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飯田和敏

コンピュータゲームに夢中になっている時、人はゲームの世界に没入していて我を忘れてしまう。ゲームの世界に没入するとはどういうことなのだろう。モニター上に描かれた世界に夢中になることなのか。高度な技術のプログラムに酔いしれることなのか。たぶん、インタラクションから喚起されるイメージの世界で遊んでいるのだ。そのイメージの世界はプレイヤー自身が作り上げるものだろう。

僕が制作した2本のソフト『アクアノートの休日』(プレイステーション版/アートディンク,1995)と『』太陽のしっぽ』(プレイステーション版/アートディンク,開発中)はどちらも、プレイヤーが3Dの仮想空間を自由に散策して楽しむソフトだ。海中散策ゲームと銘打った『アクアノートの休日』で表現した浮遊感に対して,原始人が主人公の『太陽のしっぽ』では重力に支配された身体感覚を強調している。味付けとしては正反対だが基本的なコンセプトである「環境の散策」という点は共通していて、どちらの作品でもゲーム開発者が無自覚に行なってしまう過剰な装飾を可能な限り排除している。具体的には、環境の過剰な説明、不思議な建造物にまつわるエピソード、主人公の設定など、既存のゲームにはありがちだが、僕にとっては無駄と思えるすべての要素を削ぎ落とした。そうすることで、プレイヤーが必然的に自分自身と対話することになるだろうと思い、さらに、このことは面白いはずで、しかもコンピュータゲームでしか実現できない面白さだろうと考えたのだ。

『アクアノートの休日』は高い評価を受け、商業的にも成功を納めた。退屈な作品だと評する人もいるし、まぐれ当たりと言う人もいる。僕自身、多くの幸運が作用した結果だと思ったりもするが、それを承服してしまったら前には進めないので、僕の考えるコンピュータゲームの面白さの正当性がある程度、証明されたとみなすことにする。そこで次の展開として自然に思い浮かぶのはネットワークを導入することだ。このゲームを遊ぶプレイヤーは観客であると同時にパフォーマーであることを要求される。他のプレイヤーの目には世界を構成する要素の一つに見えるからだ。このゲーム環境は無限のヴァリエーションを産み、世界は拡がり続けるだろう。作り手と受手、双方の想像力が増幅され、現実の世界を覆い尽くしてしまう可能性すらあると思うと、思わずほくそ笑んでしまう。




榑林隆夫

1972年生まれ。静岡県出身。武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業後、株式会社ア-トディンク入社。PlayStationソフト「アクアノ-トの休日」などのプロジェクトに携わる。後に退社、現在パ-ラムの一員として活動中。




Yana

「GO*」の提示者。GOGO(Global Open Game Organization)設立研究会の代表(予定)。





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