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知る
(メディアとしてのネットワーク)

電子ネットワークの発展にしたがって、 われわれの認識は日々刻々と変化している。たとえば、いままでのマスコミに しても、CNNなどはインタラクティビティーを重視した作品構成をしている。 また、世界の天気予報を自分のローカルなハードディスクまで直接転送できる などというサービスも現れてきている。もちろん、ネットワークの特性を活か したサイトも続々とということに」も注目すべきだろう。たとえば、 Crayon やFEEDは、顧客の興味に合わせて、毎日独自のセレクトを行なって、われわれ の手元に情報を届けてくれる。しかし、総じて言えば、メディアとしてのネッ トワークは、まだまだ暗中模索の段階にあるといえる。もちろん、広い意味で いえば、このメディア&アートスクエアもそのような試みの一部である。


みる
(望遠鏡/顕微鏡としてのネットワーク)

WWWについて一般に触れられることが少ないが、しかし見逃すこと のできない要素のひとつに、分散型の情報システムであるという点 が挙げられる。たとえば、ネットニュースでは、それぞれに管理者 がいて、特定の場所に情報をストックしていく。そして、それを提 供する者も、引きだそうとする者も、一度は同じ場所にアクセスを するという仕組みである。これに対して、WWWでは各々がローカル でただ単純に公開可能なファイルを置き、見る側が勝手にその情報 を覗きにいく。これを例えていうならば、出店の主人とお客の関係 といったところだろう。

さて、このWeb独自ともいえる構造を特によく体感させてくれるのが、 PeepHoleに代表される遠隔中継である。現在、ネットワーク上の中継には、大 きくいって二種類ある。ひとつは、FishCamやBayCamのように美しい画像を 「放送」するもの。もうひとつは、CoffeeMachineやCokeMachine、PeepHoleの ように、日常のなにげない映像をこちらが勝手に「覗き見」するものである。 前者は、確かにきれいな画像で楽しませてくれるが、いままでの放送の概念に 含まれる部分も少なくない。むしろ興味深いのは後者であろう。たとえば、 PeepHoleでは、覗かれる側も覗く側もリアルタイムに変化する相手に一種独特 の興奮をおぼえる。もちろん、テレビのようにいつもいい場面ばかりというわ けではない。もし相手が夜中であるときにアクセスすれば、当然のことながら 送られてくるのは真暗な画像である。しかし、この場合にはそのアクシデント さえも楽しみの一部であるといえるだろう。

ネットワーク上の遠隔中継は、現在、「放送」と「覗き見」の間を微妙にうろ ついている。何気ない日常ばかりではつまらないが、かといって、テレビのよ うに脚色された情報ばかりでもつまらない。とするならば、将来の可能性はや はり両者の間にあるのではあるまいか。




動かす
(道具としてのネットワーク)

ネットワーク上でも、ある種の「手ごたえ」といったものを感じることがある。 それは、たとえば、線の細い回線を使うときに普段の物理的な距離感とは違っ た独特の距離感を掴むといった具合にである。ネットワーク上では、国内より も国外の方が近いといったことはざらで、世界中を縦横無人に駆け回ったすえ に国内の目的地につくということさえある。このような場合には、普段みてい る地球儀とは全く違った世界がわれわれの前に現れているといえるだろう。

また、これとはやや異なっているが、やはりネットワーク特有の感覚の一つに 「テレプレゼンス」と呼ばれるものがある。これは、物理的に離れた場所であ っても、ネットワークを介することによって、現実的な「手ごたえ」を感じる ことができるといったものである。たとえば、TelerobotやTele-Gardenでは、 遠隔地にあるロボットをネットワークを介して操作することによって、これを 実感することができるだろう。

さらに、ここでひとつ面白いのは、このようにして、我々がネットワークを使 い操作しているのは、はたして情報なのか、それとも物質なのか、という点で ある。もちろん、正解はそのどちらでもないし、どちらでもあるだろう。つま り、われわれは、実体的な世界と観念的な世界が重層的に絡み合った世界に生 活しているのである。その意味では、Pizza Hutの単純なデリバリーサービス でさえも、哲学的な意味を持っているといえよう。




意見する
(投票箱としてのネットワーク)

