ICC
ICC メタバース・プロジェクト
Vol.5市川創太×松川昌平 [メール対談]「建築とメタバース」(前編) 進行:畠中実(ICC学芸員)

ダブルネガティヴス アーキテクチャー
《Corpora in -Mexico City- Si(gh)te》2010年(部分)
1第1信:畠中実

 このたびはメタバース研究会の対談企画にご快諾いただき,ありがとうございます.
 この対談では,特別展「可能世界空間論」のシンポジウム(2010年1月30日)[※01]をお聞きいただいた松川さんに,展覧会の出品作家もよくご存じであるということで,お話を伺ってみようというところから始まっています.そこで松川さんから,市川さんとの対談をご提案いただいた次第です.

 さっそく始めたいのですが,まず最初に,僕の方から話のきっかけとしていくつか質問をします.それにお答えいただきつつ,それぞれへのご質問をも含み,ご返答いただく,というやり方ではいかがでしょうか.

 まずは市川さんへの質問です.
 市川さんの作品におけるAR(Augmented Reality)という手法は,ある意味仮想世界的であり,可能世界を描き出すものだと思いますが,市川さんの仮想空間へのアプローチについての意見を伺いたいと思います.これは,ご自分の作品を説明していただく感じでお答えいただければと思いますが,気象といった自然の変数によって変化する,生命のような構造体の創出,それが建築や都市といったもの,あるいは何かもっと別な領域に与える意味を伺ってみたいのですが.

2第2信:市川創太

 お世話になっております.
 先のメールで,畠中さんからご指摘いただいたように,ここ数年のダブルネガティヴス アーキテクチャー(doubleNegatives Architecture,以下dNA)の《Corpora in Si(gh)te》(以下CiS)インスタレーションでは,展示地を取り囲むヴィデオカメラからの都市のリアルタイムの映像に,コンピューティングされた仮想構造物が重ね合わされるARの映像スクリーンが展示物の多くを占めるので,それがインスタレーションの見た目を特徴づけている要素ではあります.ARは「セカイカメラ」など,手軽に使える技術としても一般化してきましたし,ICC メタバース・プロジェクトのエキソニモの回[※02]であがっているように,『電脳コイル』のような一見子供向けのアニメのおかげで,そのAR技術を前提とした人間関係や独特の世界観を多くの人が想像し共有できつつあるように感じます.またそれは,これからの建築プレゼンテーションとして利用価値の高い技術であるとも思います.

 とはいえAugmented Reality:強化現実に関しては,dNAは単純にその技術のユーザーであり,コンピューティングのプロセスの表現として採用しているだけ,というのが現実です.現実空間にどのように仮想の構造が映り込むかを覗くためのピンホールを提供しているにすぎません.そしてこの強化現実に対してのアプローチが特にプロジェクトの根本的な内容を左右するということは,現時点ではあまりないと言えます.

 仮想空間はコンピューティングの上でついて回るものですが,仮想空間そのものよりも,強化現実に通ずる現実空間と対応するレイヤーとして仮想(というより仮定)の空間,というものに興味を持ってきた,あるいは捕われてきました.現実世界空間にマッチするように情報レイヤーを敷き,情報と空間を結びつける,そもそも建築家はこれを新しい感覚として捉えているでしょうか?
 建築の設計プロセスでは,多くが現実空間を対象にしたスタディであり,建物は「実際に作ってみないと分からない」けれどその規模やコスト,環境への悪影響の懸念のために「何度も作ってやり直す」ことが殆どできません.そこで現実空間を図面等で情報化し,そこに仮定の物体を構築していく.非常に当たり前のことですが,この状況下で設計を進めていくと,現実空間と仮定→変化する情報という感覚は強化現実と通底しますし,そこには強化現実技術があってしかるべきです.建築完成予想パースの多くは,現実の都市画像に計画物をモンタージュしたものですので,そういった技術はそもそも必要とされてきたものですし,画像が映像,計画物がダイナミックなものに置き換わっただけで,そうしたアイディアは古くからあったものだと思います.
 もちろんそれを裏打ちしている技術は多くの発明が積み重ねられたもので,瞬時にパースペクティヴを算出したり,空間情報をデータ化する技術「Photosynth」(http://photosynth.net/)などは目を見張るものがありますね.

 現実空間に構築されたものがデータ化され,そのデータを元に計画された別のものが現実空間に置き戻される,というフィードバック,都市を少し長めの時間で眺めると,何かそのプロセスの繰り返しで角が取れてしまったような都市景観というものが現われてくるのかもしれません.

>>気象といった自然の変数によって変化する,生命のような構造体の創出,それが建築や都市といったもの,あるいは何かもっと別な領域に与える意味を伺いたいのですが.

 建物は本来,人間や社会の要求に応じて作られますが,そこに環境からの要求を受け入れてみる,あるいは環境からの要求だけで作ってみる,ということだと思います.後者の場合,もちろんこれは現在の経済システムでは成り立ちません.洞窟や木の枝に使えそうな空間を見出して,居住したり社会活動を行なったりする,というようなことですから.dNAのインスタレーションCiSの現ヴァージョンでは,環境情報だけを頼りに作ってみる,環境の変化に瞬時に反応して構造物自体が自分自身を再設計していく,というようなもので,生命のような建築の様子を見せるというよりは,構造物の設計段階を瞬間瞬間のスタディで見せるようなものです.
 CiSのシステム自体は入力に対して非常にオープンなので,人間の要求を入力できるようにすることも,アイディアとしては持っています.

 環境からの要求,これは全くなかったものではありません.世界各地に見られる,土地の独特の気候から発生したような町や建物はたくさんあります.それらはその社会が必要とする空間を,最低限その雨風から守るための工夫がなされ,結果的に建物や町がその土地の環境のリフレクションとなっています.
 環境のリフレクションとして建物が存在・成立する,というのは無意識に実現されてきたことかもしれませんが,dNAがめざすべきものとしてフォーカスしている点ではあります.

 自律して変化する生命体のような建築物は,ナノテクが進化して,電気信号などで外部的に変形できるような素材,極小ユニットの集まりを高度なコンピューティングによってコントロールして,素材自体が変形・変質・変色して,環境や人間の要求を調整していく,ということは将来できるかもしれません.自由に変形する建物というのも,人間の生活時間とのスケーリングを変えれば十分現実味があるでしょう.一ヶ月かけてゆっくり新しい部屋ができたり,大きさが変化するように,建物の変形時間が人間の生活時間より十分遅ければいいのですから.もちろん現時点でこれはSF的なヴィジョンの域を超えません.このようなヴィジョンは持っていてしかるべきですが,現時点からかなり長い間は,建築物は枯れた素材(長い時間をかけて検証されてきた素材)で作られていきます.生命体のような考え方で計画されていても,その素材や作られ方は全く違ったものであるので,単に自然界にあるシステムや構造パターンを借りてきて引用するのではなく,建築ならではの生命っぽさ,というものを探求していくべきだと思います.

[※01]特別展「可能世界空間論」のシンポジウム(2010年1月30日):ICC4階特設会場にて,司会・畠中実,パネリスト・円城塔,濱野智史,柄沢祐輔,館知宏,田中浩也の面々で開催された. [※02]ICC メタバース・プロジェクトのエキソニモの回:http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2009/MetaverseProject/vol3_1_j.html