ICC

概要
『The File Room』は個人的かつパブリックな事件に対するレスポンスとして生 まれた。

1988年、私はスペイン公共テレビ放送の番組シリーズ「メトロポリス」で「TVE: Premier Intento」を制作してほしいと依頼された。放送局というもの自体に問 題を提起しようという趣旨のこのシリーズ。ところが、何の説明もないまま私の 作品は放映されずじまい、話が消えた。作品の意味と意図に照らして、私は検閲 の問題について考え、追求し、発言するようになった。

ここ数年間、合衆国の文化は政治的・社会的状況に影を落とされている。検閲が 思想に対しても行動に対してもひんぱんに行われているのだ。公共領域から撤去 された作品(ヴィジュアル、文章、音)も現実にいくつかある。この『The File Room』はそんな環境の中で生まれたものであり、表象と社会的権力行使の問題を扱っ てきた私の過去の一連の作品とも一貫している。

ランドルフ・ストリート画廊(RSG)がシカゴで私の作品を発表してほしいとア プローチしてきたのは1991年だった。検閲をテーマとするネットワークをつくる ことにかねがね興味を持っていた私は、画廊と何度かディスカッションを重ねる うち、『The File Room』の構想を思いついた。その後、時間はかかったが楽し いプロセスがあり、我々は個人と集団と組織をまきこんだ巨大ネットワークを構 築するにいたった。この作品はこれらの人々の参加なしにはあり得なかっただろ う。とくに非営利のオルタナティブ・スペースであるRSG——なかでも展示ディ レクターのポール・ブレナー(Paul Brenner)——の参入は、この作品の進化、 実現、メンテナンスのために必要不可欠な存在となった。

この作品の大きなねらいは「検閲」を歴史的、世界的、異文化交錯的に展開して みせることだ。その意図と使命からも明らかなように、『The File Room』は自 己完結的な作品ではない。誰もがアクセスでき、インタラクティブで、可能な限 り開放的で柔軟な構造となるようデザインされているのだ。ある意識を共有する 人々が対話しあってネットワークを構築し、それがインタラクティブ性の高い作 品となる。この『The File Room』が成功を収めた背景には、WWWなどの先端技術 の貢献も大きい。

先端技術を使ってアートプロジェクトを進化させ、作品にする場合、創造的で有 機的な構造をまず創り出す必要があるということが、私の中で徐々にはっきりし てきた。それはアーティストが日頃慣れ親しんでいるのとは違った、むしろ映画 や建築に近い、複合的な構造である。

インタラクティブ性と開放性とアートをひとつの社会的手段として考えること。 それがこのプロジェクトの基本的な前提である。じじつ『The File Room』が進 化し、実現されるたび、「検閲」をめぐる先端技術、芸術の著作権、アクセス、 言語、翻訳、管理、行動といった事柄にかんする問いが多数発せられてきた。そ のすべてがこのプロジェクトの主要部分であり、結論であり、問題提起なのであ る。

1995年10月
ムンタダス


The File Room への序文

この世に検閲のない時代、検閲のない場所があったためしがあるだろうか? 検 閲というものがまったく存在しない人間社会が、これまであっただろうか? 『T he File Room』はそんな問いかけから始まる。検閲とは人間の意識/無意識の現 実と深く絡み合った複雑な概念である。そもそも「検閲」を定義するなど不可能 なこととは知りながら、この『The File Room』は「文化の検閲」という問題へ の認識を促し、議論を起こすためのツールとして考えられた。

『The File Room』はひとつの漠然とした構造があるプロトタイプに発展し、イ ンタラクティブでオープンなシステムのモデルとなったものだ。そこに参加した 人々は思考を刺激され、議論へと挑発される。そしてその結果、あらゆる時代、 あらゆる状況・国・文明の中で情報がどのように抑圧されてきたかを伝える資料 が蓄積されていく。

