の連句についてなんですが,すごくうまい句が出てくると,
それだけがとりだされて独立の作品として後世に伝えられていきます.つまり連句
の中には,「それがどういう状況だったか」あるいは「前後の句は何だったか」と
は無関係に独立できるものがあった.けれど,連詩はまだそこまで行っていないと.
場に沿っても場から離れても,どっちでもいいものを作るのは大変だと.
2つめは谷川さんがドイツで連句をなさったときのことだそうで,大岡さんと谷川さ
んと,2人のドイツの詩人の計4人で交代に日・独・日・独と句をつなぐんですが,
谷川さんの番に,次の番のドイツの女性が尋ねてきまして,「私は次にこういう話
をしたい」から「先ほどの詩と自分のこの詩の間の詩を作ってくれ」って言われた
ことがあるそうで,谷川さんは仰天して,その場で連句のエデュケーションをやろ
うかと思ったんだけど,まぁこれは今回,国際親善のための場でもあるしというこ
とで,その場は呑んだそうです.それこそ「子供」が既にいるわけですよね.「子
供」のために死んだっていうか.
やっぱりひとつのものを自分で作っていく時,自分が何なんだということを問いな
がらしか,川は流れていけないんじゃかなと思うんですけれども,いかがでしょうか.

石井──今,三宅さんがおっしゃったことは,そのとおりだと思います.われわれ
はひとつ大きな流れを担ってるんだという気持ちを持ちたいという反面,個として
生きていかなきゃいけないし,自分のアイデンティティも確立したいという欲求が
あると思います.この連画をマクロな流れとして見ることが面白いのは,そういう
大きな流れの担い手に各人がなっていって,あるきちっとしたルールがあることに
よって,「これは自分でやったんだから盗まないで欲しい」とかいうことに煩わさ
れずに,結局,自分達が作った作品がどんどん進化していくことを共通の喜びとす
るっていう文化を垣間見ることができたからです.
また,《春の巻》で一番おもしろかったのは,安斎さんが作られた作品の中で,顔
の目の部分にだけ注目して中村さんが全く新しい作品を作りましたよね(B−15と
B−16参照)
.あの新しい次元へのジャンプがすごくいいなぁと思いました.


発想の転換

安斎──目的のないところにあるものがぽんと出てくるというのが,連画の醍醐味
でして,AとBの真ん中を補完して作るんじゃなくて,AとBからCに跳んでいくってい
うことがあるんですよね.また,誤読っていうことが,文学評論で話題になってる
んですが,ミスリーディングというのは,実はキーワードではないかと思うんです
よ.例えば,目を広げてそれが金魚鉢になるとかですね,ある青い部分が海に見え
るとかですね,そういうふうに,相手の意図してるものを読むんじゃなくて,自分
が見るものに見てしまうというのがある.連画の中でそれがないと,やっぱりつま
らないと.人間の文化も同じことで,ミスリーディングがないと,ある定常状態で
止まってしまうと思うんです.

石井──ミスかどうかというのは,おそらく解釈の違いのような気がするんですが,
《春の巻》で安斎さんの作品の中の三角形に注目して,中村さんが「3」という意味
的な連結を考えて三美神を描かれたわけですが(B−7,B−8参照),三角形の「3」
というシンボルを使ってジャンプしたというのはものすごく新鮮ですよね.形とか
色とかをシンボルの世界にまで抽象して,「3」という数字から何を連想するかとい
うように,全く新しい次元へと展開させてゆくということは,ものすごく面白いプ
ロセスです.ですから,マルチメディアで思うのは,あまりにも完璧なまでに美し
い映像でもって表現しきってしまうと,もっと抽象度の高いところへ跳んで解釈の
自由やズレを楽しむ余裕というものがなくなってしまうような気がします.

中村──「3」にこだわっていただいてますけれども,さっきの三宅先生の話も,川
の「流れ」というよりは,“linked image”だからむしろ鎖なんですよ.で,鎖の
結合点は非常に力強くて,そこで一回言い切ってる.自分を言い切って,相手にイ
メージを渡してリンクでつながっていく.だから流れじゃないんですね.また,そ
の“△”から「3」にジャンプしていくというのは,緊張しちゃったり難しくものを
考えるとダメなんですよね.どこからやってくるのかわからないインスピレーショ
ンに背中を押されたり,ちょっとした思いつきの時もある,いい加減というか,と
りあえずここあたりで筆を置いて相手に渡してみようという時もあります.逆に,
これはもう完璧という時もある.その時々,発想やイメージのクォリティには,幅
がありますよね.だけどとりあえず相手に渡してみてしまう喜びとか,面白さとか,
そういうところに目覚めてしまった…….

