Feature: Diagnostics of the 20th century


戦争のエポック/芸術のメルクマール
The Epoch of War/Monuments of Art

高島直之
TAKASHIMA Naoyuki



I ―1900 -1913
世紀末の処理と新しい美学の試行:
「フォーディズム」と「未来派」

1900年のアート状況と言えば,すでに19 世紀後半・末期を席捲した印象派やアール・ヌーヴォーが退潮しはじめていた.画家P ・ゴーガンが,印象派の成果をコピーしながら,そこに安易な近代的味つけをして怠惰に描きつづける凡百の絵描きたちの跳梁跋扈を呪いながら没したのは,1903 年のことだった.しかし,欧米を中心に印象派が広く知られるようになったのはこの時代であり,その諸作品はアメリカの画商を通して国際的な市場にシフトしていった.1900年パリの地下鉄が開通し,H ・ギマールはその出入口のデザインを担当したが,それは,W ・ベンヤミンが言ったような「群衆=遊歩者の最後の領域たる」デパートのファサード装飾を思わせる.そのデパートとしての効果は,群衆がヴェールとなり,見慣れた都市が幻像と化して,あるときは都市が風景となり,あるときは部屋となって遊歩者を誘惑するものだ,ともベンヤミンは記しているが,そのヴェールを剥ぎとって,街路の生なまな現実感を映しだしたのは,写真家のE ・アジェであった.

19 世紀後半以来のテクノロジーの顕現は,蒸気機関車,鉄橋や駅舎といった鉄道敷設など都市インフラに多くみられるが,シカゴ派建築にみられるガラスと鉄の高層ビルの建設技術は,20 世紀に入ってA ・ロースやA ・ペレの住宅・アパート工法に解き放たれ,また都市計画の可能性も引き寄せた.印象派は身近な日常風景を題材に,それをあたかも異邦人がみるように切り取ってみせたのだが,その親密な叙景の多くは,パリ・コミューン(1871 )の市民戦争の瓦礫の跡に構想されたものである.印象派がその叙景を逆遠近法で捉えようとしたところは,ベンヤミンと通底するものがあり,一方,土木から建築計画へと着地していった街並みの工業化は遠近法を具体化していった.


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