我々は情報が抑圧されていくプロセス、権力者が画像や音や言葉を隠すプロセス そのものを透視しなくてはならない。『The File Room』ではさまざまな検閲行 為を社会背景、政治運動、宗教・思想、経済状況、文化的表現、個人のアイデン ティティといった軸に沿って把握していく。ひと口に「検閲の手段」といっても、 その性質も技術も多岐にわたる。つまり、生産手段へのアクセスを規制・管理す るため暗黙に行われる構造的な検閲もあれば、ひとつのケースをはっきり物理的 に制約する検閲もあれば、微妙かつ広範に、しかも目に見えない心理的な手段を 使って行われる検閲もある。

権力構造という閉ざされた世界に対抗しようと目論むこの作品は、個人、組織、 集団それぞれの積極的な参加が相乗効果を生むことによって初めて有意義なもの となる。もちろん、この作品自体の構造がかかえる矛盾や可能性に対しても、編 集という行為の主観性に対しても、一定の時間内に遂行しうる調査量の限界に対 しても、客観的な自己批判の姿勢が求められている。『The File Room』は完結 したひとつの作品というよりは、開始直後から誰もがアクセスできるオープンな システムといえるだろう。パブリックなプロセスを通して活性化され、「ファイ ル」され、進化していく開放系のシステムなのである。

WWW (World Wide Web) 上のコンピュータ資料室『The File Room』では、これま で物理的な空間(図書館、資料館、オフィス等)でしか見られなかった「オーソ ライズされた」たくさんの情報が、インターネットを通して世界のどこからでも アクセスできるようになっている。パブリックなインスタレーションである『Th e File Room』はイベントのシチュエーションごとに形態を変えてきた。1994年 夏、シカゴ文化センターで行われた『The File Room』はひと部屋をまるごと使っ た大規模な三次元インスタレーション。シカゴ公共図書館として80年間使われ、 最近改装されたシカゴ文化センターの建物自体の歴史を回顧するものだっ た。インスタレーションの部屋の周囲に鎮座する数々の歴史的絵画とコンピュー タ端末とのズレ。観客はやがてこのプロジェクトが確固としたデータベースとい うよりは、むしろ文化そのものの産物であることに気付く。『The File Room』 は百科全書としてではなく、あくまでも「対話の場」として考えられたものなの だ。

一方、ドイツ・ライプチヒのメディアビエンナーレ94やオーストリア・リンツの アルス・エレクトロニカ95では、端末でのプレゼンテーションだけに絞ったかた ちで行われた。世界中のどこのカフェの椅子からでも、そしてもちろんイベント 会場の中からでもインターネットを通してアクセスでき、そこでパブリックの潜 在能力が示されていく。実体としての「アート・インスタレーション」が存在し なくても、『The File Room』のアーティスティックな意図は変わらないのだ。 ヴァーチャルなミュージアムとして企画されたIC95でも、『The File Room』は こうした趣旨に沿ってプレゼンテーションされている。

自由でオープンなコミュニケーション・システムによって議論が高まれば、それ だけこの『The File Room』の中に、個人の視点が具体的にどんな具合に削除さ れ得るのか、見たり聞いたり読んだりできなくされるのか、その意思決定のプロ セスが明らかにされていくことになる。そしてその意思決定のひとつひとつに、 先端技術、マーケティング戦略、政治的決定、そして「倫理的」管理といった問 題がこれまでどう関与してきたのか、今後どう関与していくのかといったことも、 ますます見えてくるだろう。

ここでハンス・マグヌス・エンツェンベルガーの言葉を引こう。「検閲を単なる 虐待行為だと捉えるなら、それは正しい理解のしかたではない。検閲には自己規 制という双子の片割れがいる。この宿命の片割れなしには検閲は機能しない。… 自己規制は、優雅かつ巧妙に、考え得る最悪の事態(=検閲)を凌いでしまう。 …(検閲の)目的は思考を禁じることである(その目的はたいてい果たされる)。 …自分だけは大丈夫、と思っている人間こそが最初の犠牲者なのだ。」こ の『The File Room』は文化的な試みとして捉えよう。『The File Room』は参加、 可能性、そして挑戦という文化のテーマが試される、オープンエンドのプロトタ イプなのである。

1995年10月
ムンタダス+ランドルフ・ストリート画廊