酒井──「二の橋」の中でも,ちょっとそういう流れがありまして,第1世代,第2
世代ってみんな割とすごいまじめに描いているんです.1枚の絵で3時間かかりまし
たとかって言う人がいたりします.しかし,第3世代,第4世代になってくると,だ
んだん「疲れました」とか「もうどうでもよくなった」とか投げやりな言葉が出て
きて.でも逆に,絵の中に自分の個性がずいぶん出てきたようなところがあって,
ガラッと雰囲気が変わってくるんですよね.

石井──「疲れてきた」「投げやりになってきた」時に,ある種の停滞を破って新
鮮な眼で捉え直すことができたというのは,とても面白い発見ですね.研究なんか
で行き詰まった時に,まじめに正面突破なんてことやってもなかなかダメで,お酒
でも飲んで寝てしまったり,違うシチュエーションに自分を置いたりすると,突然
ブレイクスルーにつながるアイデアが生まれることがありますし,その時に書きな
ぐったメモに答えが潜んだりというのがありました.


情報を自分の中でいかに活かすか

中村──話は変わりますが,ピカソは,計算するとだいたい56時間に1枚ぐらい絵を
創ってるんですよ.これはすごい量です.それで,もしピカソが今,生きてたら,
ものすごくコンピュータを使ったんじゃないかと思うんです.“アンドゥ”を繰り
返して,絵仲間のブラックの息吹をカット&ペースト,なんて.で,それをプリン
トアウトして眺めたり,ちょっとマリー・ローランサンに電子メールして,その返
信に影響されて,「じゃあ,僕,このピンクを使うのはやめよう」なんて,そうい
うやり方をしたと思うんです.ピカソの時代は,刺激を受けたいとか,イメージの
入力をしたい人間と一緒に暮らしたり,一時,その人と全く同じようなイメージを
共有できる環境に浸ってみるというようなことをしています.ある時期,ピカソは,
ブラックの作品と見まがうような絵をたくさん描いてます.しかし,同時にその1枚
1枚の作品を産み出すことで,ちゃんとブラックの影響から脱していきますよね.こ
の過程でいったい何が要求されてるかっていうと,やっぱり自分を開く勇気とか,
「他」が流れ込んでくる,自分と違う流れの中で自己と対話してみる,そして最終
的には相手を活かして自分も活きたアウトプットすることなんですね.

三宅──最近,マルチメディア大流行で,マルチメディアを使った教育なんてセッ
ションをやると,わーっと人が集まるようになってきていますけれども,たとえば
学校で先生がある映像についてある解釈をして,その解釈のポイントを言葉で言わ
ずに元の映像をそのまま使って子供たちにも理解してもらおうとすると,すごく時
間がかかってしまう.子供たちがいろんなふうに解釈できる映像を見せられた時に,
先生が狙っている場所にあそこは大事なんだってフォーカスできるだけの準備をま
ず子供にしておいてやらないと,何をやったのか分からなくなってしまう,という
ことが問題になっています.ネットの上で流れている情報をどういうふうに受け取っ
て,それをどうやって自分で活かすのかということが,これから大きな問題になり
そうだなと思っています.

安斎──今の,三宅さんの教育の現場の話なんですけども,複雑なシステムという
のは最近の数理科学のテーマですよね.ある学者が,「複雑なシステムというのは,
理解するよりも作った方が早い」ということを言っています.非常に巧みな言い方
だなと思うんですけども,連画も同じように,理解するよりもやっちゃった方が早
いシステムなんですね.ですからぜひ,研究する前に連画をやられてはいかがかと
思います.というところで,とりあえずこの場はこれで終わりにしたいと思います.
今日はどうもありがとうございました.



主催:NTT
企画:NTT/ICC推進室
企画監修:安斎利洋,中村理恵子
会期:1994年12月2日(金)−19日(月)
場所:NTT/ICCギャラリー
Photo ● 大高 隆

[このトークセッションは,1994年12月2日,NTT/ICCギャラリーにて行なわれた]


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