電子ネットワークのなかに、古き良き時代のカフェが再現しはじめている。そ こでは、政治から文化、芸能にいたるまで、幅広い意見が自由に交わされてい る。たとえば、Sochial Cafeでは、ニュースからエンターテイメントにいたる まで、実にさまざまな議論がうまれ、日々ニュースが追加されている。もちろ ん、いままでのアーカイブのなかからサーチをかけることも可能であり、電子 メディアの特性もきちんと生かされているといえよう。

VOTE LINKは、参加者が内外のさまざな議題をめぐって、それぞれ、賛成、反 対、棄権の票を投じることができるというものである。もちろん、即座にその 投票結果は集計され、われわれに対して公開される。

さて、このように情報をほぼ価値中立的に列挙するという方法に対して、 Artist Against Racismのように、より直 接的に政治的主張をするというものもある。情報発信のコストは年々下がって きており、もちろん使い方次第とはいえ、従来、多くのひとに声を届けるこ とのできなかった人々も、世界に対して即座に意見をすることが可能になって きているといえよう。




出会う
(場としてのネットワーク)

ネットワークの上での出会いが、そのまま現実の生活から派生しているという ことは少なくない。しかし、電子ネットワークが出現して以来、かつては考え られなかったような新しいコミュニティーも次々に現れてきている。

たとえば、Kids-spaceでは、世界中の子どもたちが集って、絵を描いたり、物 語をつくったりして楽しんでいる。World Birthday Webでは、世界中の人々の 見知らぬ人々が誕生日を共有している。そして、The Virtual Pressでは、求 人、職探しの情報が掲載されている、といった具合だ。

さらに、本格的なワークショップの試みも数多く行なわれている。OTISやArt Wireなどはその代表といえるだろう。




つなぐ
(メタネットワークとしてのネットワーク)

ネットワークというと、点と点を結ぶ線の集合体といったものを思い浮かべる ひとが多い。しかし、物理的には確かにそうだとしても、実際の生活のうえで は、ネットワークは点と点をつなぐというよりも、むしろ、共同体とある共同 体の間をつないでいるという方が実感がある。たとえば、電子メールを考えて みても、複数の人に対して電子的な複製を発送することはしばしばあり、その 意味で、電子メールは、本来の手紙というメタファーからはみ出ているといえ る。

ネットワークを個々のサイトの集合として考えるのも、また、単一の実体とし てとらえるのもやはり間違っているのではないか。あるネットワークは他のひ とつのネットワークに対して上位関係にあるかも知れないが、同時に、他のも うひとつのネットワークに対しては下位関係にあるかもしれない。つまり、ネッ トワークというものは、入れ子的に複雑に絡み合っているものなのである。と するならば、The ListやCyber Cafe Guideのように単純なメタネットワークば かりでなく、TV Netのように相互依存的にメディアが絡み合う場面も容易に想 像がつく。むしろ、これからはネットワークをいかに他のネットワークとの相 互作用によって変化させていけるかメディアの主要な課題なのではないだろう か。




つくる
(もう一つの世界としてのネットワーク)

現在、仮想空間ということで専ら注目を集めているのは、フォトレアリスティッ クに現実を描写するという、いわゆるVRと呼ばれる類のものである。しかし、 ここに紹介するサイトは、それとは少し違って、ただ現実を正確に再現すると いうよりも、むしろ、ネットワークの特性を生かして独自の空間を構成してい るとといえる。たとえば、Waxwebは、映画を原作にしているものの、そこで 展開された物語の重層性の概念をより推し進めて、WWWのハイパーリンクの機能 とうまく結び付けている。

Digital Cityは、仮想の地図の上に自分の家をつくることができ、それに対し て自分のホームページをリンクできるというものである。ここでは物理的な距 離をこえて町内やお隣りさんの概念が成立するというわけである。今後は、さ らにネットワーク上だけで成立する社会生活といったものが成立するようにな るかも知れない。

Virtual FlyLabは、参加者が蝿の眼や羽といったパーツを選択し、二匹の蝿を 交尾させることによって、新しい蝿を生み出していくというものである。これ を何回か繰り返すことによって、進化のシミュレーションを体験することがで きる。これなどは、仮想空間というよりも、むしろ仮想時間といったほうがい いのかも知れない。

いずれにしろ、ネットワーク上にしか存在しない時空間が、そこかしこで密か に成長しているということは確かなようだ。