ICC Review

ICC Review

硬質な感触の映像
――ゲイリー・ヒル ヴィデオ・ワークスを観て
Hard-Feeling Imagery−A Look at the Video Works of Gary Hill

越後谷卓司
ECHIGOYA Takashi

「ゲイリー・ヒル ヴィデオ・ワークス」
1999年2月16日−3月31日
ICCシアター
シアター

"Gary Hill Video Works"
February 16−March 31, 1999
ICC Theater



ゲイリー・ヒルは,ナムジュン・パイクらヴィデオ・アートの先駆者に続き,1970年代より活動を始めた“ヴィデオ・アートの第2世代”の作家の一人として,ビル・ヴィオラらとともに注目された.1980年代には,彼の作品は東京のビデオギャラリーSCANなどでしばしば上映され,日本の映像関係者や学生たちに大きな衝撃をもって受けとめられたのである.ビル・ヴィオラとゲイリー・ヒルには,いくつかの共通点が認められる.例えば,ヴィオラが1980年から81年にかけ日本に滞在し作品制作を行なった《Hatsu -Yume(First Dream)》(1981)と同様に,ヒルも1984から85年にかけて日本に滞在し,《URA ARU(the backside exists)》(1985−86)を制作した.
二人はどちらも,日本滞在中に,当時開催されていたビデオギャラリーSCAN主催のヴィデオ・アート公募展の審査員を務めている.彼らは公募作品に対してコメントし,それらは当時の若手作家へのアドヴァイスとなった.つまりこの二人は,1980年代の日本のヴィデオ・アートに,最も強い影響を与えた作家と言っても過言ではないだろう.

にもかかわらず,例えばビル・ヴィオラの《I Do Not Know What It Is I Am Like》(1986)が文化人類学的な興味を含め広く一般からの関心を得たのに比べて,ゲイリー・ヒルの作品は一般化しなかった.その一つの要因は,ヴィオラが映像作品においてほとんど言葉を用いず,いわば映像そのものによって語るのに対し,ヒルの作品は言葉を多用し,それが映像と密接に絡み合って,その関係性を提示するという点にあったと言えよう.この,日本人にとっての言葉の壁という問題は,現在でも変わりはないのだが,しかし,ヒルの映像作品が,観客に強い印象を与えつつも,それらが容易に理解できない一種の異物として留まりつづけるという点は,言葉の理解の問題だけではないように思われる.

例えば,1980年代に発表されたヒルの作品群は,それぞれ異なる手法を用いていて,作品ごとの展開がどこか掴み難いところがあった.
《Primarily Speaking》(1981−83)は,もともとマルチチャンネルのインスタレーション作品のシングルチャンネル・ヴァージョンとして再構成されたもので,カラーバーを背景に,コメンタリーとともに左右の2面の映像が関係づけられて展開する作品だが,印象として残るのは,フレームの中の実景を写し取った映像の力強さである.
続く《Happenstance(part one of many parts)》(1982−83)は,画面上に現われるテクストがイメージへと変形してゆく作品で,ここでは一転して,全編がモノクロのCG映像によってつくられている(今日,コンピュータ映像の技術的な進展はいちじるしいが,このモノクロCGの抑制された美しさは比類のないものだと思う).
《Why Do Things Get in a Muddle?(Come on Petunia)》(1984)は,人類学者グレゴリー・ベイトソンの同題のテクストをもとに,彼のメタローグ(会話者たちがある問題を論じるだけにとどまらず,その会話の構造自体が,同時にまたその主題に関わっている会話)のコンセプトを,ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』のアリスとその父親というキャラクターを用い,一種の演劇仕立てで描いている.
手法的には,もともと逆転して行なわれた二人の演技を,さらに再逆転させるという凝った試みがなされた.再逆転された音声は,通常の言葉として聞きとれるものの,現実離れした重々しい響きとなって聞こえる.ここでは,言葉とそれが指し示す意味との関係が,ベイトソンのテクストを単純に映像化するのではなく,テクストに対する映像的な考察という次元で表わされている(1985年にビデオギャラリーSCANでのヒルの個展でこの3作品が上映された際に,美術評論家の東野芳明がリーフレットに「ヴィデオもずい分とソフィスティケイトされた領域にふみこんできたものだと感心した」とのコメントを寄せている).これら作品群はゲイリー・ヒルの存在を印象づけるに十分だった.しかし,その当時は,《The Reflecting Pool》(1977−80)や《Chott el-Djerid(A Portrait in Light and Heat)》(1979)などの作品によって,ヴィデオ映像の可能性の極限を追求するヴィオラのスタンスに対し,ヒルの場合,言葉と映像の関係という主題を追求している姿勢はわかるものの,作品群を貫く明確な線が見えず,どこか当惑させられるといった印象を残すのも事実であった.
そしてその後も,《Incidence of Catastrophe》(1987−88)や《Solstice d'Hiver(冬至)》(1993)といった,ヒルの映像作品の到達点ともいうべき重要な作品が上映されてはいるのだが,近年,彼が紹介されるのはもっぱらヴィデオ・インスタレーションにおいてであり,映像作家としてのゲイリー・ヒルは,その重要性に比して十分に言及されていないといった状況が続いていた.

