「情報」を柱にした大学改革 |
変革のヴィジョン 歌田――情報に関する学部をつくるというと,慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスと比較されることが多いのではないかと思いますが. 奥島――そうだと思いますけれども,私たちとは基本的にやはり違いますね.慶應は藤沢だけを特化してやっていますけれども,私たちは情報環境は全学藤沢並み以上でいきたいということで取り組んきました. これは批判でも何でもないんです.つまり,慶應はそういう特化した学部をつくった.私たちは特化した学部をつくるつもりはない.しかし,おのずと環境さえ整えてやればそういう特化する学生たちが出てくる,それでいいんだ,というのが私たちの考え方です. 早稲田は情報環境のインフラ整備に関して,はっきり言って本当に遅れました.これは事実として私たちは認めています.慶應と比較して早稲田が遅れたというふうに思っているわけじゃないんですよ.でも,こういう情報化社会になってきたにもかかわらず,4,5年前まで情報についての基本的な戦略が早稲田にはなかった.それが私はやはり問題だったというふうに思うんですよ. 歌田――早稲田に限らず,大学全体にどういうヴィジョンがあるのかは重要な問題ですね.あるインタヴューで,一橋大学の学長を務められた阿部謹也先生が,教育改革といっても将来像がない,大学に21世紀のヴィジョンがなくて,小手先の改革をやってもダメなんじゃないか,ということをおっしゃっていました. 奥島――おっしゃるとおりですよ.私たちは,はっきりしたヴィジョンをもっています.なにも私たちがいま新たに考えなくても,この117年の歴史のなかからおのずと浮かび上がってくるものがあるわけですね.それが一つのキーワードはアジア太平洋であったり,あるいは生涯教育であったりと,情報化であったり,そのなかから全部出てくるわけです.言ってしまえば,この大学をつくった人たちが夢見た理想というものを粛々と進めていくというのが私たちのヴィジョンなんですよ. その点を本学ではやっと全学的に確認してもらったというか,あるいは全学的に納得してもらった.そういうところまでやっとたどり着いたかなということですね. 歌田――たどり着くまでが大変でしたでしょうね. 奥島――大変でしたよ.私なんか,毎日が死刑台に立たされているようなものでしたから(笑). [1999年9月28日,早稲田大学] |
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