こうした状況にあって,1975年からのゲイリー・ヒルの作品27本を集中的に上映する「ゲイリー・ヒル ヴィデオ・ワークス」が,ICCのシアター・プログラムとして開催された(1999年2月16日−3月31日)ことは,きわめて意義深い.特に重要なのは,現在《Selected Works I−III》と題してまとめられている,1970年半ばから1980年にかけての最初期に属する作品群が上映されたことだろう.《I》(1975−79)では主にヴィデオの画像変換の実験を試み,《II》(1977−80)では電子工学的な画像処理に言葉が関係づけられ,《III》(1978−79)においてそれら実験の成果が1980年代以降の作品群のほぼ原型を形づくるさまを見ることができる.2−8分程度の短い作品を選択し,アンソロジーとして編集したのは,おそらく作家自身であろう.そのことによって,このアンソロジーには,ヒルの作家的志向が明確に表われているのである.

《I》に収録された《Objects With Destinations》(1979)や《Windows》(1978)といった非常にプリミティヴな作品においても,ヒルは,いくつかの手法を複合的に用いて,これらの作品がどのような技術的手段を用いて作られたのかを容易に判らせないようにしている(松本俊夫が《MONA LISA》[1973]などの作品において,新たに開発された技術の可能性を探る意味あいで,一種のデモンストレーションとして実験を行なったのと対照的と言えようか).それは,自己の主題にアプローチするために,実験を重ねることで手中に納めた手法を,作品ごとに選択して組み合わせてゆくヒルの,いわば原点と呼ぶべきものだろう.
あるいは同じく《I》に収録された《Bathing》(1977)という作品は,バスタブに浸かる裸の女性をワンショットで捉えた映像に,時折,カラーライズされた画像がストップモーションとして挿入されるという単純なものだが,ここで映像として提示されるきわめて物質的で叙情性を排した身体像は,作家自身がやはり裸で登場する《Incidence of Catastrophe》や《Solstice d'Hiver》における身体のありように結びつくものだろう.それは,《The Passing》(1991)の水中に潜り気泡を纏わせた身体のイメージなどにおいて,どこか叙情性を醸し出すビル・ヴィオラのそれと決定的に異なるものだ.この寒々とした感すらある,身体の物質的な提示という点に見出せる硬質な感触こそが,ゲイリー・ヒルの作品に一貫してある容易に人を寄せ付けないものなのだろう.
彼の作品は,現在もなお容易な一般化を拒んでいるように思える.
そして,このことはまた一方で,ヒルのインスタレーション作品において特徴的である,ブラウン管を剥き出しにして,映像を送り出す装置すらも物質的に提示する造形的手法にもつながる,彼の原点と言えはしないだろうか.


えちごや・たかし
愛知県文化情報センター学芸員(映像担当).

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